インターネットユーザーとネコ派の関係

猫好きな人が解せないという増田の記事をを読んで思ったのだけど、確かにオンラインにおける話題のイヌ・ネコバランスは不自然な気がする。

どちらかというとイヌ派である私の認識だと、リアルではネコを飼っている人とイヌを飼っている人の割合は結構イーブンに近いか、むしろ若干イヌが上回っている。先ほどネットで適当に拾ってきたアンケート、『【ワカレメ vol.5】イヌとネコ、どっちが好き?|ニュース|オリコンCSランキング*1でも6:4でイヌ好きが勝っているようだ。900人に聞きましたということなので、まああまり信憑性のあるデータとはいえないかもしれないが、それでも五分五分くらいと言っておけばそう間違いはないだろういう感じが印象としてもある。

ところが、ネットでの話題としては、明らかにネコが多いという事実がある。google検索をしてみても、”ネコ”の検索結果は13,700,000件もあるのに対し、イヌの検索結果は3,260,000件しかない。約4倍の開きだ。画像検索の結果はさらに歴然で、ネコが3,850,000件なのに対して、イヌは僅かに397,000に過ぎない。差は10倍に広がる。「話題」という意味で2ちゃんねるのコピペブログのサイト内検索も比較したが、ネコが6,450件なのに対してイヌはなんと95件である。しかもイヌの検索結果の上位3つはホワイトゴレ”イヌ”とやらについての話だから、これはもうイヌ完敗と言って差し支えなかろう。


さて、認識と現実にここまで大きな差異があるのはなぜか。どちらかが劇的に間違っているのだろうか。私の認識が正確である根拠はまったくないが、かといって10倍もの開きがあるものを五分五分に見誤るほどイヌ派・ネコ派の区別に対して盲目的に生きてきたつもりはない。私は中学まで公立校だったが、公立校は地域と言う最低限のバイアスを除けば、比較的無作為抽出に近い集団だと理解している。そこでもイヌ派・ネコ派議論というのがあった記憶があるから、議論になるということはそれはつまり党派勢力的に五分五分くらいだったのだろう。上で提示したように、若干のイヌ有利を示すアンケートだってある。

一方、ネットで話題にのぼる頻度に関してもこれは単なる検索結果という事実であって、間違っているということは考えづらい。確かに、上で書いたようにホワイトゴレイヌとやらが引っかかったりするので、細かな数字は意味を持たないだろう。しかしあくまでそれは誤差の範囲であって、数百パーセントもの影響を及ぼすものではないと考えられる。そしてそもそも、私が日々ネットを探索している実感としても、確かにネコの話題の方が圧倒的に多いのである。イヌの画像スレなんて立ったことあるのか。


おそらく、世の中的にイヌ派とネコ派は大体五分五分ということと、ネットの話題は圧倒的にネコに関するものが多い、ということはお互い正しいのではないか。少なくとも私の認識はそう告げる。これらがお互いに正しいとはどういうことかと言えばつまり、特にネットで積極的に発言する人は、ネコ好きの人が断然多いということである。そして、上で見たとおり、イヌ派ネコ派の勢力図は現実とネットでかなり大きく異なることから、ネットで積極的に発言する人と、ネコ好きの人との間にはなにかメタ的な相関関係がある可能性があると言えるだろう。

話題を自発的に提供するほどの比較的コアなインターネットユーザーは、社会全体から見てまだまだ一部の層であり、その嗜好が偏っていることを表す事例は他にもある。『日刊スレッドガイド : 日本のWikipedia編集回数ランキング、1位は…』は、Wikipediaで編集回数が多い単語を国別にまとめたものに関する記事である。見ていただければわかるが、アメリカは政治、フランスは歴史系が多いのに対して、日本はアニメばっかりである。このことから言えるのは、日本人が三度のメシよりアニメが好きということだろうか。日本人は政治や歴史に興味がないのだろうか。そうではなくて、日本ではインターネットのヘビーユーザーとアニメを好む人が重なる部分が多いということではないか。


インターネットのヘビーユーザーとはどのような共通的な特徴を持ち得るか。このことを考えるきっかけになったのは『日本のオバマになるべき人がもしいたら、間違いなく2ちゃんねらやってるだろうなという話 - アンカテ』という記事だ。興味深い内容であるし、長くもないのでできれば全文目を通していただきたいところだが、ポイントとなる部分を引用しておく。

日本では、この「ポストオバマ」世代への権力の移行が全く進んでいない。
(中略)
2ちゃんねるというのは、そういう社会の最前線の中で中核を担っている世代の声を代弁している側面もあって、その世代が自分の皮膚感覚に添って組織を動かせていないジレンマが噴出している場所であるようにも思える。

日本のオバマになるべき人がもしいたら、間違いなく2ちゃんねらやってるだろうなという話 - アンカテ

日本社会の大きな特徴のひとつとして、先進諸国にも先駆けて、急速に進む少子高齢化問題に直面していることがあげられる。日本の人口ピラミッドなどを見れば一目瞭然である。アメリカのそれと比較するのもわかりやすいだろう。兎に角、この国の政治的マジョリティは、いまや老人の手中にある。

言いたいことはつまりこういうことだ。インターネットが新しいコミュニケーションのメディアであって、そこに新しい社会が構築されるのだとしたら、その新しい社会に積極的に進出する人種というのは、単にチャレンジ精神が旺盛と言うだけではなくて、既存の社会に何らかの不満を抱いている人種であるはずである。老人がインターネットを敬遠するのは、単に老眼とPCモニターの相性の問題ではない。彼らには、彼らを包摂する、甘美なリアル社会があるのだ。

当然、社会の対立図式は世代だけではないので、一概に言うことは危険だが、実社会において高齢者世代にいつまでも実権を握られ権力の移譲を受けることが叶わない中産階級労働者や、そもそも高齢化や女性の社会進出の煽りで職に就くことすらままならないロスジェネ世代が、インターネットという新しい社会に一筋の光明を見出すことに不自然さはまったくないし、さらに少子高齢化という人口動態の劇的な変化は、日本社会の構造を考える上でも大きな部分を占める問題であり、インターネットユーザーの動態もその因果として発生する面を持つのであれば、その影響は無視できない規模である可能性は十分にあるだろう。

よって、日本のインターネットのヘビーユーザーを概観した場合、次のようなことが言えるのではないだろうか。

  • まず若い。若い世代の方が新しい技術や秩序に柔軟で前向きであることは当然としても、日本はおそらく他国と比べて高齢者のインターネット利用度合が相対的に低いのではないだろうか。上で述べたとおり、インターネットの利用度合は、ある面ではリアル社会での政治・権力状勢の裏返しだと思うからである。
  • そして、旧世代的な価値観を嫌う傾向。若ければ大体そうとも思えるが、おそらく日本において、世代間の意識格差はバブルの体験を境にしてかなり大きい。右肩上がりの経済を生きた人と、デフレ経済の中を生きた人とで、投資に関する考え方がまったく異なるのは自明だろう。前者は相場の好転を無意識的に信じ、それ故投資スタンスはアクティブである。一方後者は、相場の好転をイメージできないため、パッシブな運用を好む。人生を投資と回収の連続だと考えれば、前者と後者の生き方は180度違うことになる。
  • 当たり前だけど、反体制的。旧世代的な価値観を嫌う若者が反体制的なのは当然である。既得権益には人一倍うるさい人がはてなでも数多いのも頷けるというわけだ。


何の話だったかと言うと、ネコの話だ。ネットではネコの話が多いという話だった。
ネコといえば、ネコの「動物言葉*2」は「自由」と「高潔」である。嘘だけど。冒頭で紹介したアンケートでも、ネコ好きの理由として「気まぐれさ」や「気ままさ」をあげる人がほとんどのようだ。一方でイヌはどうだろうか。イヌのイメージは完全に対極的で、「従順」や「忠実」といったものが目立つ。

上にあげた、インターネットのヘビーユーザーの特徴との関連を見出さずにはいられない。ネットユーザーはイヌに対しては旧世代的な秩序に従順な姿勢を、ネコに対しては固体としての快を追求する奔放な姿勢を重ねるのではないか。そうであれば、インターネットのヘビーユーザーがイヌかネコかであればネコを選ぶということは、選択者自身の社会に対する態度・姿勢を考慮すれば、あまりにも自然なことのように思えてくる。


■追記
当記事のはてなブックマークページに以下のようなコメントがあった。

id:hnkn [internet] 犬好きはリア充

はてなブックマーク - hnknのブックマーク - 2008年11月30日

上に書いた考察を完全にまとめきっており、言語も明瞭。しかしこれだけではまったく意味不明で、思わず「そうなの?」と聞き返したくなるような実に優れた言い回しだと思った。そして上の趣旨に則ると、犬好きがリア充といえるなら、老人もまたリア充と読んで差し支えあるまい。
「犬好きと老人はリア充」
ときには切り離して、ときには一緒くたにして、今後も釣りえさなどとしてちょくちょく使ってみたい言い回しである。まあとは言っても老人と犬(好き)くらいしか釣れないだろうが。

*1:「ワカレメ」とカタカナで書くと妙に卑猥ではないか。

*2:「花言葉」みたいなもの。もちろん私がつい今考えた言葉。