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はてな村揉め事観察日記 −はてなブックマークネガティブコメント問題編−

雑談

letterdustさんによる、第三者であるMidasさんを嫌いと公言しつつMidasさんの言説を(自らの知見をもとに)アスペルガーと括りつけて言及し、その行為の道徳性に言及されるや否や自身のADHDという障害をまるで免罪符のように持ち出した挙句、しまいには障害者全体に対する逆差別的な理解を周囲に強要するという、実に縦横無尽かつ自由奔放でウンコ投げまくりな件に関連して、当のletterdustさんはもとより、俄かにletterdustさんを擁護するかのような姿勢を見せたy_arimさんと、たまたま通りがかったkyo_juさんまで増田で絡まれてる事件が、面白い。

以下は、どちらかというと増田側に対する反論。

一番面白いのは、文句なくこの増田さんの記事だが、すっかりy_arimさんがletterdustさんを擁護したことになっている。これはおそらく、ぽまの人のこの記事を誤読した結果だろうと思うのだが、このぽまの人の記事は(タイトルのとおりではあるが)y_arimさんがletterdustさんを擁護するつもりであると仮定した場合、または擁護しているかのような印象が周囲に浸透してしまった場合の懸念を記述しているに過ぎない。私はこの件をストーカーさながらにほぼ100%フォローしている数少ない人物のうちの一人を自称するが、y_arimさんは確かにオフ会の空気への悪影響についての懸念のようなものを数度表明したものの、letterdustさんを擁護するスタンスを明確化させているわけではない。

はてなブックマークでの暴力的な罵詈雑言はしばしば問題視されるようだが、まさに今回の件が明らかにしたように、はてなブックマークといえども常軌を逸したような発言があればid制によって糾弾されるわけで、このことははてなブックマークがただの誹謗中傷行為の温床になってしまうことを今一歩のところで防いでいる(つまりは顕在的または潜在的な糾弾によって単なる誹謗中傷者の信頼を低下させている)といえる。しかしここで、例えばy_arimさんのようなカリスマが、そうした行動を擁護するある種のセーフティネットとして機能してしまえば、村は誹謗中傷者で溢れかえり、無法地帯として廃墟化してしまうだろう。当然そのようなことが続けばy_arimさんの言説自体が徐々に信頼を失っていき、セーフティネットとしての機能は喪失し、無法地帯化は杞憂に終わることになるが、その図式自体をどこかで明るみに出さない限り、第2第3のセーフティネットが次々とあらわれ、次第に恒常的なものになる可能性は高い。こうした惨状を回避するために、回答の有無は度外視しても、とりあえず問題を提起しておくというぽまの人のスタンスは、批判されるべきものではないだろう。

ちなみに、私はこのぽまの人の記事に、『おー!そーだ、そーだ!!純粋な議論を嗜好する我々の立場こそネットのあるべき姿だ!馴れ合いに堕した古参どもを駆逐せよ!!』という見当違いのブクマコメを残しているが、これは議論を煽ろうとして失敗した悲しい残骸なのであまり触れないように。


一瞬話がそれたが、上で紹介した面白い増田さんの記事は、ぽまの人のような問題提起ではなく、y_arimさんのletterdustさんへの無批判というスタンスを名指しで批判するもの、即ちy_arimさんに対してletterdustさんへの批判を暗示的に求めるものであるから、この図式を単純化するとつまり、y_arimさんに対してだけ他のはてなーよりも相対的に多くを求めるという図式になろう。何故y_arimさんだけがわざわざletterdustさんを批判することを強制されなければならないのか。これはむしろy_arimさんのカリスマ性を高める行為であって、もし万が一y_arimさんが個人的利害に準拠する擁護者であった場合の、セーフティネットとしての機能的強度を高めることになるだろう。要は逆効果だ。

この図式は当然のごとく多くの人に見透かされており、同増田さんの記事のブクマには『そんなにありむーが好きなら結婚しちゃえばいいじゃない!』や『こういうんで名指しされれば一人前か。』といったコメントがおどる。(はてなブックマーク - 自分の「障害」を威嚇に使う自称「障害者」を追放するべきだ

ちなみに、一応自分で言っておくと、同増田さんの記事が意識的な極論による火に油目的のただの煽り記事だった場合は、上述の残念なブコメを残した私は単なる同じ穴の狢ということになる。ただまあだからこそ面白いという側面もある。


ところで、そもそもの発端となったletterdustさんの発言についても、まずは誹謗中傷的コメントの是非に限って言えば、それを手放しで批判すべきとまでは、私は思わない。

こちらの記事を書いた冷静な方の増田さんも、

他者を障害者と認定できるのは、専門家が診断に必要な十分な情報を得たときだけで、だからといってそれを第三者に触れ回ることなど問題外の行動である。まして、他者を貶めるために素人に玩ばれていい概念ではない。

と述べているが、私の認識では別に嫌いな相手を中傷することは自然だし、中傷に際してより破壊力のある言葉を選択するのはむしろ周到だ。もしお互い嫌いならば、自然に中傷し返せばよろしい。やり返してみたら実はべジータだったという可能性もある。べジータであればゆくゆくは共に闘うこと、ときにはフュージョンすることさえ可能になるかもしれないのだ。絶好の機会ではないか。

そして、内容も根拠もない単なる中傷であれば、そのコメントの主を突き詰めていくと、その中傷による負担は被中傷者から中傷者の側に華麗に移動することは今回の件でも示された通りなわけで、そうであれば中身のない単なる中傷をスルーすることはさほど難しくない。中傷は諸刃の剣なのだ。中傷者も被中傷者もお互いに相手のダメージを勝手に想像して悦に入ることは可能だ。そして被中傷者はさらに、定期的にあがるネガティブブックマーカー全般に対する批判エントリーに便乗し、ときには自分であげるなどもして、脳みそ空っぽな中傷者に対する優越的な地位を満喫されればよろしい。

逆に、中傷的なコメントのような、ある種のプリミティブな感情を封殺することによって、抑圧の代償としての過激派が登場し、結果として闘争が慢性化してしまうようなことになってしまってはそれこそ村の破滅を早める。まして、被中傷者が誹謗中傷を批判するあまりに、自らが中傷者に対して誹謗中傷的な振る舞いをしてしまうという分かりやすい自己矛盾に陥ってしまっては、目も当てられない。

第三者的には、ここはやはり某匿名掲示板あたりから脈々と受け継がれるネットの伝統、「スルー力」を存分に発揮すべき局面だろう。


前出の冷静な方の増田さんは上記引用部分に続く形でこうも述べる。

まして、その同一人物が同じ「障害」のレッテルを自分に対しては免罪符として使い、周囲には「弱者」への配慮を「処世術」として強いること、その目的のためには障害者一般に「凶暴」という形容詞を使うことを躊躇しないこと、自分はその代表を僭称すること、これらの行為を見たとき、無惨としか言い様がない。

これはまとめとして実に適切だ。無惨という言葉の選択も、隙がない。原文では「まして」と始まる文章が2回続いてしまっているのが残念なくらいだ。反論は難しい。

しかし、視点を変えてこうも考えられないか。

letterdustさんがこれらの無惨な行為を無意識的に行っているのであれば、むしろ一周してかわいげがある。とか。

※私は本件が顕在化するまで、拙ブログにもたまによせられるネガコメを見てletterdustさんはてっきり男だと思っていたが、やり取りを見ているとどうやら女性のようだ(著者推測)。