学歴とか社会とか

なんか流行ってるみたいなので、こっそり便乗して書いてみる。
リンクを貼るのはさすがに便乗感丸出しすぎで、シャイな私にはちょっと恥ずかしいので控える。


いや思うんだけども、学校という仕組みがそもそも、バカがそれでも人並みに生きていけるようにとつくられた、バカのバカによるバカのための仕組みなんじゃないの?

だから確かに、学校行かなきゃ生きて行けないようなバカはバカだけど、世の中みんなそうだから。

しかもそのバカの頂点がだよ、官僚になって国家組織の中枢にいて、その仕組みで勝ち上がったことを自らのアイデンティティにして、その仕組みを推進する仕事をしてるんだから、それをかえようとかどうにかしようとかっていうのはそりゃ無駄な話。それこそバカバカしいよ。


日本という大きな社会は、たぶんすごく引いた目線で見てみると、たった一つの大きなヒエラルキーなんだと思う。官僚主義的な。だからそのヒエラルキー(≒日本社会)に所属している人っていうのは、大学生だろうと会社員だろうと社長だろうとみんな官僚。例えば会社員が出世して社長になるっていうのは、たぶんなんとかコーガイ的な価値観だと愚の骨頂で、またなんか労働者と経営者では求められる能力がまったく違うとか言い出すんだと思うんだけど、それが是認される社会なんですよ!

官僚主義についての私の定義なんかはこちら

要は日本社会の構成員と、日本国民は微妙に違うわけ。日本人でも、日本社会に属したくないという、いわゆるはみ出しものみたいな人も当然出てくる。そういう人は日本国民だけど、日本社会の構成員ではないと、ここでは言う。


で、冒頭に書いた「バカ」ってのは、全然悪いとかそういう意味じゃない。なんてゆうか、真面目とか、堅実とか、なんかそういうこと。

日本に生まれながらにして、日本社会という「レール」から勝手に飛び出して、独自の価値観で個を確立して、けものみちを突き進んで、不安定に生きる。それが賢い生き方だと思うか?そんな生き方を例えば自分の子供にすすめられるか?無理だろjk。「ちゃんとレールがあるから、そこを歩きなよ」っていうのがまともな親で、そうしてできるのが学歴エリート。だから私はそういうエリートたちの選択について、それがバカバカしいとかそんなことはまったく思わない。自分はバカだから大学にでも行くかというのは、至極まっとうな、かしこい選択だと思う。


というのは、前々から思っていたこと。


それで、今回上で書いたようなことを、いろいろな人がいろいろな言い方をしているところを見て感じたのは、最近は例えば会社なんかでも、自分たちは従来型の伝統的な日本社会のヒエラルキーから抜け出ましたよ、と自認または宣言する会社が増えているのだろうな、ということ。そもそも日本に外資の会社が増えていて、彼らは当然そういう価値観は持ち合わせないから、日本に外資の会社が増えるほど、学生さんなんかから見た「会社」っていうのは、どんどん旧来型の価値観が伝わらなくなっているように見えるのだろう。

さらに、外資の特に金融業界などは、(すでに崩壊したようだが)米国の信用バブルの煽りで、かなり華々しい、きらびやかな活動をしていた。

学生たちも、旧来型の価値観のなかで、ひたむきに大学生活をすごしているにもかかわらず、そういうきらびやかさにうっかり惹かれてしまうから、そこで自己分裂を起こしてしまうのだろう。「自分はエリートなはずなのになぜ受け入れられないのだろう」と。

違うんだよ。君たちは折角歩いてきたレール(≒日本社会)からはみ出さないようにすればいいだけなんだよ。
君が思い描く、君を受け入れないエリート像っていうのは、それは違う社会のものなんだよ。君の社会には君の社会のエリートがあるんだ。隣の芝生ってやつだよ。


上で例えばとして書いた外資の隆盛は、日本社会の崩壊というか相対的な縮小の一因だと思うが、もうひとつの要因はインターネットだと私は考えている。

近代的な個を確立したマッチョ的なはみ出し者、いわゆる強者であっても、その確立は個人単体ではやはり成しえない。そこにはやはり何らかの社会を必要とするのだと思う。

自己を確立するにはどうしても相対性が必要で、であれば何らかしら社会に所属してその社会の価値観との距離感を測らないと、自分というのは何者にも成らない。価値観を否定するのではない。共感して、そことの距離感をはからないとならない。

そして、インターネットは、従来社会を構成するうえで最大の制約条件となっていた地政学的な条件を撤廃したわけだ。

日本社会ってちょっと窮屈だし、官僚的でなんだかまどろっこしいよねと思ってひっそりとなりを潜めていた人も、インターネットを開けばそこには無数の社会があり、どれでも好きなやつに参加していけばいい。

どの社会にも固有のルールがあるし、ときには言語の壁もあるから言うほど楽じゃないけど、ネットがなかった時代と比べたら、天と地だ。


こうして、ネットに触れ、自分にあった社会を見つけた人から順に、「まだ日本社会みたいな窮屈なところで自分を押し殺してんの?好きを貫けよ。」みたいなことを言い出す。

アルファブロガー」とよばれるような人種は、そろいも揃ってマッチョみたいな価値観が多いわけで、あれはきっとWEBとかITとかの価値観を共有するおんなじ社会の人たちなんだよね。

私はそれはそれで結構なことだと思うが、ちょっと待てと。無意識にかつ受動的に日本社会を生きている人に、いろんな社会があるよと気づかせて回るのはまだしも、日本社会って要はバカばっかりだよね、とか言って不必要に煽って楽しむっていうのはどうなんだ。

それってただの暴力だろ。イスラム教徒がキリスト教徒に向かって、お前らの神は神じゃない!悔い改めろ!とか言うのと一緒だよ。不毛だろ?


そんなこんなで、要はいいたいのは、日本社会の構成員養成システムである大学をはじめとする学校に対して他の社会でもやっていける人間を教育しろとか、もしくは他の社会に対して学卒をもっと評価しろとか、そんなこと言ってもただの時間の無駄。
時間が経てばそのうちきっちり棲み分けると思うよ。
まあ、イスラム教徒とキリスト教徒の叩きあいは全然収束の目処もたたないけどさ。。

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