恋愛至上主義へ

目次:非モテについて勉強してみた - よそ行きの妄想


近代的個の確立と功利化 - よそ行きの妄想で述べたとおり、恋愛主義はある意味では功利化されることによって普及した。

しかしながら、極端に功利化された恋愛主義(恋愛資本主義)は、”三高ブーム”(高学歴、高収入、高身長)などを生み出し、ひとつの完成形にいたる一方で、行き過ぎた功利性やその背後にある利己性に対しては批判が巻き起こった。恋愛はそもそもロマン主義的な理想をもって生み出され、価値観として普及した概念であったためである。

恋愛至上主義社会論 | 考えるための書評集
90年代に「純愛ブーム」が起こったとき、一方では「三高ブーム(高収入・高学歴・高身長)」が起こった。恋愛結婚への経済功利主義に対する不信という流れで見てみると、これはシャブのように切れる効き目を何度も打ち直さなければならかったということが見えてくる。カネにとち狂っているのに、一方ではこれは「純愛」だと何度も主張しなければ自らを納得できなかったのだろう。恋愛結婚と功利結婚はここで必死に抗争していたのである。

これはつまり功利主義的な世相に対する、ロマン主義の復権を求める抗争である。

抗争の結果、上述した功利的な恋愛観は結婚と結び付けられ、結婚という概念がその高潔さを失う一方で、功利的な要素を取り除かれた恋愛という概念は非常に純粋な感情として再定義されたのだと思う。そうすることによって現代社会に見られる(純愛としての)恋愛信仰は完全に成立した。

恋愛信仰の成立によって、恋愛の商業化はさらに加速することになる。表面的な経済性(それ自体における紙幣との兌換性)は薄れたものの、恋愛はさまざまな楽曲や映像などのコンテンツを営利化させることに成功した。恋愛主義は恋愛的なものに対して次々と価値を与えていったのである。そうしたコンテンツはさらに一層恋愛主義を社会に浸透させることとなった。


なお、結婚のマーケットが縮小したのもこの時期である。下のとおり、恋愛の経験が結婚のそれを代替してしまったことによるものや、結婚が恋愛の結果のひとつに成り下がることによる恋愛下手の結婚困難化などもあげられるが、そもそも結婚のイメージが功利的になり、理想主義者がそれを嗜好しなくなったことも大きな影響を与えていると考えられる。

山田昌弘『結婚の社会学――未婚化・晩婚化はつづくのか』
「男女交際」のあり方の変化が、結婚難をもたらすロジックを考察している。1970年頃から始まった男女交際の活発化の代表的な原因として、以下の4つをあげている。
1 女性の社会進出
2 青年の意識の変化
3 青少年の経済的余裕の発生
4 匿名性確保の手段の発達
さらに、男女交際の活発化が結婚難をもたらした理由を3つあげている。
1 恋愛と結婚の分離
2 もてる人ともてない人の階層分化
3 もっといい人がいるかもしれないシンドローム
「恋愛と結婚の分離」については、テレビドラマで描かれている恋愛の変化からも分析している。男女交際が増えると、選択肢が増える。選択肢がおおくなったがゆえに、もてる人ともてない人の階層分化という形で、結婚相手としても考えてもらえない層が出現することが結婚難の一つの原因である。

このことは、結婚のリアル化と恋愛の幻想化が同時進行したともいえる。


この段階で恋愛は、自らを価値として定義していた結婚を凌駕したのである。恋愛は結婚より出でて結婚よりも純潔なものとなったのだ。恋愛にとって結婚は目標ではなくひとつの結果になった。

いずれにせよ、汚れた価値観を取り除かれ純粋化された恋愛という価値観は徐々に絶対視されるようになり、恋愛の名目のもとであればおおよそ何をしてもよいという風潮を生んだ(恋愛自由主義、恋愛至上主義)。


すごくわかりやすい図式

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