低所得者が差別されて生存権すら奪われることの「仕方なさ」

少し自分語りさせていただくが、私は高卒でコンビニバイトだった。

はっきり言って正社員になりたいとか本社勤務でどうこうとか、そういうのはまったくこれっぽっちも考えていなかったが、ただなんとなく、お金がないと生活できないし、バイト仲間もできて楽しければいいかなと思ってバイトをはじめた。にもかかわらず、我が国の社会はなぜかサービス業としての自覚に溢れる高潔な倫理観を賞賛し、しかもその社会はこともあろうか我々にもそれを求め始めた。やれ笑顔で接客だ、ちゃんとした敬語だ、タバコの番号を覚えろだと、それこそバイト仲間と仲良くする暇もないほどに。想定とまったく違った状況に辟易した私は正直慢性的にうんざりしていたが、バイト辞めたら生活できなくなっちゃうかも的な資本主義社会特有の強迫観念にかられたこともあり、一応だらだらとバイト生活を継続していた。

するとどうだろう。ある日突然客とそれに伴って店長がブチ切れたのだ。「ただレジ打つだけの、サービス精神のないやつはやめろ」と。このセリフは、今でもはっきり覚えている人間時代のショック体験ベスト5に入る。面喰う私をよそに「ウィス!」みたいな気合入った返事を返すバイト仲間たちを目の当たりにして、当時十分な視野の広さを持ち合わせていなかった私は「ただ生きるための労働はもうどこにもないのか」と素直にショックを受け、そそくさと自殺するに至った。


■元ネタ
昨日のエントリ

少年野球に見る信仰と戒律 - よそ行きの妄想
少し自分語りさせていただくが、私は中学時代サッカー部だった。はっきり言ってプロになりたいとか高校サッカーでどうこうとか、そういうのはまったくこれっぽっちも考えていなかったが、ただなんとなく、Jリーグも始まったし、ボール蹴って楽しければいいかなと思って入部した。にもかかわらず、我が校のサッカー部はなぜか近所のサッカー好きの大学生かなんかをコーチとして招聘し、しかもそのコーチはこともあろうか我々をしごきだした。やれ筋トレだ、ダッシュだ、マラソンだと、それこそボールを蹴ってる暇もないほどに。想定とまったく違った状況に辟易した私は正直慢性的にうんざりしていたが、部活辞めたらみんなに仲間はずれにされちゃうかも的な中学生特有の強迫観念にかられたこともあり、一応だらだらと部活動を継続していた。
するとどうだろう。ある日突然コーチがブチ切れたのだ。「遊びでやりたいやつはやめろ」と。このセリフは、今でもはっきり覚えている少年時代のショック体験ベスト5に入る。面喰う私をよそに「ウィス!」みたいな気合入った返事を返す部活仲間たちを目の当たりにして、当時十分なシニカルさを持ち合わせていなかった私は「みんなそんな真面目にやっていたのか」と素直にショックを受け、そそくさと退部するに至った。

に対するブコメ

http://b.hatena.ne.jp/Rikerike/20080924#bookmark-10136504
Rikerike [スポーツ][教育][社会][あとで読む] 「好きで入ったスポーツ部が将来の職業及びそれに関わる職業になる可能性だってあるしその為に子供の時に鍛えなきゃならんだろうし仕方ないかと/そういや昔日本のコーチは厳しいと言われていたが今はどうだろう?」


そう。仕方ない。冒頭のお話でいえば、「サービス精神」で飯を食ってる人がいるんだから、それを望まない人に押し付けてでも序列をつくることは「仕方ない」ことなのだ。誰かが価値を得るには誰かの価値を奪わなければならない。価値は相対的なものなのだ。


我々はそうしていくつも尊い犠牲のうえで価値を得ている。そんな我々が彼らに対して一体何をすればいいのだろう。
ひとつは、道にバナナをたくさん植えて、働かなくても生きていけるようにすることだろう。そしてそれを勝手に食べてるやつを見つけたら、見てみぬふりするのが優しさだと思う。勝手に食べるなと注意するのは本末転倒だし、持っているりんごを与えるのは少し残酷だと思う。