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新卒偏重と格差問題

新卒偏重については、比較的その所在もそしてその原因についても、コンセンサスのとれた問題だと勝手に思い込んでいたのだが、『問題は内定取り消しより新卒偏重では - 雑種路線でいこう』に対するブックマークコメントのページを眺めていて、意外とそうでもないような気がしたのでちょっと書いてみた。

企業が新卒を重視する傾向が非常に強いということについては、上で紹介したブックマークページなどを見れば、明らかのように見える。新卒偏重が問題だという趣旨に対して同意するコメントがびっしり並んでいるからだ。


私の認識では、この傾向*1に問題があるのは至極当然で、新卒の採用枠を中途の採用枠よりも優先すると、要は、新卒時の格差が固定化されるからだ。新卒時の格差がまったく公平なもので、かつ普遍的なものであれば固定化されようがなにしようがまったく何の問題もないが、そんなことはありえない。新卒時点の社会情勢や景気動向が格差の醸成に少なからず影響を及ぼす可能性は非常に高いし、雇用者側が公平かつ適正な判断を下せていると考えるのも無理がある。被雇用者側も新卒時の思惑が、同様に継続するはずがない。

話をわかりやすくするために、世の中の就職先を「一流企業(の正規雇用)」「二流企業(の正規雇用)」「非正規雇用」に大別しよう。そしてこれらの就職先は学生の最終学歴を含む能力値、A、B、Cにそれぞれ対応するとしよう。Aの能力を持つものは一流企業に就職し、Cの能力を持つものはやむを得ず非正規雇用の地位に甘んずることになる。これが格差だ。これが固定化されることによる問題とはつまり、例えばAの能力を持つにもかかわらず、その人の卒業年度時点における景気等の影響を受けて、非正規雇用になってしまった場合、本来であれば景気等の影響が減退した暁には一流企業への転職を果たすという動きがありそうなものだが、その人が「新卒でない」という理由だけで能力に対する評価が割り引かれてしまい、転職が果たせないということだ。

これは明らかに不公平で、ある年度に卒業した人は、Bという能力だけで一流企業に就職しているにかかわらず、ある年度に卒業した人はAという能力を持ちながら非正規雇用を余儀なくされ、かつその不公平さが将来にわたっても是正されることがないということなのだ。ここにはつまり二重の不公平さがある。


当初の不公平については、いくつもの原因が容易に想像できる。ひとつは上で例に挙げたように景気の問題だ。景気がよければ企業は将来の見通しを明るく持つことが出来るので、採用を増やす。採用の需要が伸びれば、供給側は有利になるから、自分の能力を超えて有利な就職を実現することができる。景気が悪ければまったく逆となる。

他にも、雇用者側はそもそも、被雇用者の能力を「シューカツ」という儀式のなかだけでは適正に見抜くことはできないということもあげられよう。どれだけ採用のノウハウが高度化しようと、未分化の人間の潜在能力を正確に把握するなどということは不可能だ。ひとつの会社という文化圏に適応し、何らかの期待される成果を挙げることができるかどうかを判断するには、本来であればその会社の何たるかを正確に定義する必要があろうが、会社とは外部の環境に応じて柔軟に対応するものである。そこに不確実性を残しながら、一方で被雇用者の能力だけには確実性を求めようというのは、あまりにも筋が悪い。結局、「シューカツ」という儀式からは、「運」や「相性」というアンコントローラブルな要素を排除できないから、完全な公平性は決して実現できない。


この「当初の不公平」を幾分マシにするためには、既卒の労働力における流動性を高めるほかにはない。新卒で非正規雇用だった人でも、能力次第では一流企業に転職できるように、各階層間の敷居を低くしなければならない。長い目で見れば見るほど、少なくとも被雇用者に対する評価から景気などの外部的な要素が除かれる確度があがるからだ*2

上の単純化したモデルに当てはめれば、新卒で採用はしたもののその後の働きぶりから能力がCであることが発覚した人物については容赦なくクビにし、そうして空きができた分については広く世の中から能力Aの人を募るべきだということだ。換言すると、雇用者側は新卒・既卒の区別に基づいて評価の基準を変えたり、能力値に補正を加えたりするべきではないということになる。

そしてここまでが、労働力の流動性が低く格差が固定化してしまっているという、問題の所在についての話。


ここまでわかりやすい問題が何故、何の対策もなく放置されているのかと言えばこれは簡単で、格差を固定化することで利益を得ている人間が、労働力の流動化を阻止しているからだろう。他に考えようがない。

格差を固定化することで利益を得ているのは、間違いない、BやCの能力で一流企業に勤めている人など、要は能力以上の待遇を得ている人間だろう。

そういう人間がどういう層に多いかといえば、これも間違いないだろう、今よりずっと景気のよかった時期に「シューカツ」を迎えた層だ。外部環境の好調さに頼って、就職し、また成功してきた層だろう。

彼らはときに、転職を繰り返すような<最近の若者>を協調性がなくマイペースだとしてレッテル貼りをし、すぐ会社を辞めるような人は<信用>できないとこき下ろし、「石の上にも三年」のような他人に我慢や辛抱を強制する<道徳心>や<品格>を押し付け、挙句の果てには<豊富な経験>こそが何事にも変え難い貴重な財産だと吹聴し自身の価値を正当化することで、自らの権益確保に向けて躍起になっている。私の知る限りそういうことを言う人物に限ってロクでもない。「みんなで頑張れば必ずうまく行く」といったような、今となっては何の意味もないただのバブル期の雰囲気に固執して周囲をあきれさせるくらいのものだ。

そして、誠に残念なことは、我が国の人口構成を見れば一目瞭然なとおり、彼らは政治的なマジョリティなのだ。そして下の世代の声が小さいことをいいことに、いつまでも権力の座に居座り、権益を吸い続け、下の世代への権力の移譲を怠けている。原因の一端は確実にここにある。


であるから我々は、彼らに引導を渡す方法をしっかり考えないとならない。彼らをマイノリティの座に引き摺り下ろし、あの極端に大きな声を封殺する努力をしなくてはならない。彼らが後生大事に抱える<貴重な経験>は、単にバブル期の世相や環境に適応した結果に過ぎず、普遍的なものなどではまったくないという事実をしっかりとつきつけなくてはならない。話はそれからだろう。

*1:http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20081212/1229049603#c1229065195にて補足。

*2:長い目でみると、能力評価自体も適正なものに近づくかというと、これは断言できない面はある。どこまで行っても潜在能力は潜在能力だからだ。