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「人」という字はお互いに支えあって(ry

雑談

はっはっはっは』にて、久しぶりに言及していただいているので、とりあえず冗談半分に返答してみる。

私がブックマークで残したコメントは以下。

「人」という字はお互いに支えあって(ryということですね。

はてなブックマーク - chnpkのはてなブックマーク。 - 2008年11月23日

言わずもがな、「(ry」は「(略)」の略だ。では、何を略したか。


「人」という字はお互いに支えあって【いる様を表すんだという作り話はよく出来た道徳的談話としてしばしば用いられるが、それであってもぱっと見で二本の棒の長さもまったく異なるように見えるし、力のバランスは明らかに均等ではない*1。むしろ、一人で自立することができない人間がなにかにもたれかかっているようにこそ見える。この「何か」を知覚的にレトリカルに言い表すとすれば<松葉杖>となるだろう。では<松葉杖>とはなにか。それは、人間にとって不可避である知の欠如を補うものであって、究極的には生存の意義となるものである。我々は本能が欠如しているが故に、最後のところでは何かに支えられないと<生きる>ことができないのだ。

ところで、我々をこれを自らの外に見出すことを求めるが、<松葉杖>は<自然>の中には存在し得ない。例えば拾ってきた木の枝を杖代わりにする場合でも、それは厳密な意味での自然物ではない。人間の観察と意図によってそれは枝から<杖>に代わるという意味で人工物なのだ。<杖>は人工物でなくてはならず、誰かによって<デザイン>され、創られなければならない。これは当然に、<デザイン>する側の人に対しても言えることだ。このことから、次のように言えるだろう。<杖>を<デザイン>する人にとってのその行為は、紛れもなく<松葉杖>であると。

我々は支えあっている。支えられなければ<生きる>ことができないし、支えなくては<生きる>ことができないのだ。】ということですね。


これだけ略して何かが伝わるわけがないという批判もあろうが、その通り。別に伝える気がなかったというだけのこと。


で、上のそもそものブックマークコメントについて、

その喩えだと、近代思想をよく理解していない連中が語っているような「人間味溢れる」という意味での人間中心主義の臭いがしてしまう

はっはっはっは

とのことなのだが、ここでいう「人間中心主義」ってなんだろう。上で明らかにしたとおり、私が残したブックマークコメントはまったくコミュニケーションを意識したものではなかったので、結果として、私が「人間中心主義」的なのかどうかがよくわからないことになってしまった。

動物と人間の区別に固執する姿勢のこと?人間の本質を追い求める試み?

いずれにせよ、近代思想をよく理解していない連中が語るのが「人間中心主義」なのであれば、「人間中心主義」的なメタファーは非常に有効だということだろう。まあ、どうでもいいけど。

*1:http://blog.livedoor.jp/doghand/archives/16899486.html