孫正義のゴネ得が禿し過ぎて往年の大スターが太陽光発電事業に大集合の巻

まあ、何ということでもないのだけど、やらなくてはいけないのにやっていないようなことがあると、どうにも喉に小骨が刺さっているような感じがしてブログを書こうにもなかなか捗らないというか、暇な日に冷蔵庫ばっかり開けちゃうような感じで何故かやたらとツイッターを開いてしまうものだから、要するにそれで時間がなくなるわけなのだけど、本邦エネルギー政策をめぐる状況から俄に面白い感じの薫りが放たれているので、今日は少しその件を書いておきたいと思ったわけなのである。

再生可能エネルギー全量買取制度

さて。

我が国では、福島の原発事故以降、神の啓示でも受けたのか、突如としてエネルギー問題の専門家として生まれ変わる門外漢が大量発生すると、それによってエネルギー問題に関する議論は際限なく拡散。事故から1年が経過した今もなお、収束の糸口すら見えないでいる。

まさに「船頭多くして船山に登る」を地で行っているわけだが、ことここに至っては、その船がまた随分と高い山に挑み、さらには登頂しかかっているというのだから驚く他ない。門外漢侮りがたしである。

そう。ご存知の通り、いま、太陽光発電による電力の買取価格が、42円ということで決定されようとしているのだ。船が山に登った結果としては、異例と言っていいほどに立派なものなのではなかろうか。

当該買取りの根拠は、昨年8月に成立し、来年7月を期日として施行される見込みである「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法」だ。

同法は、専門家を自称する門外漢の筆頭でありながら、震災当時に首相を勤めた政治家でもあり、現在は反原発運動に精を出すプロ市民風の隠居生活を送っている菅直人が、大災害で気分が高揚したのか、どさくさに紛れて無理やり成立させた法案だった。

そんな法案、どうせ有耶無耶になって終わりじゃないのと私あたりは油断していたのだが、その後

「日本には自然エネルギーが必要ぜよ」

と、アツい理念に燃えた孫正義がどこからともなくやってくると、話が妙に具体的に転がりだし、あれよあれよという間にじゃあ42円にしようかという話になっているようなのだ。

孫正義、相変わらずデキる男である。

で、この42円という買取価格。これがいま、ちょっと高すぎるのではないかということで話題を呼んでいるわけだ。

以下の記事なんかには、それはもう高いと、とにかく高すぎると、そのような趣旨のことが割と克明に書き綴られているので、是非ご参照いただきたい。

蹴茶: 孫さんが触れたくない事実 2009年のFITを引用する理由 [2012.4.26]

曰く、孫正義は2009年以降に起きたソーラーモジュールの価格下落(太陽光発電の原価低減)を誤魔化すため、2009年以前のヨーロッパ各国における太陽光発電買取に関するデータを援用することで、日本での買取価格42円を正当化しようと、議員相手に熱弁してまわっているのだそうだ。これはつまり、最新の設備を用いて発電した電力を、3年前の水準で売り捌くということだから、要すれば技術進歩によって生じた異時点間の価格差でアービトラージができるということであり、賭けとしてはかなり固い賭けであると言えるだろう。

仮にそうだとすると、これはもう要するにただの補助金泥棒だったのではないかという気もしてくるわけで、ウソも方便とは言うものの目的自体ウソ臭過ぎて、ウソも方便と言うよりむしろ方便もウソ、よってウソはウソ、結論として全部ウソといったような三段論法を展開せざるを得ないわけである。

42円は高いのか

孫正義は補助金泥棒なのか。

これは、42円という価格がぼったくりかどうかにかかっているということになる。

まあ、うえで紹介した記事に、結構理路整然と「高い」と書いてあるのでそれを信用してもいいのだけど、なにぶん専門知識がないからよくわからない。よくわからないけどDISりたい。

ということで、長い前置きとなったが、買取価格42円が高すぎるということを少し別の角度から検証してみようというのが、本日のテーマだ。

そして、ここで言う別角度とは、今般の再生可能エネルギー全量買取制度の開始を受けて、続々と太陽光発電事業に新規参入している事業者のメンツのことである。

これがなかなか個性的で面白いのだ。

順に見て行こう。

■DMM

まずはあのDMMである。エロビデオを核に徐々に事業を拡大し、最初はオンラインビデオレンタルなど、まあ言ってもエロビデオの周辺産業に落ち着いてたものの、最近ではFXを筆頭に、何というか庶民のエロ心とか射幸心とか、そういう感じの需要を取り込む事業へ着々と歩を進めているようだ。

もうすでに子会社としてDMMエナジーというのがあって、個人宅向けにソーラーパネルを販売しているそうで、そんなにDMMというブランドを前面に出して何か良いことがあるのかなという気もするのだけれど、新聞にどーんと広告を出していたりもする。

見ると、初期投資を限りなく抑え、レベニューシェア的な方式で個人宅に対してソーラーパネルを売るというのがミソのようだ。ただこれ、何となくローン的に個人の与信リスクを取っている風に見せて、実はただ場所を借りて発電しているだけなのであるから、場所の精査だけきちっとすればリターンの割にはリスクの少ないビジネスには見える。まあカネがあるからこういうビジネスができるのだと言ってしまえばそれだけのことなのだけど、なかなか抜け目ないビジネスをつくりこんでくる。侮れない会社である。

■マーチャントバンカーズ

唐突に「マーチャントバンカーの○○です」と名乗られたら、うっかりイギリスの金融マンか何かかと思ってしまいそうだが、要するに元アセット・インベスターズなのである。

アセット・インベスターズと言えば、長銀OBと反社会的勢力の奇跡のコラボレーション、バブル崩壊が生み出した金融・不動産界の芸術、アセット・マネージャーズの元子会社である。カテゴリーとしてはイーバンクと一緒。懐かしいな、イーバンク

業績や事業の状況は比較的まともであり、前期・前々期と6億くらいの利益を計上している。まあその前はガツンと100億円くらい損を出しているし、今期も4億円くらいの赤字のようなので、通算すると果たしてどうなのというのはあるが。何れにせよ、以下に紹介するような新規参入組よりは幾分経営に余裕があるが故だろうか、いちはやくテスト的な発電所をオープンさせたようなことがリリースされていた。

いやしかし、この会社が発電した電力を買い取るために我々の電気代が上がるのだと思うと実に胸が熱いではないか。

多摩川ホールディングス

いわゆるジェイ・ブリッジ銘柄。

「最後のハイエナ」ことジェイ・ブリッジは、経営難に陥った会社の支配権を二束三文で獲得すると、逆にその会社の自己資本の部から資金を限界まで引き出し続け、終に資源が枯渇すると次のターゲットに移るという実に伝統的な焼き畑農業で市場を席巻した。高田屋を展開するタスコシステムズなど、世にジェイ・ブリッジ銘柄は意外と多いが、多摩川ホールディングスはそのうちの1社に他ならない。

今も同社の大株主の一角に燦然と輝く枡沢徹氏は、ジェイ・ブリッジ出身者であり、オリンパスによる不正に高額な買収資金が世界一周して再びオリンパスに還流するに際して、名誉ある土管の一部を担ったとも言われる、裏社会の雛壇芸人的ポジション(中堅)の人物である。

同社は、売上高こそ一応20億円以上と、そこそこの水準を維持しているが、損益ベースでは一貫して2億から5億の赤字であり、事業に根本的な問題がある節が窺える。

この会社の事業とは何かと言えば、携帯電話の基地局用のアンテナ等部品の製造。

うん。まあ、昔はそこそこ景気がよかった予感はするが、確かに現状では右肩上がりの成長というのは難しそうだ。

そこで「太陽光エネルギー事業準備室」を新設である。何なんだ「太陽光エネルギー事業」。暇な日につい開けちゃう冷蔵庫か。

クレアホールディングス

クレアホールディングスと聞いてもピンとこないは多いかもしれないが、千年の杜と言えばわかるだろうか。または東邦グローバルとか。もしくはキーイングホームとも言う。社名変え過ぎである。

同社は、久馬元防衛相と共に、ロシアはソチでの五輪開催に合わせ、彼の地に人工島を建設するという壮大なプランをぶち上げ、当時10円くらいだった株価を500円くらいまで吊り上げると、キチガイみたいな量の新株予約権を発行し個人投資家を恐怖のズンドコにたたきおとしたという伝説を持つ。

現在は、ロシア人工島事業からは撤退。市場から調達した莫大なカネからすると随分慎ましくなった資産規模で、水道工事を主戦場に年間3億円という、これまた上場会社としては慎ましい売上を計上している。連結対象の会社数はホールディングスを入れて7社だが、連結従業員数は18名である。1社あたり3名弱。素晴らしい。

太陽光関連事業への参入を企図し、韓国メーカーとOEM契約を締結だそうだ。

そんな装備で本当に大丈夫か。

■インスパイアー

もともとはイスラエル産のセキュリティソフトを輸入販売するという業態で、まあ今思えば持続的な成長は難しいのではないのと思うのだけど、当時は何となくナウい感じだったのだろう。2001年に何かの間違いで今は亡きヘラクレスにグロース基準で上場している。しかしながらといったものか、案の定といったものか悩むところだが、上場した途端に力尽き、売上高は年々減少、直近では1.2億円を割り込むこととなっている。営業損益はなんと2003年以来10年連続で赤字。赤字に次ぐ赤字。真っ赤。5億、4億、3億とまあ面白いくらいに資金が蒸発していくのである。

すると当然のごとく債務超過に陥るわけで、現状は債務免除にデットエクイティスワップ、大規模な第三者割当による新株予約権発行と、まさに集中治療室状態。

本年2月にウエストホールディングスと提携して太陽光発電システムの販売事業に参入とのことだが、「おじいちゃん、点滴外して大丈夫なの」という不安は拭えない。従業員9名しかいないし。

誰がための買取りか

ことほどかように太陽光発電関連事業には、かなり個性的な面々が次々と新規参入を決めており、その様はまるで、暇を持て余した田舎のヤンキーOBたちが、深夜、明かりを求めてコンビニに大集合するが如しである。

とはいえ、私に上記で示したような面々を批判する意図はない。

当然だ。

企業として存続している限り、資本コストを僅かでも上回るような投資機会があるのであれば、積極的に投資を検討していくことが経営者の義務というものである。

だからこれは偏に、孫正義の決死の努力によって確保された42円という単位当たりの買取価格が、素人目にも魅力的な水準だったという厳然たる事実が招いた合理的な結果なのである。

やはり買取価格42円は、十分に高かったのだ。

買取価格が十分に高ければ、それはそうなるはずである。

なにせ、十分に利益が確保できそうな水準で端から売上が決まっているのだから。国債を購入して満期まで保有する投資戦略と同じ。即ち、ノーリスクである。

しかも、やることと言えば、多少語弊はあろうが極端な言い方をすれば、中国産のパネルを輸入して空地に並べるだけだ。むしろ、上記各社にとどまらず、主たる製品の汎用化や過剰な競争などで利益の源泉を失った赤字企業各社は、例外なく発電事業への参入を検討されたほうがいいのではないかとさえ思うし、きっとそうなるだろう。


しかしそれにしてもこの状況である。

これから起こることを俯瞰すれば、要するに電力の最終消費者たる我々一般市民から、それこそ上述したような太陽光発電事業者各社への所得移転に他ならないのであって、どうしてそんなことをしなくてはならないのという思いは、拭い去れない。

まして、発電用の太陽光パネル自体はほとんど中国製だから、国内では雇用もロクに生まれないわけで、一体誰がための補助金なのかという疑念もよぎるわけである。


もし、あなたが戸建住宅にお住まいであれば、屋根にパネルを設置することで、晴れて搾取する側に廻れることとなる可能性もあるわけだけれど、マンション住まいの方はそれもなかなか難しい。「これはもうあまりにもバカバカしい」ということで、いっそ海外に引っ越すという選択もあながち荒唐無稽というわけではなくなってくるのかもしれない。

何だろうか。意に反して真面目な話みたいになってしまったのだが、我が家はと言えば、まあ比較的日当り良好な戸建住宅なわけなのであって、結論としては、孫さん、応援してます(笑)

ソーシャルゲーム規制の方向性について 〜金商法あるあるを交えながら〜

もともと騒がしかったソーシャルゲーム界隈だが、先日グリーの人気ゲーム「ドリランド」内で利用されるカードが不正に複製される事件が発覚したことを機に更なる盛り上がりを見せ、部外者と門外漢を中心に無責任で面白半分の盛大な規制コールが巻き起こっているようなので、今日はこの問題について考えてみたい。

なお、過去にも当ブログのエントリーを読んでいただいたことのある読者の方々には今更言うことでもないかもしれないが、かくいう私こそが部外者かつ門外漢の最たるモノであり、これから書くことこそがまさに面白半分の野次に他ならないわけであるから、タイトルに釣られて真面目なエントリーと思って読みに来てしまった方は、そっとブラウザを閉じることをお勧めしたい。

「ドリランド」カード複製事件

さて。まずは、ドリランドカード複製事件を簡単に振り返っておこう。

ドリランドというのは、ダンジョンでモンスターを退治して宝物をゲットしようという、まあよくあるタイプの、いわゆるロールプレイングゲームだ。プレイヤーは、ハンターと呼ばれる存在を操ってモンスターと戦うことになるが、そのためにはハンターを表象したハンターカードと呼ばれるカード持っている必要がある。ハンターカードはいかにして入手が可能かと言うと、主にガチャと呼ばれる仕組みによる。ガチャをすると、ランダムで何らかのハンターカードを得ることができる。ガチャは、ドリランドのプレイヤーであれば誰でも、1日1回無料で引くことができるが、当然いいカードはなかなか出ない。たくさんガチャを回したければ、追加的な課金に応じる必要がある、と大体こういうことらしい。

で、今回起こったことは、このハンターカードを複製できる裏技みたいなものが見つかってしまったということであり、その結果、とりわけレア度の高いカードが大量に複製された挙句、ヤフーオークションなどを経由して流通したとのことである。その取引総額はなんと4億円を超えるというから、驚かないほうがおかしい。ジャスダックあたりのクソ株を遥かに凌ぐ流動性だ。

ゲーム内のアイテムを換金することについては、運営側のスタンスとして基本的に禁止しているものの、ヤフーオークションなどの外部のサイトでやられる分については事実上黙認してきたような部分があった。そうした中で上述したような事件が起こると、「事実上換金できるんじゃん」という共通理解が広がることとなり、結果として「ちょっと問題があるんじゃないの」という話になるのは比較的自然なところだとは思う。

ソーシャルゲーム≒パチンコ?

で、このヤフーオークションなどを活用した換金の仕組み、これがパチンコ業界におけるいわゆる三店方式に酷似していると、そもそもガチャの確率を操作して射幸心を煽るみたいな仕組みはもうパチンコそのものだと、そういう理屈で、このソーシャルゲームというものは要するにパチンコと同じなのであって、そういう前提で規制をするべきなのだと、このような議論がネットでは非常に多くなっている。終いには、ソーシャルゲームの価値をパチンコ産業を参考に試算して、グリーやDeNAの目標株価を引き下げるという新米モデラーのやっつけバリュエーションみたいなものが三菱モルスタ証券から公表され、事態はお笑いの極みとなった。

三菱UFJモルガン、ソーシャルゲームの市場規模予測を上方修正…ただし比較対象をパチンコとし目標株価やレーティング引き下げ | Social Game Info

果たしてソーシャルゲームはパチンコなのかという話であるが、私は、このことについては若干の異議を唱えたいと思っている。

三店方式に似ていると言うが、三店方式というのはむしろ、パチンコを賭博法上限りなくブラックに近い存在から、一応体面上だけでもグレーたらしめるための仕組みなのであって、それは三店方式自体が白だからこそなせる技である。三店方式的な仕組みでアイテムの換金も可能であるという事実を持って、ソーシャルゲームも賭博の一種だと断定するのは、坊主憎けりゃ袈裟まで憎すぎて、ストールを含めた袈裟っぽいファッションの人を端から虐殺していくような暴論であり、八つ当たりも甚だしいのではないか。

また、射幸心を煽るなというのも抽象的すぎて意味不明であり、世の中に数多ある射幸心ビジネスを捨ておいてソーシャルゲームだけを規制せねばならない理由はイマイチ見えてこない。もし射幸心ビジネスを一切世の中から排除すべしということであれば、まっさきに撲滅されるべきは占いや宗教の類ではないだろうか。大体、庶民から幸せを祈る気持ちを奪っていいのか。

金商法の適用

もしかすると、ソーシャルゲーム規制派の人たち(もしそんなのがいれば、だが)は、ここまでのエントリーを読んで頭に血を上らせているかもしれないが、私は断じてソーシャルゲームを擁護したいわけではない。ただ、規制するにしても筋道というものが必要だろうという話をしている。各方面における規制の筋道というものを損ねない限度において、件のソーシャルゲーム業界をギチギチに締め上げるためには、金商法(金融商品取引法)の適用が望ましいのではないか。私はこのように申し上げたいのである。

金融庁による、金商業者(いわゆる証券会社など)に対する取り締まりというのは、年々激化の一途を辿っており、現状において筆舌に尽くし難い水準に至っている。

そう。我々金商業者に言わせれば、賭博法や景品表示法など稚技に等しいと言っても過言ではない。金融庁には、是非とも我々金商業者の恐怖と不安を、ノウノウとネットサービスなど開発しているエンジニアどもにも味あわせてやって欲しい。

金融庁さん、これは管轄を一気に広げるチャンスでもあるんですよ。

実際、例えばドリランドを金融庁管轄にするのはさほど難しいことではなく、要はドリランドのハンターカードを有価証券とみなせばよい。実際問題、有価証券と言えば有価証券だろう。実物券面こそないが、そんなものは株券も一緒である。広義の有価証券とはつまり、何らかの財産やそれを得るための権利を表彰する証券を指すわけだが、ドリランドのハンターカードも、ハンターを操りモンスターを討伐し戦果としての宝物(及びその換金によって得られる金銭)を得ることができる権利を立派に表象しているではないか。

もしドリランドのカードが有価証券であるということになったら、当然それをヤフオクなどで取引することはままならず、金商法の認可を受けた金融商品取引所での売買に限られることになる。

その折には、是非DeNAは当該認可を取得し、忘れられた主力事業である「モバオク」を金融商品取引所に衣替えしたうえで、セントレックス、アンビシャス、キューボードに新たに東京金融取引所を加えた余分取引所四天王あたりと共に、レアカード上場争奪戦を繰り広げるカオスを演じて欲しい。

よろしくお願いします。

金商法あるある

ということで金商法である。

そのレギュレーションは微に入り細に至るが、投資者保護に関する原則自体は極めてシンプルだ。

ひとつは誠実・公正の原則。

そして自己責任原則。

最後に適合性原則である。

これらの素晴らしい原則がいかに厳格に運用されているか。まずは自己責任原則の前提たる説明義務について見てみよう。

金商業者は、有価証券等を顧客に販売しようとするとき、その有価証券に投資する際のリスクを事細かに書き連ね、それらリスクの内容に関する膨大なデータを記した大体100ページくらいある「目論見書」と呼ばれる書面を交付する義務を負う。ただそんな分厚い冊子、渡しただけでは読まないかもしれないということで、リスクだけを簡潔に記した概要書みたいなものも合わせて交付する。しかしながら、そこまでしてもなお、書類と言うのはなかなか読まれないものだということで、これらの書類については要点を読み上げ、必要に応じて咀嚼して説明することで、理解させるよう努めなくてはならない。

こうした説明義務が自己責任原則の前提だということは、ここまで入念に説明しない限りは、投資の失敗は顧客の責任ではないということだ。

これは理屈上そうなるとか、そういう生ぬるい話ではなくて、現に説明義務違反を理由に顧客に対する損害賠償を命ぜられ煮え湯を飲まされる同業者は相次いでおり、消費者金融に対する過払金返還請求を生業とする「正義の味方」の振りをしたチンピラ弁護士・司法書士の次なるターゲットの最有力候補として、この説明義務違反の損害賠償が上がっているくらいなのである。

ドリランドのカードは、極めて高リスクな有価証券であり、そのリスクとしてはざっと考えただけでも次のようなものがあるだろう。

まず、グリーが潰れたら紙屑すら残らない。グリーがドリランドの運営を放棄しても同様である。また、そもそもヤフオクなどで実際は取引がなされているとはいえ、取引の適法性に疑義があるわけだから流動性リスクも極めて高い。そして流動性が失われてしまうと、他のプレイヤーに自慢するくらいしか使い道がなくなってしまうから、みんながドリランドに飽きてしまった場合はもうどうしようもない。アカウントを持っていることすら恥ずかしくなってコッソリ削除するくらいのところまで、目に見えてる。

グリーには、ユーザーがドリランドをプレイ開始した時には上述のようなリスクをしっかりと開示すると共に、グリーの財務状態やドリランドのプレーヤー数推移、課金の実態などを克明に綴った書面を郵送し、更にはユーザーが有料ガチャに手を出そうものならすかさず電話して「全然いいカードは当たらないですけど本当にいいんですか」と小一時間問い詰めるくらいの姿勢が求められる。

もし本当にこんなことになったら、グリーの運営は悲鳴を上げるだろう。

しかし、実はこんなのまだ全然序の口に過ぎない。そうは言っても説明すりゃあいいのだから。

げに恐ろしきは適合性原則なのである。

昨年2月、国内で営業する金商業者の6割が座っていた椅子から転げ落ち、うち1割はそのまま亡くなったとも言われている伝説的な 判例が生まれた。

その事件は、SBI証券が顧客に対して信用取引における決済不足資金の支払いを求めたことからはじまった。SBI証券というのはいわゆるネット証券だから、顧客はきっと、誰に頼まれるわけでもなく勝手にネット経由で口座を開き、勧められることもなく信用取引を始めたに違いない。ところが、不幸なことに大きな損を出してしまった。信用取引では顧客が預託した証拠金を上回って損が出ることがある。だから、その不足分をSBIとしては払ってほしいと、こう主張したわけだ。なんとまっとうな主張だろうか。

ところが、SBIによるこのまっとうな主張に下された裁判所の判決は、実に意外なものだったのだ。

棄却したのである。

裁判所は、その顧客には信用取引をする「適合性」がないというのだ。その顧客は72歳の農業従事者だったそうだが、そういう人は証券取引に慣れてるはずがないんだから、申込みがあった段階で訪問するなり電話するなりしてリスクを説明し、それこそ取引をやめるように勧告すべきだったと。それをしなかったのだから、証拠金を超えた損失はSBI証券さんが負担しなさいと。こういうことのようなのだ。

顧客が勝手に申し込んできて、勝手に取引して、勝手に損したのに、なぜか損失を被らなければならないSBI証券

この恐怖、痴漢冤罪に匹敵すると断言できる。

グリーも、高まる規制プレッシャーに耐えかねてか、15歳以下のユーザーに対する課金を月5,000円までに制限するという一応の具体策を出してきたらしいが、金融庁さんに言わせれば「何をかったるいことを言っているのか」という感じに違いない。

例え15歳を超えていてもリスクの内容を全く理解できないアホというのはいて、そういうアホたちは万難を排しても保護しなくてはならないのだから、事業者は全てのユーザーの属性情報を細かくチェックすることで、ユーザーがアホではないことを確かめなくてはならない。当然だそんなこと。

手間がかかるから年齢などの比較的取得しやすい情報で一律に線引きする他ない?

甘ったれたことを抜かすな!

アホか!

こんぷらくんオチ

ところで、ハンターカードがいわゆる有価証券と異なっている点を敢えて上げるとすれば、それはコレクター心をくすぐることだろう。

この点、あまりコレクター心をくすぐり過ぎると、やはりアホが被害を受けることになりかねないわけであるから、ここでも対策は必要となる。

これについては、すべてのカードの絵柄について、東証の冊子に描かれている妙にアゴの長い"ゆるふわ"マスコット、「こんぷらくん」をベースとすることを義務付けることで、対処可能であると思料する。


大老害時代を生き抜くための天下三分のTIPS

御手洗冨士夫キヤノン流現場主義老害王に、俺はなるッ!

ということで、御手洗冨士夫キヤノン会長が、御年76歳にして同社社長に返り咲いた件である。

時事ドットコム

そのとき私はたまたまtwitterを眺めていたが、 上記事案が公表された途端、 TLは瞬時に凍りつき、その後すぐに苦笑混じりの今更感で溢れかえった。

一時、いや待てと、きっとなにか特別な事情があるのだと、まだ慌てるような時間じゃないと、新しいスターの誕生だとはやし立てようとするtwittererを諌める動きも一部にあったが、日経新聞によれば、どうやら御手洗氏自身が「世代交代を急ぐよりベテランの力を結集」すべしと語り、社長復帰を志願したとある。何の事情もなかった。あの歳で何たる意欲か。

ここは嘘でも、急な辞任のため他に適任がおらずとか、一時的に会長が社長を兼ねるとか言って欲しかったが、会社側の見解は「難局はベテランの力でしか乗り切れない」という摩訶不思議なものであった。そうなのか?

常識で考えて、上の世代がいつまでも退かないと、人材育成の効率は悪化する。キヤノン勤務の40代は、70代も後半に差し掛かってようやくベテランという事実について、一体どう思っているのだろうか。このどこまでも果てしなく続くかに見える出世の冒険に心底ワクワクできているようなら、老害王の素質ありだろう。普通は、ゲンナリするところだ。

加えて、更に悪いことに、長期政権は不正の温床となりやすい。同じ体制がいつまでも続くと、組織の風通しは悪化し、不正が明るみに出るオケーションは減少するからだ。オリンパスの不正があそこまで長きにわたって隠匿され続けてきた背景に、退任する社長が後継の社長を指名することで、世代交代を経ても事実上の権力が移譲されずに維持されてきた構造があることは、言うまでもなかろう。

日本社会の中心は老人寄りに大きく移動

いま、老人たちの力は、かつてないほどに強まっている。

もともと老人には、若者にはない特別な含蓄や神通力があった。多くの場合それは、視力や聴力、更には記憶力までもが衰え、外部からの余計なインプットが遮断されたがゆえの内面回帰、独善的振舞いに端を発する諸症状なわけであるが、まあ亀の甲より年の功という言葉もある。

若者たちは、こうした未知の力を備えた老人たちのミコトノリを表面上奉ることによって、適切な距離感を構築してきた。インプットの絶えた人の言うことをいつまでも真に受けるわけにも行かないが、彼らの経験にまったく理がないわけでもない。相談役や顧問に代表されるようなあまりオフィシャルではない名誉職として、 現場からは一歩退いてもらったうえで、 独り言に限りなく近い形でご高説を発信していただくことが、双方にとってベストな関係なのであり、世の中の平和は、そうして保たれていたはずだった。

ところが、いま、このバランスが崩れてきている。理由は今さら私が指摘する必要もなかろうが、少子高齢化である。医療の進歩によって平均寿命がグングン伸びる一方で、若者の晩婚化や、教育費の高騰などで出生率は低下の一途を辿っている。国内全人口に占める老人の割合は、ほんの十数年前まで10%台だったものが、いまでは倍以上になっている。そしてさらに十数年後には40%に達すると言われている。

老人たちが数的な面でも勢いを得たいま、彼らを現場から一歩退かせることは容易ならざることとなった。なぜなら、老人がマジョリティであれば、もう老人がいる場所こそが「現場」に他ならないのだから。仮にコミュニティから老人を追い出したところで、追い出された老人たちは新たなコミュニティをつくり、それはいずれ巨大に成長するだろう。そうなっては、どちらが追い出した側かもうわからない。結局勝てば官軍なのであり、数的マジョリティを得たものが、最終的には正義の名を冠するわけである。

緊迫する社会

老人特有の不思議な力を操って世に害をなす輩を老害と呼ぶが、その勢力はとどまるところを知らず、現役世代を押しのけては数々の要職を手中に収めている。

これは非常に危険な兆候だろう。

いま巷の若いヤングを中心に、発行部数日本記録を更新し続けるほど大ヒットしている漫画カルチャーと言えば「ワンピース」だが、今起こっている老害たちによる勢力拡大のダイナミックさは、ワンピースにおける海賊たちのそれを想起させる。

ワンピースでは、伝説の海賊王が遺したとされる秘宝「ワンピース」を目指して猫も杓子も海賊になるという、読んで字の如しの大海賊時代が描かれる。なかでも秘宝「ワンピース」にもっとも近いとされる「新世界」に君臨する「四皇」と言われるトップ海賊率いる大海賊団にいたっては、一国の軍事力を軽く上回り、リアル世界で言うところの国連軍のようなものと互角に渡り歩く。ソマリアの強奪集団とはスケールが違うのである。

いま、現実社会の老人たちも続々と新世界へと歩を進め、その勢力を拡大させている。

筆頭はやはり、ナベツネこと渡辺恒雄氏だろう。先日、飼い犬の清武犬に突然噛み付かれ、周囲に世代交代時期の到来を予感させたが、その清武犬を即効で保健所送りにすると、返す刀でなぜか新聞を無税にしろと主張しはじめ、健在ぶりをアピールした。妻が参院選に出馬する際をはじめ、何か新しいことを始めるときはナベツネに挨拶をしなければならないというのはもはや風物詩を超えた不文律だが、同氏の憎まれっ子ぶりを鑑みるにあと150年くらいは余裕で世にはばかるものと思われ、若者の将来展望に影を落とすとともに、消費意欲の重しとなっている。

次いで石原慎太郎氏。「震災は天罰」といったまさに神の視点から繰り広げられる全方位DIS体制を敷きつつ、齢80にして東京都知事選まさかの四選を果たすという、まさに石原無双状態。このエントリーを書いている最中にも、噂の石原新党の基本コンセプトに関するニュースが舞い込んできたが、その基本コンセプトは、「反グローバリズム」「国軍保持」「平成版教育勅語」という、まさに猪・鹿・蝶三拍子そろった必殺極右コンボであった。老いは人を右傾化させるのだろうか。また、近年は天上天下唯我独尊ぶりにも更に磨きがかかり、歯に絹着せぬ物言いとよく形容される差別発言も年々研ぎ澄まされ、老人力のますますの充実を感じさせている。

森元首相こと森喜朗氏は、最近特に目立ったエピソードはないが、見た目だけでかなりの老害力を感じさせる逸材だ。確か同氏の自叙伝のようなものに記述があったと記憶しているが、出身大学である早大の入試では、確かラグビー推薦だからという理由で名前しか書かずに入学したらしい(うろ覚え、要出典)。こういう話は、普通真実だとしても隠しておくのが礼儀という気もするが、さも武勇伝のように語る様が実に"らしい"。若いときから高い老人力をいかんなく発揮していたようで、言わば老害界のスーパーエリートだ。この御方が毎回衆議院選挙で圧勝できるカラクリが私にはさっぱりわからないが、地元の方にしかわからない素晴らしい魅力があるのだろう。

そして今回、冒頭ご紹介した、尋常ならざる意欲で我が国が誇る優良国際企業キヤノンの社長に返り咲いた御手洗氏を新たに加え、彼らはさながら、現実社会における四皇だ。

もしナベツネと石原が本気で競り合ったら、マリンフォードくらいはゆうに消し飛んでしまうだろう。

第三勢力の形成へ

こうした状況を受け、強い危機感を募らせた一部の若者の中からは、老人どもから選挙権を奪えなどの強行策も聞こえてくる。

ただ、それはおそらく逆効果だろう。全面戦争は甚大な被害を生むし、そもそも数的有利を頼めない若者には勝ち目がない。目指すべきは老人勢力の内部ゲヴァルト、大勢力を分裂させることによる新しいバランスの形成だ。

ワンピースの世界観が優れている理由のひとつに、王下七武海の存在があげられよう。王下七武海とは、海賊でありながらその活動について政府からお墨付きを得る代わりに、政府と海賊が衝突した場合など、有事の際における政府への協力を言い渡された海賊のことだ。他の普通の海賊からすれば政府の犬にほかならないわけだが、七武海は七武海で、彼らの利益のために政府を利用している側面が強い。その実力は四皇には僅かに及ばないものの、かなり高い。

この図式を現実世界でも応用しない手はなかろう。老害老害でも、さほど浮世離れしておらず、むしろ俗っぽく、小銭やポピュリズムに釣られやすそうな老害たちを若者側に歩み寄らせ、それを持って第三の勢力とするのである。こうした、それこそ老獪な立ち回りこそが、いま若者に求められている。


名づけて、老化七武海。

さっそく人選に移ろう。

みのもんた氏、和田アキ子氏、古舘伊知郎氏あたりは、どうしようもない見識をお茶の間に届ける頻度といい、その偏り方といい、老人力は確実に及第点といえる。特にみのもんた氏は、ババアを意のままに操る能力を備えており、貴重な戦力になるだろう。一方、特に和田アキ子氏あたり、焼け野原みたいな自身のCDセールスを少なからず気にしていると思われるから、少しCDを買ってやればAKBよりも簡単に手なずけることが可能だろうと推察する。

お笑い芸人からは、芸人であることを忘れ、安い感動を振りまくことに必死な欽ちゃんこと萩本欽一氏が筆頭候補だろうか。彼の欲するものはイマイチよくわからないが、あの変な野球団の動きを見るに、若い子たちにチヤホヤされるのは嫌いではないのだろう。

経済界からは、経団連の黒ひげ、マーシャル・D・ティーチこと三木谷浩史氏を推挙したい。同氏はまだ若く、年齢的には老害とは呼べないが、DeNAによるプロ野球参入問題のときに、こどもへの悪影響を理由に一人いつまでも強行に反対を唱えていた様はお前が言うな感に溢れており、老人力全開の様相であったので、今後に期待できる老害ルーキーと言える。

紅一点として、デヴィ夫人はいかがだろうか。一体何が彼女の権威を担保しているのかよくわからないが、とにかく優雅で偉そうだ。タイトル通り偏見に溢れた夫人のブログは、ときおり唐突にこちらがビックリするような内輪話を暴露して注目を集めている。バラエティ番組の出演も比較的積極的で、ふかわりょうと嬉しそうに絡むさまが印象的だ。きっと若い人が嫌いではないのだろう。

あとひとり。できれば政治家がいいと思うが、政治家は真性の老害が多く、取り付く島がない印象がある。強いて言えば鳩山由紀夫は与しやすそうだが、戦力になるかどうか、極めて疑わしい。


まあいろいろと人選には異論があろうが、彼らのような存在こそが日本社会を平和へと導くためのキーなのである、と無理矢理いい話っぽく締めようと思ったがどう見てもただの悪口です。本当にありがとうございました。

スタバで注文前に席を取らない方がいいいくつかの理由

タイトルにはスタバと書いたのだが別にスタバである必然性はなく、実はタリーズでもエクセルシオールでも何でもいい。ただ、少し一般化して喫茶店と書くと、それこそ兜町にあるようなトラディショナルなやつが大量に含まれる気がするし、カフェと書くとハウスミュージックがかかるなかでホットワインを飲むみたいな変なお洒落スポットが混入してくる気がしてイマイチしっくり来なかったので、いっそのこと固有名詞にした。そういうわけで以降もスタバとは書くが、要するにカウンターのような所で商品を注文して、受け取った商品は自分で席まで運んで飲食するスタイルの店全般を指す概念として利用するので、そのつもりで適当に読んでいただきたい。

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マイケル・ウッドフォード氏の戦いは、なぜあんなに負け戦感満載になってしまったのか

先週書いたゲームの話については、もう少し掘り下げてみたいとは思いつつ、少し弾薬の補充が必要な状況であるため、今週は箸休め的にオリンパス事件の中心人物となったウッドフォード元社長についての雑感を書きたいと思う。

ガバナンス界の黒船

さてオリンパス事件と言えば、バブル期に嵌った財テクによって巨額の損失を被るも、問題の表面化を恐れて適正な会計処理を避け続けること20余年、歴代経営陣のお歴々が代々ひた隠しにしてきたところ、何を思ったのか内輪の論理の通じづらい外国人を社長に大抜擢した途端にすべてを明るみに出さざるを得ない状況に追い込まれ、株価は暴落するわ経営陣は全員退陣に追い込まれるわで大騒ぎになった、あの事件である。

同事件は、二代目社長が会社のカネ、それも数百億円規模をあろうことかカジノでスッてしまうという浮世離れした放蕩息子ぶりをみせ付け世間を唖然とさせた大王製紙事件と並び、日本のエクセレントカンパニーにおけるコーポレートガバナンスの何たるかを世に知らしめた好事例であった。

そして、オリンパスの社長に大抜擢され事件を明るみに出すきっかけをつくった人物こそが、何を隠そうマイケル・ウッドフォード氏その人だった。イングランド出身の実業家、1960年生である。

ウッドフォード氏は当初、かなり颯爽と登場した。

それこそ、日本型ガバナンスに引導を渡す欧米からの使者のようなイメージだった。日本人は、意外とこの黒船的概念が好きなのだと思う。開国させられたい願望のようなものでもあるのではないか。なんとか業界の黒船というコピーは、かなり長きにわたってコピーライティング業界のリリーフ的存在だ。リア・ディゾンがグラビア界の黒船と呼ばれていたのはいい思い出である。

ウッドフォード氏は、同氏がオリンパスの社長を突如として降ろされ、しかしまだ同社の取締役として過去の決算内容に疑義ありとの主張を繰り広げはじめたその頃、 まさにガバナンス界の黒船として、世論をかなり味方につけていたと思う。

当時、カウンターサイドのオリンパス側から出るコメントといえば、「ウッドフォードは日本的経営を理解しない独断先行型」などなど、まるで自らを「日本型」の枠にはめ込むためのキャラ作りのような内容ばかりだった。なぜああもオリンパスが自ら進んでチョンマゲレッテルを貼られに行ったのかは未だによくわからない。というか、かなり遺伝子レベルのものを感じる。大体、菊川剛という名前自体、狙ってるとしか思えない。いかにも家着は和服、趣味は日本刀集め、特技は柔道、嫌いなものはガイジンという感じの名前ではないだろうか。

まあ理由はともかく、オリンパスには一瞬で日本的経営の権化のような印象が染み付き、そのことが”チョンマゲ頭の侍が黒船一隻で夜も眠れず”的なコントラストに一層拍車をかけていたことは間違いなかろう。

まさかの敗戦

かくして初戦を華々しい完封勝ちで飾ったウッドフォード氏であったが、あるときから微妙に変調をきたし始める。それがいつであったか、明確に指し示すことはできない。ただなんとなく、氏がオリンパスの経営に並々ならぬ意欲を見せはじめたときに、私としてはおやと思った記憶がある。当時の私によるツイートを引用しておこう。まあさすがに日経が正面切って批判をはじめることはなかったが。

そんなウッドフォード氏の一瞬の隙をついてか、はたまた単なる偶然か、会社側は同時期に第三者員会の調査結果を発表。暴力団絡みはない旨をコメントさせて疑惑のタネを早々に限定し、有価証券報告書の訂正など必要な事務を済ませると、訝しがる周囲をよそに東証からさっさと上場維持を取り付けるという、いわゆる直ちに健康被害はありませんからの勝手に冷温停止宣言コンボを叩き込み、一瞬で勝負を決めた。団結した日本人は、ときに欧米人が理解できないほどのパワーを発揮するのだ。実にリメンバー・パールハーバーである。

その後もウッドフォード氏は、自身のバックに連合艦隊の存在を匂わせながら、委任状争奪戦を経ての社長復帰を目指す意向を表明するなど、全力右ストレート連発の様相であったが、国内主要株主をはじめ、メインバンクにも相手にされなかったとのことで、弾切れからの撤退を余儀なくされた。

最後は妻の体調を気遣って矛を収めるという、これまたまさに典型的としか言いようのない、欧米型エクスキューズを添えての哀しい幕切れとなった。

敗因は何だったのか

思うにウッドフォード氏は、自分から再度の社長登板に名乗りを上げるような真似をせずに、初戦勝ちの余韻をもっとじっくり楽しむべきだったのではないか。代表権を剥奪され、社宅の鍵を没収されても、何事もなかったかのように悠々と振舞っているべきだった。それが正義というものだからだ。正義は孤独なのだ。アンパンマンがもし”僕の顔をお食べよ”の対価を後から請求していたらどう思うか。それは正義ではない。移動パン屋だ。

同じようにウッドフォード氏も、あれだけ社外から騒いでおいて、急にこの会社を建て直せるのは私しかいないとやっても、正直マッチポンプにしか見えないから、社員としてもついて行きづらくないか。これも日本的な考え方なのだろうか。

そもそも、ウッドフォード氏の求めていたものは正義だったのか。違うだろう。英国人実業家は、そんな有名無実なものを求めたりしない。普通、実業家が求めるのは、世界を変える仕事を実現させるに足る十分な職責とそれに見合った報酬だ。

もしそうであれば、ウッドフォード氏はもう少し話を内々ですすめる必要があった。

その後の一連のウッドフォード氏による対オリンパスのネガティブキャンペーンを見ても、冒頭放たれたあの「過去の決算内容に疑義あり」攻撃は、彼の切り札だったのだ。圧倒的だった初戦以降、次は何が出てくるのかと期待して観戦していたが、結局何も出てこなかった。一瞬海外メディアから、オリンパスの背後に暴力団の存在を匂わせる報道がなされたときはおおっと思ったが、単発のラッキーパンチだったようだ。

普通、唯一の切り札をいきなりマスコミにリークするだろうか。

切り札を最初に出せば、そりゃあ初戦は飾れるだろうが、以降の勝負が悲惨なことになるのは目に見えている。大貧民(大富豪?)で強いカードから順番に切って行ったらどうなるかという話である。そりゃ負けるよ。

あるべきは、マスコミへのリークをチラつかせながら監査法人などから情報を引き出すとともに、菊川氏らと水面下で交渉を行い、徐々に権力の移譲を完遂させるという方針だったのではないか。

これはどう考えても、日本的とかそういう問題ではない。洋の東西を問わず、切り札は最後までとっておかなくては意味がないと相場が決まっている。その点において、彼は単純に迂闊だったと私は思う。

切り札を、序盤で切りすぎたのだ、彼は。

そう。倒置法で言えば、である。

敗軍の将兵を語る

最後に、私の中でウッドフォード氏の印象を決定づけることとなったニュース記事を引用させていただこう。このあたりで私の中でウッドフォード氏は、オリンパスの他の経営陣と共に完全なネタキャラと化した。

同氏は現経営陣を一掃するため、自身を含め た役員候補をそろえ、株主の賛同を得ることを 目指していた。現経営陣との委任状争奪戦を視 野に入れていたが、国内の生命保険会社や銀行 などが賛成しなかったもよう。

「株式持ち合いの相手を決して批判しないと いうあしき慣行」と、日本の持ち合い制度が 「企業統治の骨抜き」になっていると批判し た。

具体的な方法は明らかにしていないが、「不正を糾弾する戦いはこれで終わりではない」と 言明。経営陣を追及する活動は続ける意向を示 した。同氏は同日午後3時より都内で会見を開く。

オリンパス元社長「妻に耐え難い苦痛」 復帰断念:日本経済新聞

「不正を糾弾する戦いはこれで終わりではない」らしい。まるで「おれたちの戦いはまだはじまったばかりだ!」という威勢のいいセリフだけを残して打ち切られる少年漫画のようではないか。

このようなベタなボケを繰り出されると、こちらとしても「マイケル・ウッドフォード先生の次回作にご期待下さい!」と叫ばずにはいられない。

アダルトビデオ業界にみるリスクプレミアムの消失について

今日は新年最初の更新であり、当ブログにとって2012年の方向性を決めかねない重要なエントリーであるので、爽やかにアダルトビデオ(以下AV)の話をしようと思う。

最近のAV女優

最近ネット界隈では、いわゆるAV女優が綺麗すぎるというシンプルな事実がたびたび話題にのぼる。以下にその一例を示そう。
最近のAV女優レベル高すぎワロタ ※リンク先はエロ画像ではありません。

確かに上記リンク先で紹介されている女優陣はいずれも見目麗しきこと天女の如しであり、最近流行りの歌って踊れない、素人っぽさと大人数が売りの新時代的アイドルよりもよほどアイドル的ですらある。例えばAKBと恵比寿マスカッツのスナップ写真をそれぞれ用意して昭和の時代にタイムスリップし、この中でAV女優はどれかというクイズをしたら正当率はさぞ低かろうという何の意味もない無駄な妄想も、いささか現実味を帯びる。

そう。その昔AV女優といえば、一目みてそれとわかるAV女優臭さのようなものを放っていたものだった。桜樹ルイがいくら美人キャラであったとしても、それはあくまで"AV女優としては"という暗黙の前提の上にだけ成り立つお話だったわけで、別に例えば中山美穂と比べてどうかなどといったような野暮で無粋な議論をするものは存在しなかった。

それがいまや、AV特有の臭いが無くなっただけにとどまらず、あわや本家のアイドルをルックスで凌駕せんとする勢いであるというのだから、理由はともかくとして男性諸氏にとって喜ばしい事象であることは疑いようがなく、まさに豊食の時代ニッポンという様相なわけである。

AV出演と風評被害

さて。こうした現象について、私は端的にAV出演に伴うレピュテーショナルリスクプレミアムの消失という文脈において捉えることが可能ではないかと考えている。

つまり、その昔我々というかAV愛好家が支払っていた対価は、多分に女性がAV出演によって受けることになる又は受ける可能性のある風評被害に対する手当てを含むものであったところ、近年はこの風評被害に対する手当てが何らかの理由で不要になり、より多くの対価が女優の外見的美しさなどの直接的な価値に対して支払われているのではないかと思うのである。

もっとも、風評被害に対する手当てだろうが、外見的美しさへの対価でだろうが、受けとるのが出演女優であるという事実に変わりはないから、払う側からしてみれば何ら問題にはなり得ないわけで、即ちこれは、専ら女優側の心理的な変化を言い表しているに過ぎない。換言するならば、「家族や友人にばれたらマジでヤバイからそのくらいの金額じゃちょっとムリー」から、「まあバレたって死ぬ訳じゃないしそれだけの金額もらえるならまあアリー」に変わってきたということでしかない。

AV出演の事実が周囲に知られると本当にまずいことになるという場合、出演者は、出演時点において、会計上というか気持ち的に、合理的に予想される将来の損害を引当金として損失計上することになる。具体的に言うと、AVに出演したことによって将来の不安が増大するから、貯金を増やすということだ。増大する不安の度合いと積み立てる貯金の額との相関は個々人によって異なるだろうが、最悪の場合、引当金控除後の実質的な損益は、むしろマイナスとなる可能性すらあるだろう。

ちなみにAV出演による収支が実質的にマイナスとなる場合であっても、借金など目先の現金に窮した女性が出演する可能性はある。出演料は借金の返済に充てられ手元には残らないから、結果的には引当金の積立不足、言わば債務超過のような状況に陥るが、これはつまり将来の自分からの借金である。獰猛な借金取りからの借り換え先が将来の自分というのは、追い詰められた人にとっては決して悪い選択肢ではなかろう。

いずれにしても、見積もられる風評被害の額が増えれば利益が減るということは、逆に被害の見積もりが減ればAV女優にとっては出演による利益が実質的に増加することになる。経済学の原則から明らかな通り、利益の増大は新規参入を伴った供給量の増加をもたらし、競争の激化に通じる。競争激化の末、何となくあか抜けないルックスの女優は淘汰され、高い報酬に見合った価値(ルックスなり)を提供する女優だけが生き残る。いま、AV業界で起こっていることは要するにこういうことなのではないかだろうか。

レピュテーションリスクのライフサイクル

AV出演に伴うレピュテーションリスクは、なぜ低下したのか。

このことについて私は、AV業界に限らず、遍くレピュテーションリスクプレミアムというものはそういうものなのではないかと思っている。

例えば消費者金融。あれはもともと賤業だった。銀行マンが自らのプライドに阻まれて積極的に事業を展開できなかったというだけではなく、カネに困った人の足元を見て、自身は何ら労することもなく高い金利を貪るさまがいかにも金の亡者的に思われていたのだろう。そうすると、消費者金融業を営むにはレピュテーションのリスクがあるということになるが、大手資本というのはなかなかこのリスクはとらない。実際に風評が悪化した時の損害が大きいからだ。レピュテーションリスクマーケットのメインプレーヤーは、いつだって失うもののない弱小零細企業なのだ。武井保雄氏が一代で武富士を築くことができたのも、そういうカラクリだろう。ところが武富士がもはや中堅企業ですらなくなってくると、様子が変わってくる。儲けすぎだという批判を生むわけだ。いまや、消費者金融業界は突然の、しかも過去に遡っての上限金利規制によって壊滅的な打撃を受け、プレーヤーは一転して大手銀行資本に取って代わられた。

少し前、MSCBから派生した極端なダイリューションを生じせしめる、あわや有利発行かという如何わしい資本調達スキームが新興市場を中心に蔓延った際も、メインのプレーヤーは大手証券ではなく、当時日本では無名に近かった外資証券や正体不明のファンドが多かった。これもその利益の巨大さから参入が相次ぎ、終にはMSCB専業の証券会社まで出来る始末だったが、徐々に規制が整備され怪しさが濾過されると、旨味がなくなっていき、数えられる程度のプレーヤーが細々と食いつなげる程度の規模に落ち着いた感がある。

新しいビジネス、特に法的にグレーだったり倫理的に訝しかったりするものは、当初提供に際してのレピュテーションリスクが高いから、利鞘は大きくても大手は参入してこない。

これは、その昔AVに美人が参入してこなかったのとまったく同じだ。

ところが、ある程度プレーヤーが増えてくると、倫理的な線引きがなされはじめ、レピュテーションのリスクは下がり始める。何がセーフで、何がアウトが明確になれば、もうそこにリスクは存在しないわけで、当然プレミアムも発生しないこととなる。

レピュテーションのリスクがなくなった後にも大きな市場が残る場合もあれば、極めて小さい市場に落ち着いてしまう場合もあるが、これはそもそもの需要の規模の違いだろう。AVは、非常に堅固な顧客基盤を有するから、レピュテーションのリスクが低下しても価格は高止まりし、結果的に大資本(美人)の参入に繋がったということではないだろうか。


とまあ、ダラダラと書いてしまったが、前段「理由はともかく豊食の時代」の時点で重要な点については言い切った感があり、以降は蛇足であった。本年もよろしくお願いします。


2011年度総選挙振り返り(AKB)

今年もはやいもので総選挙の季節がやって来て、気づけば終わっていた。AKB48については「AKBバブルの終焉 - よそ行きの妄想」に「AKB48に学ぶ証券化の基礎技術とCDO48 - よそ行きの妄想」と、2度にわたって駄文を連ねており、あろうことかそれなりにご好評をいただいた感もあるので、調子に乗って先日の総選挙なるイベントについて感じたことを書いておくこととしたい。毎度のことながら、ファンでも何でもない人間が外部から難癖をつけるというのがそもそもエントリーの趣旨なので、ファンの方は気分を損なう可能性があるため、最初に謝っておきます。スイマセン。

柏木3位

さて、AKB48の総選挙と言えば毎度目を見張るのがトランチングの効能である。AKB48のメンバーが総選挙で高順位につけると途端にかわいくみえてしまう現象を、本質的に似たようなリスクであってもシニアと聞くとエクイティよりリスクが低い気になってしまうというファイナンスのマジックに準えて、私はトランチングと呼んでいる。

このたび、柏木由紀なる娘が前回8位から急伸、前田、大島の二大巨頭に次ぐ3位につけたという。これをもってこの微妙なルックスの少女が晴れてトップアイドルの仲間入りを果たすこととなるわけであるが、AKBで3位というカタガキがなければ、一体だれがこの娘がトップアイドルの器であると見抜くことが出来るのだろうか。

ファンがその器を見抜いたからこその3位なのだという反論があろうが、そもそもファンがファンたりえたのも、AKBとしての露出があってこそなのである。知らないが、この人の人気は、単に見た目だけによるところではないのだろう。いや、見た目だけでは説明つかな過ぎる。失礼だが。何かしら、見た目ではないキャラの要素によってここまで上り詰めてきたと考えることが妥当だろう。いや、失礼だが。

元来、アイドルの成否と言うのはルックス軸に対して効率的であったはずだ。どんなにキャラが立っていようが、ルックスでまず足きりがあって、そこを通過しなければキャラを活かすこともできなかったはずなのだ。AKB48というシステムは、この不文律を見事に打破したと言える。

普通に考えて、一部の熱狂的なマニアに担がれることと世間に認知されることの間には越え難い隔たりがある。AKB48のシニア・トランシェたちがその隔たりをやすやすと超えて行くのは、偏に総選挙と言うこの拝金主義的な仕組みがあるからに他ならない。世間は、選挙と銘打っておきながら実は票がカネで買えるという民主主義の原則をまったく無視したこの邪悪な集金システムに嫌悪感を抱きつつも、多くの貢物をかき集めたトップランカーたちを認めざるを得ない。これはつまり、キモヲタとパンピーが金銭を媒介にして価値を伝達し合うことに成功したのだと言い換えることもできよう。

かくして、ヲタによるヲタのためのイベントでしかないはずであった総選挙は金銭のチカラによって世間の注目を集めることとなり、トランチングの効能は計り知れないものとなる。AKB48のシニアトランシェであると告げれば、何も知らないパンピーが勝手に大騒ぎをして大量消費するわけで、もはや素体となるアイドルなど誰でもいいわけだ。AKBの箱の中に適当に何人かアイドルの卵を詰めておけばキャラは適当に割り振られ、選挙をすれば誰かが必ず1位になる。それで十分なのだ。

前田1位

今回トップの前田敦子は、昨年こそ大島優子に次ぐ2位の座に甘んじたものの、一昨年もやはり1位であるから、今回は王座を奪還したかたちである。ただ、私は前田と大島の争いにどういったコンテクストがあるのか、一切知らないければ興味もない。私が認識するのは、前田敦子が14万もの票を集め、1位の座を戴冠したという事実のみである。

14万票。1票1,600円らしいから、実に2億2千万円である。1か月足らずで2億を超える貢物を集める能力を有した人間は、世界広しと言えどそういまい。銀座のホステスなどにおけるマンション買って貰っちゃった的な事案を遥かに凌ぐ規模感である。今回2位の大島は「票数はみなさんの愛」と表現したが、まさにその通りだ。ホストが誕生日にシャンパンの塔を築くのとまったく同じなのであって、要するに愛は金銭によって形式化されることによって交換可能となるのである。

惜しむらくは、ヲタの愛を媒介した大量の音楽CDが、何の用途もなく部屋の押し入れに眠ってしまっていることだろう。楽曲の複製が書き込まれたメディアを個人が複数所有することに何の意味もなく、それはまるで金銭によって形式化された愛の抜け殻とでも言うべき存在である。これ、どうせだったらもうちょっと意味のあるものを使えばいいのに(外部経済的なのに)と思うのは私だけではあるまい。いっそのこと、マンション買ったら10万票!とかしたらどうだろうか。住めるし。

板野8位

最後に板野友美にも触れなければなるまい。他メンバーに先駆けて華々しくソロデビューをかざり、CMなどでも大活躍の板野は、パンピー向けの
露出が段違いに高く、私の周囲のニワカも押しなべて板野推しである。興味深いのはその度合いがオヤジになるほど高いことだが、これは、あの判で押したようにいつも同じな何かに挑むような感じの表情と、オヤジのスケベ心のプロトコルが偶然一致したということなのではないかと思っている。

ともかく、ファン層を大きく広げた板野は総選挙でも順位を伸ばすのだろうというのが常識的な下馬評であったが、ふたを開けてみれば前回4位からのまさかの4ランクダウン、第8位であったわけだ。実に興味深い結果ではないだろうか。

結局、選挙の仕組みを考えれば明らかな通り、板野についた客のカネ払いが悪かったということなのだろう。スケベオヤジは一見カネ払いが良さそうだが、キャバ嬢という貢ぎ先をすでに持っているから、板野までカネがまわらなかったのではあるまいか。そもそも推しメンのランクを押し上げるというストーリーが実利主義的なオヤジにはあまり魅力的ではなかった可能性もある。

いずれにせよ板野としては、選挙などでない方がよほどチヤホヤされるだろうから、もうAKBは辞めるしかないだろう。辞めないにしろ徐々にフェードアウトしていくのではないか。以前、当ブログに「板野友美のソロデビューは、AKBという企業体におけるレガシーコストをカットするための布石だ」というコメントが寄せられた時は、あまりのエクストリームさに度肝を抜かれたものだが、現実はまさにそのようになっている。

そしてこれは、捉え方によっては、キモヲタが世間やオヤジに迎合した板野を許さなかったというふうにも見ることも出来る。他のメンバーに対して積極的に投票すれば板野の順位を相対的に下げることができることは明らかで、パンピー及びオヤジ不在の総選挙でキモヲタが連帯すればそのくらいのことができそうな予感はする。何たる負のパワーか。

結果として板野がソロでやっていけるかどうかはわからない。高須クリニック的なクラスターではひとつの成功モデルとして捉えられている節もあるようなので、そういうキャラを濃くしていけばイス取りゲームの芸能界でも固有のポジションを確保していけるのかもしれない。ただ、再三申し上げている通り、個々ではイマイチなものを集団にすることで抽象化して(誤魔化して)売り出すというのがAKB商法の根幹にある限り、卒業は死を意味する確率の方が高いだろう。

大枚をはたいてヲタが手にしたものは、AKB48というエコシステムにおける正義だ。ヲタに迎合しないものはヲタによって葬られるのである。

人間の必死さが織りなすコント的なものについて

民主党が政権交代を果たしてしばらく経ったくらいからだろうか、私の政治に対する興味は急速に失われつつあり、最近はニュースもあまりチェックしないのだが、先週末くらいからあまりにも各方面が騒がしいので見てみると、なにやら鳩山元総理が、辞めるといっておきながら辞めない人はペテン師だの何だのと騒いでいる。何のことはない新手の自己紹介ネタかと思ったが、どうやら管総理のことを言っているらしい。

菅内閣に対する不信任案提出を巡って、一時は民主党内からも不信任案に賛成する意見が乱れ飛ぶなど、管総理は絶体絶命の危機に陥ったものの、時期が来たら自ら退くので不信任案賛成はちょっと待ってくれと話を持ちかけて、鳩山前総理との間でスピード合意し、苦し紛れの急場凌ぎで何とかその場をやり過ごすと、今度は一転辞めるとはいったがいつとは言ってないという子どもじみた詭弁を弄し、だらだらと政権に居座る姿勢を見せはじめ、ようやく騙されたと感づいた鳩山前総理がペテン師だと叫んでいるということのようだ。さらに言えば、いつも通り裏で糸を引いているつもりでいた小沢元幹事長は、管・鳩山合意のあたりから話を聞かされていなかったらしく、どういうことだと怒っているというのだから、いよいよわけがわからず、ただのコントと評さざるを得ない状況に陥ってる。


ところで、ペテン師オチのリアルコントで思い出したが、何年か前にある非上場企業の株主総会に出席した時も非常に完成度の高いコントを拝むことができた。

その株主総会は、議案からしてそもそもコントの設定じみているわけだが、確か創業者の背任だか横領だかが発覚したから、その会社の事業を創業者以外の役員が用意した新会社に引き継がせ、その会社自体は清算するという話であった。割を食うのは株主で、払い込んだ資本は創業者に使い込まれるわ、新会社の株式は持てないわで散々な目に合うことが約束されており、株主総会が紛糾することは疑いようがなかった。

よって他人の揉め事が大好きな私としては、期待に胸を膨らませながら株主総会の会場に向かったわけであるが、果たしてその株主総会は期待に違わぬものであったのである。

会場には数十人の株主がいたと思う。非上場会社の株主総会としてはかなりの規模である。その中でも明らかに異彩を放つグループがあったので気になって会社関係者に聞くと、どうやら創業者の関係者だそうで、予め当該株主総会の議案には反対の意思表示をしているということだった。要するに株主総会の運営を妨げ、議案の成立を防ぐ目的で会場に来ているわけで、言うなれば一種の総会屋なのだが、そのグループが特殊だったのは、何故かメンバーがおばさんばかりだった点だ。総会屋と言えば強面の男性という既成概念に捉われていた私には、なかなかのアハ体験だった。

さて、議長が定刻を告げ株主総会がはじまると、さっそく飛び出したのは議長解任動議である。議長は普通定款の定めに従って社長が務めるものだが、お前では信用ならんからおれに議長をやらせろというのが、議長解任動議である。ただ、この動議なるものは立派な名前がついている割には株主総会の運営側としては特別取り合わなくてはならない理由はないという代物で、基本的には単に無視されるだけの相撲で言えば”猫だまし”のような奇手である。

議長解任動議は事前に想定された範囲だったのだろう。議長はそれをセオリー通りに落ち着いて無視すると、株主総会を進行していった。議案説明の合間合間に挟まれる創業者の悪事に関する述懐はどこか情緒的で涙を誘う。自分たちも株主のみなさまと同じで被害者なのだ、もう会社は清算するしかないのだと繰り返し語られる。このあたりは、まあ普通だったと思う。

会社側の言い分がひととおり語られると、ついに質疑応答からの採決である。資本を拠出していたベンチャーキャピタルなどからいくつか真面目な質問が出た後、真打ちは登場した。異彩を放つ総会屋崩れ集団の親玉らしき人物が語り始めたのだ。メモ片手に語られた内容は、なにやら新経営陣が事業を引き継ぐ際に支払う対価は不当に安いとか、株主総会の招集手続きが適法になされていないとか、確かそんな感じであったと思う。いや実をいうと内容はほとんど覚えていない。親玉が何か喋るたび、一味のおばさんたちがいちいち野次というか合いの手をいれてくるのだが、総会屋というよりむしろ商店街の祭りの打ち上げみたいで、想像されるおばさんたちのセルフイメージとアウトプットされているもののギャップが激しすぎて、私は笑いを堪えるのに必死だったのである。

まったく緊迫感のない野次に耳を傾けながら、なぜ今日あのメンツが集まってしまったのか、突然欠員が相次いでしまったから最寄駅で急きょ募集したのだろうかなどと、奇妙な総会屋集団に関する思索にひとりふけっていると、それまで会場の後ろの方でじっと息をひそめていた別のおばさんが突然立ち上がって叫んだ。「ペテン師!ペテン師吉田!!」まさかの急展開である。

突然の出来事に一瞬呆気にとられたが、その後話を聞いてみると、どうやらその創業者の関係者成る人物に、その会社の株を売るなどと言われ、カネをだまし取られたのだそうだ。要するに、ただの未公開株詐欺事件だった。

ペテン師吉田は、詐欺の負い目がありながら何のためにノコノコ株主総会に出てきたのかよくわからないし、仲間がおばさんばかりになってしまった理由も結局わからず仕舞いである。突然叫んだ詐欺被害者のおばさんも、なぜあんなにもドラマティックでセンセーショナルな手法で詐欺を明るみに出す必要があったのか、今となってはよくわからない。ただみんな、何かを必死に考えた結果、ああゆう行動になったということなのだろう。

で、私の感想としては、申し訳ないが大変面白かった。

思うに、必死さと可笑しさというのは紙一重なのである。人間は必死になればなるほど笑いを誘うもので、既に万策尽きた感溢れる民主党も、そういう意味で良質のコント題材であることはある種の必然なのだろう。ちきりんさんが指摘する通り民主党の先生方は、次の選挙までになるべくポストを回さなくてはならないわけだから、みんな必死なのだ。


ということで何の話かはよくわからないが、とにかく民主党政権、飽きのこない政権である。

政治がぐっと身近になった気がする。卑近とも言うが。

日本のベンチャー企業に見られる3つの類型

ということで、先日のエントリー「木村剛はなぜ暴走したのか」からの流れで、「ヤンキー的なもの」を求めてナンシー関を読んでみたわけである。

ナンシー関は、横浜銀蠅を論じる文脈において、「銀蠅的なものを求める人は、どんな世の中になろうとも必ず一定数いる」と述べ、次のように続けている。

銀蠅なきあと、世の中は無意識のうちに銀蠅の代わりを探していたようにも思える。これは私の個人的見解だが「X」や「BUCK-TICK」などの売れセンヘビメタや、工藤静香の方向性、THE虎舞竜のヒット、一部の素人女にみられる露出狂の域にまで達したボディコン(というよりコスプレ)文化などの根底に、いずれも「銀蠅の魂」が流れているように感じられてしようがないのだ。
現在、不良の傾向は「ツッパリ・ヤンキー」ではなく「チーム」みたいなことになってるみたいだけど、世の中が(意識下で)連帯するのはやはり「ツッパリ」なのだと思う。日本人に愛されるのはやはり真木蔵人(チーマー系)ではなく、的場浩司辰吉丈一郎(ツッパリ系)であることは確かだ。

ザ・ベリー・ベスト・オブ「ナンシー関の小耳にはさもう」100 (朝日文庫)

非常に鋭い指摘ではないだろうか。ここで語らている「銀蠅的なもの」、「銀蠅の魂」を、便宜上「ヤンキー的なもの」として扱うが、さてこの「ヤンキー的なもの」は実にさまざまなかたちで世の中に現れてくる。ナンシー亡き後も、亀田一家や氣志團(DJ OZMA)、そのものズバリのゴクセンなど、世を席捲した「ヤンキー的なもの」は枚挙に暇がない。

一方、ナンシーも指摘する通り、いわゆる暴走族形式の典型的なヤンキーを見ることは今ではあまりなくなってしまった。特に都心では皆無と言っていい。あの集団を突き動かしていた膨大なエネルギーは一体どこに行ってしまったのかと疑問に思っていたところ、ふとあの渋谷〜六本木あたりに生息するベンチャー企業の群れのことを思い出したのである。

ヤンキータイプ

日本のベンチャー企業というのは、多かれ少なかれどこかヤンキー的である。特に渋谷系USEN宇野氏を筆頭にサイバー藤田氏、GMO熊谷氏に共通する、あの「若いときはちょっとヤンチャしてまして」感。たしか誰かの著書に記載があったと思うが、あの辺のメンツはみんな一緒にダイヤルQ2で小遣い稼ぎをしていた仲間で、そこで蓄えた小銭を元手に現在に続く事業を興したという武勇伝があったやに思う。実際、昔はヤンチャだったのだ。

それから、仕事を通じて自己実現みたいなノリ。大企業のエリートに一泡吹かせたがる反骨精神。更に言えば奥菜恵を嫁にもらう派手好きさ。

このあたりの雰囲気というのは、社の隅々まで行き渡っており、まるで金太郎あめのように社員の誰と会っても感じることができる。

また、妙に仲間意識というか連帯感を重んじるキライもある。サイバーエージェントのビジョンには、モロ「チーム・サイバーエージェント」と書いてあったりする*1。あなたね、暴走族じゃないんだから。

もう1世代前だと光通信があるが、ここも凄い。何せ携帯電話とコピー機のトナーを売り続けてはや幾年、気合と根性だけで売りも売ったり年間3,500億円だ。イノベーティブな技術や巨大資本の後ろ盾などなくとも、気合と根性があれば世の中十分にわたっていけるということを示している。

あと、このあたりのメンツに混じった時のドリコムの”舎弟”感も相当凄いと思っている。完全に印象だけどベンチャー企業には歴然とした先輩後輩関係があって、第4世代などと呼ばれるドリコムは要するに末席なのである。

エリートタイプ

で、こうしたヤンキーと対をなす集団がある。

「エリート」。言わずと知れた優等生タイプである。

ヤンキーが感性や根性を重視するのに対し、エリートはロジックやフレームワークなど学習したことを重視する。

ベンチャー企業は大概がヤンキー的で、あまりエリートの雰囲気を感じる企業は少ないが、その中ではマッキンゼー出身の南場女史率いるDeNAがなんとなくエリート的だ。儲かるビジネスで冷静に儲ける小賢しさがある。何かにつけて計算高く、ロジカルにものを考えている印象で、行き当たりばったり感や気合で乗り切る感に乏しい。

携帯の無料ゲームサイトとしては後発のグリーに一旦は捲られるも、地道に客単価を吊り上げ、こっそり抜き返したかと思うと、いつの間にか収益的には倍近い差を付けるなど、やることにいちいちソツがない。以前に自社のプラットフォームにゲームを提供する開発会社に対して、優越的な立場を利用し、他プラットフォームへのゲーム提供をやめるように圧力をかけた問題が報じられた時も、南場女史は「あら、国内にライバルなんていたかしら(証拠はあって?)」という風情でシラを切っており、実に嫌味なエリートという感じであった。

他方、微妙にわからないのが楽天で、三木谷さん自体は興銀出身だし、エリートと言えばエリートなのだろうが、体育会系のイメージが強すぎてイマイチ判別できない。

楽天テナントのサイトの色彩がいちいちデコトラじみているのが若干気になると言えば気になるが、あれはヤンキー趣味というよりはマーケティングの結果という気もする。

大企業系列の社内ベンチャー系も、当然エリートに分類される。ただ、なんとなくエリートの手先という感じだが。

オタクタイプ

ところで、ミクシィはどう考えてもベンチャー企業だが、ヤンキー臭くもなければエリート風でもない。ミクシィを分類するなら、オタクと呼ぶのがもっとも適切だろう。

オタクは、コミュニケーションが不得手な代わりに、特定の専門分野に関しては深い造詣を持つ。ただ、半々の確率でコミュニケーション拙者が単に逃げ場としてオタクであることを選択するから、そういう場合はヤンキーに引け目を感じており、頭が上がらないことが多い。そういう意味ではオタクとヤンキーは同じヒエラルキーを構成している仲間と言える。いわゆるスクールカーストでも、オタクはヤンキーから2〜3枚落ちる下位層に位置する。

ミクシィ絡みで面白かったのは、笠原氏と奥菜恵の熱愛疑惑が報じられたときだ。奥菜恵は言わずと知れたサイバーエージェント藤田氏の前妻で、笠原氏は藤田氏とも親交があった。当時の私は「オイオイ、オタクが先輩(ヤンキー)の元カノを略奪ですか、カネがあると人間違うね!」と一人で勝手に盛り上がっていたが、一瞬で笠原氏から「そのような事実はまったくございません」が放たれ、事態は収束してしまった。一度や二度のIPOで得たあぶく銭程度では覆らない、動物的で本能的な序列の存在を垣間見た気がしたのである。

そんな笠原社長のパーソナリティを反映してか、ミクシィ自体も実に大人しい印象の会社である。ミクシィがM&Aをしたことがあっただろうか。私の記憶する限りはただの1件もない。IPOで調達した資金も何に使うでもなくタンス預金で、粛々と日記コミュニティサイトと人材紹介のサイトを運営している。極めて地道。真面目。目立たない。

ミクシィ以外では、ライブドアも結構オタクだったと思う。まあ、堀江氏の、オンザエッヂが上場した当時の金八先生みたいなへアスタイルを見て、堀江氏自体がオタクであることを否定する人はいないと思うが。ライブドアは、M&Aなどを担うファイナンス部門だけがヤンキー的だったんじゃないだろうか。オタクがヤンキーを従えて、道路を蛇行しながらテレビ局などのスーパーエリートに喧嘩を売っていたわけだ。そりゃ逮捕もされるというものである。逮捕というか補導だな、あれは。

一応のまとめ

以上、完全に印象だけで話を進めてきたので何の自信もないが、日本のベンチャー界にはエリートとヤンキーとオタクという3種類の企業があると言える。

3つのうちで一番数が多いのがヤンキーなわけだが、これは考えてみれば当然のことだ。我が国では、エリートコースという言葉の意味するところがそれ即ち大企業での出世であるから、ベンチャー企業に集まる人材は必然的に非エリートが中心となる。「ヤンキー的なもの」は非エリートが自らをアイデンティファイするための最適な価値観なのだ。

元暴走族のヘッド矢島金太郎が、熱いハートや筋の通った考え方などといったわけのわからない力を操ってエリートサラリーマン共を蹴散らし、出世街道をばく進する様にカタルシスを覚えるのは、読み手が非エリートだからである。

我が国の学歴社会ぶりは世界でも有数で、数年の受験戦争が人生の大半を左右する。そこでの落伍者が「学校では教えてくれない大事なこと」を求めてヤンキー道を進むのはある種の必然であり、社会全体として見ても必要なガス抜きなのである。

「ヤンキー的なもの」とはつまり、「エリート的なもの」に対するアンチテーゼである。ヤンキーが「粗暴だけどほんとは優しい」とか、「ワルだけどカワイイ(ファンシーな)とこもある」などといった二面性を重視するのはこのためだろう。上で述べた通りだ。学習することでエリートに敵わなかったヤンキーたちは、容姿を筆頭に、気合や根性や熱いハート、人としての筋など、なんとなくより本質的な感じがするもので勝負したがるのである。

オタクは元来能力が特定の方面に特化した天才タイプを指すが、近年インターネットの普及によって概念としての「オタク」が一般化したことに伴い、エリートにもヤンキーにも成りきれなかったいじめられっ子タイプが大量に「オタク」に流入し、玉石混交を極めた。よってオタクの大半はヤンキーの手先に過ぎないが、マレに天才タイプがいるという状況になっている。

読者の皆様におかれましては、もしベンチャー企業への投資を考えるようなことがあれば、大部分を占めるヤンキー系企業(手先としてのオタクを含む)は捨て置いて、極マレに混じっているエリートタイプか天才型の純オタクタイプを探すと良いだろう。

参考

ナンシー関は有名なので知ってる人も多いかもしれないが、同著はどうでもいいけど言われてみれば確かにそうだよねという考察で溢れている。どうでもいいついでに似たようなものを並べて、上記のようなエントリーを書くこともできるという優れものである。

*1:それ以外にも「ライブドア事件を忘れるな」というのは果たしてビジョンとしてどうなのというのもある。

素人相手にいくら積極的に情報開示しても時間の無駄

先週の東日本大震災の影響で、福島の原子力発電所においては、緊急停止後の非常用電源系統の誤作動からはじまり、建屋の爆発や火災などが相次ぎ、炉心の溶融や核廃棄物の再臨界などが懸念されるなど、危機的な状況が続いている。震災から約1週間がたった19日未明、懸案の発電施設が外部からの電源を確保したとのことで、適宜原子炉の冷却が遂行される予定ではあるものの、まだ予断を許さない状況である。

一般市民に必要なものは本当に情報なのか

こうした状況を受け、巷では放射能漏えいの可能性や人体への影響について、考えうる限りのデマや憶測が飛び交っているが、いずれも真偽の区別は困難で、多くの人がパニック状態に陥っている。

人々がパニックに陥るのは情報がないからだということで、一部では東京電力や政府の情報開示姿勢を批判し、より正確な情報をより積極的に開示すべしと主張する向きがあるが、私はこれは違うのではないかなと思っている。

正直なところ、私程度の知識水準の者が緊急停止後の炉心冷却用の非常用電源に異常などという情報を積極的に開示されても、「普通に常用の電源で動かせばいいじゃん」としか思わないし、核廃棄物のプールの水位が低下と言われても「水、足せばいいじゃん」としか思わない。少しでも専門的な用語を使われようものなら完全にお手上げで、シーベルト(Sv)とグレイ(Gy)の違いすらイマイチ理解できない。

今回の事件が起きるまで原発について真剣に考えたこともなければ、真面目に勉強したこともないような人間が、いくらにわか知識で体裁を整えたところで限界があることは明らかであるから、人によって程度の差はあるのだろうが、大半の人は私と概ね同じくらいの知識水準ではないかと推察している。

そういう人に理解できるのは、以下の、まるで幼児にでも向けたかのようなウンチとオナラの例え話程度のものであるというのが、悲しい現実だろう。

リテラシーの問題と情報開示のコスト

上記のような情報開示をめぐる問題は、何も今回のような危機的な状況に限ったものではなく、常に存在している。

例えば金融庁は、「貯蓄から投資へ」という意図不明の謎のキャンペーンのもと、個人投資家の市場参加を促すべく、上場企業に対して積極的な情報開示を義務付けてきた。結果として、上場企業各社は四半期ごとに自社について膨大な情報を調査し、まとめ上げたうえで、積極的に開示している。また、取引所も企業に対して株価に影響を与えるような重大な事実が決定したら、投資家に対して即座に開示することを求めている。

では、そうして情報開示を受けた個人投資家がそれらを有効に活用しているかというと、実に怪しいものがあるのだ。開示情報を読み解くには少なくとも会計の知識が必須だし、読み解いた情報をもとに株式価値を試算するには少なくともファイナンスの知識が必須である。例えば資本コストとはどういうものか、ざっくりとでも説明できる人は一体世の中に何人いるのだろうか。

証券会社に勤めていると、そもそもPERなどの最低限の指標すら知らないで株式投資をしている人がいかに多いかがわかる。数年前、IT系という看板を掲げているだけで中身は何もない会社群が個人投資家の人気を集めていたが、あの現象こそ個人投資家が株価を雰囲気だけで判断していることの証左だろう。足りないのは企業側の情報開示ではなく、投資家側のリテラシーなのだ。

他方、企業側は厳格な開示義務を果たすべく、体制構築に多大なコストをかけている。四半期ごとの決算を30日後なり45日後なりに開示しようとすると、それなりに大量の人的リソースを要するからだ。当然会社の規模によって異なるけれど、開示義務に対応するためのコストとして、年間数億円程度は投じる必要がある。

これは社会全体として見たときに、実に無駄の多いシステムである。多額のコストをかけることで情報の非対象性がきちんと解消されているのであればまだしも、開示を受ける側のリテラシーの不足から、かなり無駄なコストと呼んで差し支えない状況となっている。高度に複雑化した現代社会にあっては、ある分野における専門的な情報を門外漢にもわかりやすく発信するためには、コストが高くつき過ぎるのである。

専門家の中から信頼できる「エージェント」を見つけるしかない

こうした無駄を社会から取り除くためには、情報の一次取得者を高いリテラシーを持った一部の人間に限定し、その一部の人間が、他の一般市民の代理として、責任を持って当該情報を分析し判断を下すという方法がある。

「高いリテラシーを持った一部の人間」は、多くの場合エージェントと呼ばれる。上述の金融市場の例で言えば、エージェントは、銀行や投資信託の運用会社(ファンド)だ。一般市民の余剰資金を預かり、資産運用を代行する業者である。

問題となり得るのは、エージェントが自らの優越的な立場を濫用して顧客を騙す可能性だが、一般市民がエージェントを複数の候補から自由に選択できるようにし、エージェント間で競争原理を働かせることで、ある程度の問題は解決することができる。そうすることで、我々はエージェントが自らの立場を貶めるようなマネはしないだろうという判断ができるようになる。

原発の問題も同じで、一般市民に必要なのは、「積極的な情報開示」というよりは「適切な(避難)指示」である。しっかりした一次情報情報をもとに、どのあたりまで被害が及ぶ可能性があるかを市民に代わって分析し、分析した結果を冷静に伝えてくれるいくつかの「エージェント」こそが必要なのだ。小難しくて理解不能な情報や「車のナンバーが読み取れるほど鮮明」なリアルタイムの映像などを積極的に浴びせかけても、一般市民のパニックは加速するだけである。


当然のことながら、エージェントの選定は慎重に行われるべきで、例えばテレビ局など、いわゆるジャーナリストがそうした役割を担えればそれに越したことはないと思われるが、日本のテレビ局には視聴率以外の分野に関する専門家が皆無で、原発の状況を伝えるにしてもどうしても煽り偏重になってしまい、内容がついてこないのが悔やまれる。

また、どこの馬の骨か知らないが、学部卒程度の知識で「ぼくちん原発にはすっごく詳しんだからな」などと公言して憚らない恥知らずなド素人もいるが、東京電力も多少怒鳴られたくらいで、こういう輩に余計な情報を開示するべきではない。

こういうド素人に過剰な情報を与えるから、ヘリコプターから放水というまるで二階から目薬のような奇抜な策を検討させられる破目になるし、意に反して東日本はつぶれるなどというデマを言い触らされ、世間のパニックに拍車をかけてしまうことにもつながる。

先日、米国の駐日大使が、原発の半径80キロ以内にいる米国人に避難するよう勧告したとのことなので、近隣の皆様においてはこうした避難勧告等に十分に注意深くなっていただき、慌てず行動していただきたいものである。

AKBバブルの終焉

去年の晦日に書いた「AKB48に学ぶ証券化の基礎技術とCDO48」というエントリーは、ブックマーク数こそ然程多くなかったが、ツイッターではわりと好評で、結果的にアクセスはそこそこ多かった。そこで私が書いたことは、AKB48というモデルが数年前に世界の金融業界を狂乱させた証券化の仕組みと"いかに類似しているか"ということであり、このモデルにはまだ素晴らしい金儲けのための"伸びしろ"があるだろうという話だった。揶揄するニュアンスが全くなかったかと言うとそんなことはないが、基本的にはAKB48をポジティブに評価していた。ところが、その後の関連ニュースなどを見ていると 、この評価ははやくも撤回しなくてはならないようだ。

結論から言うと、前田敦子を変なドラマに出すくらいならまだしも、板野友美をソロデビューさせた時点でAKB48は終わったと思う。

隠匿したはずの個にわざわざフィーチャーするという奇行

先日のエントリーでは、AKB48の大きな特徴として個々人よりも総体としての雰囲気が優っていることをあげ、ポートフォリオ理論や大数の法則などの何となくそれっぽい概念を前面に出して投資家の脳を麻痺させ、個別銘柄のリスクを隠匿する証券化の基礎技術を例示することで、解説した。以下は前回エントリーの一部である。

若い女の子の集団が醸す独特のキャピキャピした雰囲気は、オヤジの脳を麻痺させる。これは、個体を取り出せば普通にひとりの人間でも、集団になると抽象的な概念として認識されるからで、要するにオヤジは<若い女の子>という概念に目がないからだ。
個別の女の子については当然人によって好みが分かれようが、<若い女の子>という概念であれば話は別で、世の男性の大半はそれが好きである。AKB48という概念も然りで、あれだけたくさんいると個別に顔と名前を一致させていく作業は常人にとって不可能に近く、総体としてのなんとなくの雰囲気で捉えてしまいがちだ。

AKB48に学ぶ証券化の基礎技術とCDO48 - よそ行きの妄想

つまり、あの集団から個を取りだしたら何の取り柄もないことがばれるだけに決まっているのだ。もともと大した取り柄もないから集団にして誤魔化していたのに、集団で人気が出ると個人でもいけるのではないかと勘違いしてしまう愚かしさには空いた口が塞がらない。

これはつまり、投資銀行サブプライム住宅ローン債権を加工して販売してもらっていた住宅ローン会社が、投資銀行の経済的成功を目の当たりにした途端に色目を出し、何を勘違いしたのか自ら個別のサブプライム住宅ローン債権を、直接機関投資家に売り込みにいくようなもので、門前払いされることは火を見るより明らかである。売り込みを受けた機関投資家が多少賢明であれば、住宅ローン会社から持ち込まれた債権を一瞥してその信用状態の低さに気づき、こんなものを加工した商品を今まで喜んで買っていたのかと驚き、二度とサブプライムローン証券化商品は買わなくなるだろう。

いま、芸能事務書は最新の顔面加工技術を駆使して、ぎりぎりのところで"商品"の価値を偽装しているが、ネットでは以下のような写真が出回っているわけで、一度点いた疑いの火はなかなか消えないわけである。

AKB48の板野友美さんのアゴがヤバイ:ハムスター速報

ファンを愚弄し搾取を暴露する愚策

私が先日のエントリーでもうひとつの大きな特徴としてあげたのが、キャバクラさながらのランク付けシステムである。

AKB48のメンバーたちは、総選挙なるシステムによってランク付けされる。総選挙において投票するのは無論彼女らのファンであり、そして投票用紙は有料である。シングルCDを1枚買うと1票が付与される仕組みだ。この仕組みのもと、ファンたちは血眼になってCDを買い漁り、お気に入りのメンバーに投票を行う。であるから、AKB48のランクはつまり、ファンからの貢ぎ物の量によって決まるということに他ならない。一番貢がせたやつが勝ちなのだ。
世の中に貨幣ほど客観的な尺度はなく、ファンからの貢ぎ物によってつくられたランクは客観的かつ重要な意味を持つことになる。そうしたランクにおいてナンバー1になることが特別な意味を持つことは論を俟たない。

AKB48に学ぶ証券化の基礎技術とCDO48 - よそ行きの妄想

要するに私が言いたいのは、じゃあ大島優子って何だったのという話である。大島優子は言わずと知れた2010年総選挙のナンバーワンだ。私が初めて大島優子をテレビで見たのは、2010年の総選挙の結果が発表されたときだったが、この何とも言えない微妙な人がトップアイドルになれるのかと、AKB48の凄まじいAKB48に学ぶ証券化の基礎技術とCDO48 - よそ行きの妄想アイドルロンダリングの力に恐れおののいたものだ。

他方、前田敦子は2009年1位で2010年は2位だからまだいいとしても、板野友美は2009年は7位、2010年でようやく4位だ。仮面ライダーダブルでの女子高生コスが幼子を持つ世のオヤジ共のハートを掴んだ*1か何かは知らないが、上位3位をすっ飛ばして4位がソロデビューするというのは事務所の力学という大人の事情以外の何物でもなく、せっせと上位メンバーに貢いだファンからすれば実に面白くないことこのうえなかろう。

まるで証券化商品の原債権がどれだけゴミのようなものであっても一番優先して弁済がなされるトランシェ(階層)ということになると何故かAAA級のやたら高い格付けがついてしまうように、どんな女子でも100人かそこらかき集めて総選挙で”ナンバーワン”を創れば、なんとなく可愛いような気がしてきて、いつの間にかアイドルが誕生してしまうというのが、AKB48の本質の一部だった。AKB48SKE48NMB48の売れないメンバーを寄せ集めてCDO48を創ればよい、CDO48でもナンバーワンはナンバーワンなのだという話をしたが、これも当然総選挙の絶対性さえ保持されていればの話である。

ところがAKB48の関係者がやっていることはこれと全く逆で、折角AAA格がついて投資家が喜んで買おうとしているその債権を、その投資家の目の前で全力でショートしてみせるような所業を平気でやってのけている。詐欺が露呈するどころの騒ぎではない。

これでは、総選挙にはヲタからカネを巻き上げるカツアゲ以上の意味は何もないと公言しているようなものではないか。

AKBの行く末は…

AKB48関係者はおそらく、アイドルは個で売るというレガシーなモデルから脱却できておらず、AKB48を売れっ子アイドルの公開オークションか何かと思っているのではないだろうか。もしくはやつらを全員ソロデビューさせれば儲けが48倍になる的な幼稚な妄想に捉われている可能性も否定できない。

図らずしもAKB関連の詐欺事件は増加しており、世の中が熱狂状態にあることを示している。熱狂状態の特徴は、必ず覚めるときがくるということだ。熱狂が終わったときに持続可能なモデルが出来ていないと、単にバブルが崩壊したという話だけで、後には何も残らない。

AKB48はあくまで、AKB48という集団でブランディングされるべきだと私は主張したい。金融以外の例を出すと、例えば宝塚のように。個人で売れるのは、卒業後でいい。元AKBナンバーワンと触れ込めば、城咲 仁よりは多少箔が付くだろう。

*1:一部経験談を含む。

不健全図書を専門に扱う本屋をつくってはどうか

ちょっとしつこい感もあるが、東京都青少年健全育成条例に関連して。

前回までのあらすじ

昨年の12月、東京都議会において東京都の青少年の健全な育成に関する条例、いわゆる東京都青少年健全育成条例の改正案が可決されたが、この改正案が都民の権利を侵害する恐れがあるなどとして方々で反対の声が上がっており、年が明けても議論は尽きない様子だ。

改正案のうち特に問題となっている箇所は、以下の引用部と思われる。

第八条 知事は、次に掲げるものを青少年の健全な育成を阻害するものとして指定することができる。
一 販売され、若しくは頒布され、又は閲覧若しくは観覧に供されている図書類又は映画等で、その内容が、青少年に対し、著しく性的感情を刺激し、甚だしく残虐性を助長し、又は著しく自殺若しくは犯罪を誘発するものとして、東京都規則で定める基準に該当し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあると認められるもの
二 販売され、若しくは頒布され、又は閲覧若しくは観覧に供されている図書類又は映画等で、その内容が、第七条第二号に該当するもののうち、強姦等の著しく社会規範に反する性交又は性交類似行為を、著しく不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を著しく妨げるものとして、東京都規則で定める基準に該当し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあると認められるもの*1

第九条 図書類の販売又は貸付けを業とする者及びその代理人、使用人その他の従業者並びに営業に関して図書類を頒布する者及びその代理人、使用人その他の従業者(以下「図書類販売業者等」という。)は、前条第一項第一号又は第二号の規定により知事が指定した図書類(以下「指定図書類」という。)を青少年に販売し、頒布し、又は貸し付けてはならない。*2

普通に考えれば、青少年の健全な成長を阻害するようなものを青少年に売らないというのは極めて当然のことであるし、規制の対象は本屋などであって表現者でないのだから表現者は臆することなく今まで通り表現を続ければいいように思えるし、そもそも従来から青少年の性的感情を刺激するタイプのものは規制の対象であったところに、追加で犯罪行為を賛美するタイプのものが加わった程度のマイナー改正であるのだから、私としては別に大した問題ではないと考えていたし、当ブログでもそうした意見を表明してきた。

ところが、そうした意見を表明するたびに、それに強く反発する数多の意見が寄せられてきたこともまた事実である。

曰く、何が不健全であるかについて完全に明確な基準が設けられない限り、不健全を指定する審議会の独断と偏見のもと、ありとあらゆる表現が不健全の指定を受ける可能性があることを否定することはできないと。

そして、ひとたび不健全の指定を受ければ、その創作物は通常の流通から外れた扱いを受ける可能性が高く、結果として商業的に大きな打撃を受ける恐れがないわけではないから、保守的な出版社としては表現者に対して表現の自粛を促すかもしれないし、そもそも臆病な表現者であれば、不健全の謗りを免れるべく、表現に際して萎縮してしまう可能性がある。

実際に、自らの作品が不健全の指定を受けるのではないかと恐々としている表現者は少なくなく、表現規制の被害は既に生じているのだと言う。

これは由々しき問題である。

それが杞憂によるもであろうが何だろうが、結果として表現者が萎縮し、表現を止めてしまえば、我々消費者は作品を消費することはできないのだ。三度の飯より大好きな陵辱系の同人誌が思う存分読めなくなってしまうかもしれない。

必要なのは流通の確保

こうした厳しい現実を前に、我々に出来ることは何だろうか。

規制に反対する政治運動を興すことも当然有力な選択肢だろうが、上述した表現者が萎縮するまでのプロセスに鑑みれば、問題の一端が流通にあることもまた明らかである。

不健全図書を公に扱う流通業者が乏しいからこそ、表現者は不健全指定を恐れるのであって、不健全図書に指定されたところでその後の流通が確保されてさえいれば、何も恐れることはないのだ。

例えばamazonは、18禁などの成人指定図書については注意書きを添えたうえで普通に扱っているのに係わらず、何故か東京都に不健全指定された図書類については一切取り扱っていない。こういう歪な運用こそが表現者に余計な心労を与えていることは明らかではないだろうか。


以下は、東京都が公表している不健全指定図書一覧に掲載されていた、平成22年度において東京都から不健全指定を受けた本のリンク集である。上述の通り、不健全指定図書はamazonでの取り扱いがないので、わざわざセブンネットショッピングアフィリエイトに登録して、作成した。

この仮設不健全本屋が一定の成果を挙げることがあれば、こうした本屋にも一定の需要があると判断されるわけで、不健全な図書を専門に扱う流通実現への弾みとなるだろう。この試みは、不健全図書愛好家の夢でもある。

愛好家の諸君は、この機会に是非とも奮って不健全な図書を買い漁って欲しい。

なお、青少年のみんなは不健全図書の購入はもとより、これより先の閲覧は自粛していただくよう、お願い申し上げる。

所感

不健全過ぎ(笑)

*1:太字が今回修正箇所

*2:太字が今回修正箇所

AKB48に学ぶ証券化の基礎技術とCDO48

2010年ももう終わりということで1年を振り替えれば、今年の芸能界はAKB48のために存在したと言っても過言ではなく、シングルCDのオリコンチャートはAKB48ばかり*1であり、テレビをつければそのメンバーを目にしないことはないし、明日の紅白歌合戦にも史上最多の130人という大所帯でもって出場が予定されている。

AKB48 オフィシャルカレンダーBOX 2011 「PRESENT?神様からの贈り物?」 ([カレンダー])AKB48は当然ビジネス的にも大成功していると思われ、秋本康氏の懐にはまたしても巨万の富が流れ込む。200万部超という異例の大ヒットを記録し、「1Q84」や「KAGEROU」という強敵を抑えて2010年でもっとも売れた書籍となった「もしドラ」こと「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」の作者である岩崎夏海さんことハックルさんは、秋元氏から「もしドラ」の草案をボツにされたうえにクビを宣告された経歴を持つそうで、秋元氏にしては珍しく金の匂いを嗅ぎ誤った格好であるが、その失態を補って余りある成功をAKB48は収めたと言える。

AKB48というビジネスモデルについて、非常によく出来ていると思う点が2つある。(1)何人いるのかわからないほどの大人数にすることで個体よりも集団として認識させる手法と(2)ファンによる総選挙によってランキングを設け、さらにそれを随時更新していくモデルがそれだ。順に説明してみたい。

たくさん集まるとなんとなく可愛いような雰囲気になる

これは(規模は違うものの)おニャン子クラブモーニング娘。などで既に実証済みのモデルであるが、若い女の子の集団が醸す独特のキャピキャピした雰囲気は、オヤジの脳を麻痺させる。これは、個体を取り出せば普通にひとりの人間でも、集団になると抽象的な概念として認識されるからで、要するにオヤジは<若い女の子>という概念に目がないからだ。

個別の女の子については当然人によって好みが分かれようが、<若い女の子>という概念であれば話は別で、世の男性の大半はそれが好きである。AKB48という概念も然りで、あれだけたくさんいると個別に顔と名前を一致させていく作業は常人にとって不可能に近く、総体としてのなんとなくの雰囲気で捉えてしまいがちだ。大ヒット曲「ヘビーローテーション」のプロモーションビデオの、あの何か秘密の花園を覗き見するかのような、どことなく背徳的でもある演出に触れ、テンションの上がらない男性は少数ではなかろうか。

一番人気という看板がつくと俄然燃える

これは要するにキャバクラと一緒だ。ナンバー1の売れっ子キャバ嬢と同伴することを来年の目標に掲げる男性は多いだろう。それは男のステータスであり、ついついわかりやすい数字に心を捉われてしまう哀しい性(さが)でもある。

AKB48のメンバーたちは、総選挙なるシステムによってランク付けされる。総選挙において投票するのは無論彼女らのファンであり、そして投票用紙は有料である。シングルCDを1枚買うと1票が付与される仕組みだ。この仕組みのもと、ファンたちは血眼になってCDを買い漁り、お気に入りのメンバーに投票を行う。であるから、AKB48のランクはつまり、ファンからの貢ぎ物の量によって決まるということに他ならない。一番貢がせたやつが勝ちなのだ。

世の中に貨幣ほど客観的な尺度はなく、ファンからの貢ぎ物によってつくられたランクは客観的かつ重要な意味を持つことになる。そうしたランクにおいてナンバー1になることが特別な意味を持つことは論を俟たない。

証券化商品との類似性

上記2つの特徴は、端的に言えばポートフォリオとトランチングである。

証券化商品について、その裏付けとなる資産が実は相互に関連するものであっても、それがたくさんあるだけで何故かリスクが分散されているような気になってしまうのは、現代ポートフォリオ理論という概念の前に投資家の脳が麻痺しているからに他ならず、イチかゼロかにしかならないような資産を裏付けとして発行された証券でも、シニアローンと聞くとエクイティよりもリスクが低いような気がしてしまうという現象については、何とかと煙は高いところが好き*2という理由以外に思い当たる節はない。

証券化商品と比較してAKB48に足りないのは保証会社による保証くらいのもので、それさえあれば前田敦子大島優子にはJCRくらいであればAAA格が付き、農協あたりが間違えて投資してしまうだろう。

CDO48

このように考えると、AKB48関連ビジネスの次の展開も自ずと明らかになる。

いま、AKB48に続きSKE48NMB48などの類似商品が次々とリリースされているのは、単なる2匹目のドジョウ狙いではなく、明らかに次の展開に向けての布石である。次の展開とは、他でもないCDOの組成だ。

AKB48SKE48NMB48などの各チームからメザニントランシェ的な微妙なメンバーを寄せ集めた新チームを組成し、さらに分散されたポートフォリオを演出するのだ。新チームの名前は是非CDO48にしてもらいたい。CDO48でも当然貢ぎ物によるランクをつけ、そこで1位になったメンバーについては、ナンバー1としてそれなりに売り出す。するとどうなるかというと、完全にイマイチだった女の子が、結果的にトップアイドルに変身することになる。

これはリスクロンダリングならぬ、アイドルロンダリングなのであって、まさに現代の錬金術である。米金融業界が狂乱したこの素晴らしい仕組みを応用し、全部自分の懐に入れてしまおうというのだから、秋元康氏のマネタイズ・パワーには心底感服する他ない。

*1:ご存知の通り、今年のシングルチャートはAKB48の他はすべて嵐という素晴らしい状況である

*2:貸借対照表上、シニアはエクイティの上に来る

日本の産業政策にみる和の心

経済産業省の「日本の産業を巡る現状と課題」という資料が各所*1で話題になっていますが、以下のスライドはなんだかいろんなものが凝縮されていて特に面白いですね。

*1:「[http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51664645.html:title]」、「[http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51387194.html:title]」、「[http://rionaoki.net/2010/03/3448:title]」

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JALで儲ける

今朝RSSリーダーを開いたところ、次の2つの記事が上下で並んでいた。

asahi.com(朝日新聞社):日航株主優待券「たたき売り」 金券ショップに大量流通 - 社会
asahi.com(朝日新聞社):日航のマイレージ・株主優待券を保護 支援機構方針 - ビジネス・経済

これ、買ったら儲かるんじゃなかろうかw


4カ月前の3分の1以下」の値段で叩き売りされているらしいので、今買って落ち着いた頃に売れば実に3倍になる計算である。

市場では本日も70〜80億のJAL株が取引されていたようだが、株主優待券はたぶん一般債券なので株式よりも優先されることは間違いなく、投資対象としてよほど有望かも。

支援機構がちゃんと方針を出しているのだから、そうやすやすと紙くずにはならないだろうし、そうなる不安がいまよりも増大することはないのではなかろうか。

今年5月末が期限のようなので、期限が近づくにつれ当然に市場価格が下がることを考慮する必要はあるだろうが、そんなに悪い賭けでもないかもしれない。

まあ、私は面倒なので遠慮しておくが。