社会と個人と経済

この辺の記事が面白かったのでメモ。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/a02573887ab466cdeb6f8f5ee1a11447
http://www.tez.com/blog/archives/001198.html
http://blog.goo.ne.jp/kitanotakeshi55/e/a35ca2b710385448edb94bd29b18b584
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20071209/1197232409

以下、感想とまとめと考えたことを列挙。

池田信夫先生は釣りの上手いブロガー以外に経済学者という側面を持っていた。

・日本社会は、個が相対的に規定される社会l欧米社会は、(神という絶対的な尺度を個が共有することで、)絶対的に個が規定される社会

・これはつまり、社会の大きな価値観が、その社会を構成する個を強化するということか。さらに言い換えると、社会の価値観と個人の価値観との相対的な距離が個人を規定するような状況のことを個人が確立した社会といい、個人間の地位や思想などにおける相対的な距離がそれぞれの個人を規定するような状況のことを個人が確立されていない社会というということか。

・市場経済の発展には、社会の構成員が絶対的な個を有することが必要∵個が不在のなかでは本質的に交換が成り立たない

・しかしながら、日本は経済的に成功していないのか?ちょっと前まで世界2位の経済大国だったと思うのだが。市場主義ではなく官僚主義による経済成長だった?

・『原子的な強い個人という近代西欧の人間像はきわめて不安なもので、「安心」を求める人々の自然な感情にはフィットしない。多くの人々がそれに違和感を抱き、「ネオリベ」を敵視する気持ちもわかる。しかし幸か不幸か、それがもっとも効率的なシステムであり、インターネットはこの一面的な人間像をさらに急速に世界に広めている。それに抵抗することは、もはや残念ながらドンキホーテ的な試みでしかないだろう。』
 
・もっとも効率的なシステムであるという「それ」とは、強い個に根ざした資本主義/市場主義のことを指すものと思われるが、それはほんとにもっとも効率的なのか。Japan as No.1は無視でいいのか。さらにそれは未来永劫変わらないのか。
 
・「神は死んだ」のである。近代西欧はまだしも、現代西欧の人間像は何によって担保されているのか。絶対的な個が文化として、慣習として個人に根付いているのか。
 
・結論が梅田望夫氏みたいでなんだか気持ちが悪い。日本人もみんな欧米人みたいに個を発揮しようよ、肩書きなんか気にすんなよ、実名でブログを書いて積極的に発信しようよ、自分を信じろ、好きを貫け、肉を喰え、そうじゃないと外人みたいに強くなれないよ、というのは単なる思考停止ではないの。

・問題は、上に書いたように、社会が大きな価値観を提示しない限り、個人というものは強化され得ないし、そもそも発揮され得ないということではないのか。キリスト教が、人間は神の前でみな孤独であり、信仰によってのみ幸福は訪れると謳ったように、社会が大きな価値観をある意味で押し付ける必要があるのではないの。逆に言えば個人に対して単に強い個人を持てといってもそんなもん無理だろたぶん。

・現代を支配する、もっとも強力な価値観は資本主義だろう。確かにそう考えると日本社会は、資本主義を絶対的な価値観として受け入れていない。金儲けを良しとしない既存の倫理観との折り合いをつけることに成功していない。これによる社会の不安定さが、日本社会において個人が発揮されない原因かもしれない。一方で欧米においては、資本主義という価値観が今後も力を発揮し続けるという保証はあるのか。

・インターネットは手段であって価値観ではないという気がするんだけど、どうなんだろう。いやでもそうか待てよ。WEB界隈の技術者コミュニティが価値観をある程度共有してるのはひとつの社会なのか。

社会の単位は国家ごとの縦割りからグローバルな規模に拡大し、ジャンルは細分化されていくのか。細分化された社会がグローバルに偏在することを可能にするのは、手段としてのインターネットで、かつある社会においてはインターネットというのは価値観なのか。

・わかった。だからこういうことだ。インターネットを使え。共感できる価値観を持った社会に参加しろ。なければつくれ。所属する社会との関係で個人を確立して、市場経済に参加しろ。

・ついでにもうひとつ。日本という社会はだめだ。あそこには共通の価値観がない。