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生きるとはなにか

半ばポエム(ブロガー症候群レベル6)状態に突入。

「生きるとはなにか」という問いに対して、エンヤ婆は「欲するものを手に入れることですじゃ」と定義した。

この定義はDIO様の言う「恐怖を克服することだ」に論理展開が可能だ。欲するものを手に入れるには手に入らないかもしれないという恐怖がつきまとうだからだ。

そして「恐怖を克服すること」は次のように換言することも可能だろう。即ち「不確実性をなくすこと」と。恐怖の源泉はいつだって不確実性だ。DIO様は石仮面をかぶって「おれは人間をやめるぞJOJOォォォォォォ!!!」したことで、「死」という人間にとっての最大の不確実性を克服したのだ。

「死」という究極的な不確実性はもとより、情報の過多とその通信技術の発達によって人が処理できる限界を超えた情報量がますます世界の不確実性を増加させる中で、一体何が不確実性をせめて減少せしめるのことが可能なのか。

それは「信じること」だろう。信じるのかたちはさまざまで、信仰でもいいし、信頼でもいいし、信用でもいい。なにが違うのかわからないが。おそらくそれだけが、人を不確実性から解放する。

生きるとは信じること。信じるに値するものを見つけることだ。資本主義でもいいし、愛でもいい。ゴルフでもカネでもいいし、エロゲのキャラでもいいと思う。それを信じる力が生きる力だ。

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