暇だから、モラトリアムの京大生のひとりごとに返事してみる

elegantly cruel. @ d.hatena
これね。まあはてブでもコメント書いたんだけどね。

id:elegantlycruelさんへ

あのな、
フリーでもな、社会とかかわっていかなきゃ生きていけねーだろ?
でな、社会ってのはまさにな、分業なんだよ。
お前が嫌いな、な。


お前が食う食いモンは全部お前が自分でつくんのか?違うだろ?
病気になったら?医者行くだろ?
仕事ってなんだ?社会で分業することだろうが。
まあ、finalventさんが言ってたんだけどな
会社とフリーの違いはな、そういうでっかい社会に個人で直接つながるか、会社のトップがつながったその下にぶら下がるか、だよ。


従業員はただの労働力ってそんな悲しいこと言うなよ。
大体あってるけど。
でも会社にとってな、従業員の数ってその会社の力なんだよ。社会におけるな。
うちの会社はこんないっぱい人生背負ってまっせ、ていうのはあんまり近代的じゃないけど、やっぱ説得力あんのよ。
政治だって数だろ?
一緒だよ。権力ってのは要は数なんだ。


フリーはさ、基本一人だろ?
ほとんどいないのと一緒だよ。社会的には。
絶対寂しいと思うぜー?
会社の平社員はでっかい社会から見たらほんと米粒だけど、一応それでも会社の中での立場があるから救われるんだよ。
フリーってそれがないってことよ?
体感温度的には、会社の一社員よりよっぽどゴミ扱いだよフリーなんて。
結婚すりゃまだましかもしんないけど、独身のフリーってたとえ死んでも誰も気づかないよ?平気?想像できる?


そういう厳しい環境が自分を鍛えるとか中学生みたいなこと言ってっと、一生フリーで自分のケツたたき続けなきゃいけなくなっちゃうよ?うちの親みたいに。
そんな大事なこと、大学生の身で決めちゃっていいの?
行けるんだったら大企業でも行って、組織の作り方くらい学んできたら?
フリーになるよりよっぽど脳みそ鍛えられると思うけど。


だからお前がいまな、まじでフリーデビューすると、お釈迦様の手のひらの上の孫悟空みたいになるんだよ。
だからみんな心配(?)してんの。


どう?わかった?


と、勢いで書いちゃったけど、何も反応なかったら恥ずかしいから消すからね(何か反応してね)。

ホームレスに人権があるだなんてただの屁理屈だよ

図書館がホームレス排除に苦心しているとかいう件についての私からの提案
こちらのエントリへの応答として。で、私の主張はタイトルのとおり。

ホームレスを生み出した社会の成員でありながら、ホームレスを「公共空間における悪臭」としてしか捉えられないとすれば、それは恐ろしいことです。

違うよ。ホームレスを「公共空間における悪臭」として(でもなんでもいいからとにかく)「排除」することによって、世の中が成り立ってるんだよ。人間は神の前でみな平等という考え方は、もしかしたら世の中の本質かもしれない。しかし実存は本質に優先するのだ。

ホームレスは納税してない? この勝谷とかいう人何言ってんの? 課税最低所得額っていうのがあるんだよ。*4金ない人は税金なんて払わなくていいんだよ。国家は会員制のスポーツクラブか何かか? 違うだろ。納税と生存権保障を勝手に結びつけるなよ。まあいずれにせよ消費税くらいは納めてると思いますけど。

確かに国家は会員制のスポーツクラブではないが、福祉施設でもない。ただの権力だ。国家による生存権保障っていうのは権力を維持するための、ただの手段だよ。それが世の中の真理だから国家はそうせざるを得ないのではなくて、それが権力を維持するのにたまたま都合がいいから利用しているだけ。


この人の主張は要はホームレスにも人権があるに決まってるのに国家がそれを保障しようとしないのはおかしい、ということだと思うが、そもそもホームレスに人権があるとする根拠が疑わしいし、仮にあったとしても国家がそれを保障する言われはない。


プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)において、ヴェーバーが解き明かしたことは、資本主義の精神の根底には労働自体を善とするような道徳観があるということだ。ホームレスとはつまり、労働をしないという意志の象徴的存在であって、概念としての非道徳、即ち悪なのである。そう定義づけないと、道徳的に労働に勤しむ人を正当化できない。非常に単純な包摂と排除の関係である。
そしてこのことは、フーコー狂気の歴史―古典主義時代におけるにおいて描いた図式ともまったく等しい。ホームレスは現代の狂気であって、彼らが非難されるのは単に臭いからというだけでなく、道徳的規範に外れているからなのだ。これは社会が道徳的規範を維持するうえで必要なことだ。これが、ホームレスを排除して初めて世の中が成り立っていると言った意味だ。


人権なんていうものがどこから出てきたかというと、これもフーコーが著書知への意志 (性の歴史)で明らかにしている。即ち、人権とは近代国家が権力を維持するために生み出した概念である。フーコーは近代国家の特徴は、それが生を与える権力であることだとする。これは要は羊飼いと羊の関係と一緒で、羊飼いは羊に生を与えるが、それは羊を思ってのことではなく、単に羊飼いというシステムを維持するためのものだ、ということである。そしてこの生に対する渇望こそが、しばしば人種という概念と結びつき、民族浄化の思想へと発展し、大量の殺戮を生み出すことになるというのが近代国家の矛盾である。

国家がホームレスを承認するということは、単に経済学的にフリーライドの問題を生むだけにとどまらず、ホームレスの排除によって成り立っている社会秩序を崩壊せしめ、その社会の構成員の生を奪う側面を持つ。しかし、権力を維持する前提として、基本的人権の存在を唱えざるを得ないのだ。


ホームレスにも人権があるというのは、まったく自明ではないと思う。ホームレスが道徳的規範からはずれた概念であることは確かだし、それを「排除」することによって成り立っているものもある。一方で、国家が提唱する人権とは、その系譜から、そもそも構造的に矛盾したものだ。

ということで、単に憲法に書いてあるからという理由でホームレスの人権を主張するのは、国家の構造的矛盾を指摘する意味合いは多少あるとしても*1、本質的な議論としては空気が読めてないただの屁理屈のように感じる。



※追記(9/1)
あまりにも読者様方の誤解が著しいので結論を補強すると、
(1)ホームレスという概念が社会的に排除されることは必然的であって、(2)人権という概念は国家が生み出した欺瞞である。(3)よって、「ホームレスに対する保障を強化しろ」という類の言説はそういう国家の欺瞞に乗じた単なる屁理屈であり、(4)そんなことをしても国家の暴力性が助長されるだけである。(5)じゃあどうしたらいいのかっていうと、社会を強化する(みんなで考える)しかないよね(佐藤優【送料無料】国家論 [ 佐藤優 ]」)。
と。


おそらく、という明らかに、(4)と(5)を自明解に位置づけたのが誤解を生む最大の要因*2だろうが、一応わざとそうしたということはご理解いただけるとありがたい*3


※追記の追記(9/1)
『(2)人権という概念は国家が生み出した欺瞞である。(3)よって、「ホームレスに対する保障を強化しろ」という類の言説はそういう国家の欺瞞に乗じた単なる屁理屈であり、』の2つもおかしいというか、極論過ぎて意味わかんないですよねたぶん。言いたかったのは、「国家が生み出した、国家の維持を目的とした単なる欺瞞以上の意味を持ち合わせない『人権』」という概念がしばしば振りかざされているように見える。ということです。


そういう欺瞞じゃない人権についてみんなで考えよう、という中二的なメッセージを伝えたいがために敢えて書かなかったんですが、やっぱりどう考えても伝わらないので、追記で補足します。我ながら野暮です。まだまだです。


※たくさんコメントや反応をいただいたので、回答を別エントリにしました。(9/2)

*1:意味はあるが、いまさら感もある。

*2:当然私の文章力のなさもあるのは認識してるから、「文章力のなさを棚に上げんなwww」とか言わないでね。

*3:「負け惜しみwww」とか言わないでね。