正解を選ぶことは常に不安を伴うもので、勇気を必要とする。

今日道を歩いていて突然思いついた話。タイトルは適当。

例えばドラクエをやっていて、ダンジョンに迷い込んだとする。別れ道だ。右か左を選ばなくてはならない。こういうときになんとなくの直感が正解を告げるときがあって、そういう直感って結構あってるものという経験則があるのにもかかわらず、告げられた正解とはついつい逆の選択をしてしまう。こういう心理をなんて呼べばいいんだろう。

そもそもこれって共感を得られるものなんだろうか。。私だけ?

とりあえず一般的かどうかはおいておいてそういう心理の合理性について考えたのは、多分不正解を選んだほうが正解が「早く」わかるからではないだろうか、ということ。不正解の道はしばしばすぐに行き止まる。正解を選んだ場合は、不安な時間が相対的に長いことになる。
それから、正解の道は必ず通らなければならないが、不正解の道は正解の道を選択した場合は通らないことになる。正解を選ぶことで、未知の部分という不安を残すことになる。


そう考えると、敢えて不正解を選ぶという心理は合理的なような気もするが、特に最初の論点については、真偽を「早く」知りたいがために、結局総合的な時間を無駄にしてしまっているような気もする。

もしものとき、ここぞというときは、正解だと思う道を迷わず進めるかどうかで結構差が付くんではなかろうか。