恋愛と家庭について語ってみる。

この辺を読んで思ったこと。
・もう家族になったのだからセックスをする気になれない
・離婚して1年して思うこと
・2年半の結婚生活から学んだこと

結婚して4年目。2人の子供がいる身として、この人たちの言ってることはよくわかる。それが男側に訪れるのか女側に訪れるのかは別に、結婚して子供ができると2人の関係というのは絶対変わると思う。話は単純で、2人っきりではなくなるから。恋愛は利己的で、しばしばお互いの快楽を追求した結果として成就するものだが、結婚というのは、子供をもうけることを前提に考えると、家庭というひとつの社会をつくり運営することであって、特に親の視点からするとかなり利他的な営みが本質となる。そうした本質の移り変わりのなかで、その主体である男女は、恋愛期におけるお互いの関係を維持できないケースが大半なのだろう。

思うのは、家庭を維持・統治するという目的を考えると、夫婦間の恋愛感情は確かに有効かもしれないけど、決して唯一の方法ではないということ。有効といったのは、家庭内の雰囲気を良好なものに保つということであって、セックスをしないと良好な雰囲気を築けないということはなかろう。人間同士が良好な関係を構築・維持するに際してセックスが必須だったとしたらそうれはもう大変な話だ。お互いに対する気遣いであったり、そもそもの相手に対する興味、相手を不快にさせないためのルール。必須なのはむしろそういったものだと思う。

歴史をさかのぼると、古代のヨーロッパなどでは、父親というものは家庭に快楽を持込まず、家庭の外で愛人をつくることがよろしいという道徳観がマジョリティであった時代もあったらしい。これはおそらく、家庭という社会の統治者がその権威を保持するためには、その社会の構成員に対して快楽を求めるということはまずいよ、ということだろう。

今の世の中でこんな価値観を啓蒙すると、女性から手痛い反論を受け、ロクなことにならないのは容易に想像がつく一方で、家庭を社会と捉え、その社会の再現可能な持続性を考える場合、私は実に合理的な価値観であると思ってしまう。強い社会が強い子供を育てるには、やはりその社会にとっての安定した権威が必要だと思うのだ。古くから日本に伝わる「浮気は甲斐性」という言い訳じみた価値観も根っこの部分は同一かもしれない。


だから結局、恋愛と結婚というのは、基本的に分けて考えるべきなんだと思う。
ここでたぶん現代の問題、つまり上で紹介したような悩みが存在している理由は、恋愛の文化的な側面が強くなりすぎて、結婚の文化的な側面を支配し始めていること。
私の理屈では、恋愛の本質は性的欲求などの利己性であり、結婚の本質は社会が社会を強化するための方法論である。それぞれがそれぞれの本質どおりの認識をされていれば、それぞれが混同されることはまずない。
しかしいまや恋愛は文化となった。好いた好かれたが様式化され、その過程は細かくルール化され、TVドラマとして量産された。恋愛は中高生をはじめとして、現代人の多くを支配する圧倒的な価値観となったのだ。
そして、恋愛という一連のプロセスのひとつのゴールとして結婚が位置づけられるようになり、あたかも結婚は恋愛の延長でなければならないという価値観が世の中を支配した。恋愛から結婚への移行は、恋し、愛する対象が増えるだけという捉え方がなされた。
しかしその捉え方ではセックスレスの時期(たとえそれが一時期だったとしても)を乗り越えることは難しいのだろう。恋愛が結婚生活の必要条件になってしまっている限りでは、セックスの消滅が、恋愛の終焉を意味し、結婚の意味合いをも消失させてしまうからだ。


だから、上で紹介したブログの結論、「「自分が」夫婦であろうと努力」というのは、きっと、結婚及び家庭を恋愛の延長としてではなく、それ自体として捉えなおすという努力なのだと思う。


まあちゃんとした大人はみんなそうしてるんだと思うんだけど。