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日本の需要不足を解消し、経済を回復させる<帝国主義>

拙記事『景気対策とやらを政治に期待するのが土台無理なんだと思うよ - よそ行きの妄想』のつづき。

需要創造の必要性

景気後退局面への世界的な突入を受けて、各国政府及び中央銀行はその対応にいろいろと忙しそうだが、財政出動や金融緩和による供給拡大で相応の効果をあげることが出来るとは私には到底思えないと前回書いた。根本的な問題は需要の不足にあるから、そこをスルーしてはならないのではないか。生産性を高めたり、供給量を増やしたりしたところで需要がないのだ。急場凌ぎの供給対策ではなく、需要不足の問題に向き合う必要がある。池田信夫氏のブログでは、『日本経済の最大の病は、需要不足でもクレジットクランチでもなく、この投資機会の不足である』*1と断ぜられているが、これは明らかに因果関係がおかしい。需要が不足しているからこそ、投資機会も不足する。もし国内に潜在的な需要がなにかしらあるのであれば、企業はその需要に対応した製品やサービスを開発し、提供することを試みる。そしてその過程において設備投資がなされ、それが投資機会となる。つまり、投資機会とは、資金に対する需要であり、その不足とは需要の不足に他ならない。

需要が急激に不足している原因については、前回と一部重複はするが、ひとつには信用収縮の影響が挙げられよう。サブプライムローンなどの証券化商品を活用した極めてアグレッシブなリスク管理システムが崩壊したことで、同システムの運用を担っていた高給取りが職を失うと共に、同システムによってクレジット的に下駄を履かされていた消費者たちが、一気に消えうせたのだ。職を失った高給取りは別荘を買い控え、下駄を脱いだ消費者たちは住居を手放している。クルマだって買えない。だからモノが売れないのだ。モノが売れなければ企業も設備投資を控える。当然だ。企業が設備投資を控えれば、それによって創出されていた雇用もすべて消えうせる。失業者が増える。失業者は当然消費を控えるからさらにモノが売れなくなる。わかりやすい悪循環だ。

さらに悪いことに、わが国に限って言えば、人口自体が自然減少の局面に入っている。人口が減れば需要が減ると言うのは当たり前すぎてなにも付け加えることがない。だからこそわが国は特に、世界的な信用収縮による需要減と、国内の人口減による需要減への対策を講じなければならないと思うわけである。

需要創造の方法論

話を単純にするために、まずは仮に人口が変わらないとした場合の需要創造の方法論を考えてみよう。

  • ひとつは、新しい産業を構築することだろう。いまなら、情報通信やエネルギー関連、環境関連などだろうか。そういった新しい産業の必要性を喚起し、インフラに投資し、需要を創造するのだ。よくあるのは、政府が主導してこういった産業が発展するためのインフラに大々的に投資を行うという方法だ。田中角栄日本列島改造論と称し、日本の工業化を目指し、道路特定財源の導入など交通インフラ投資に対しての積極策をとり、日本をバブル経済へと導いた経緯はあまりに有名だ。政府による安定したインフラ投資は雇用を産みだし、その雇用者において需要を生じせしめ、さらに産業の発展がその需要を産むという循環だ。こうした政府による財政出動的な経済対策を考えるにあたっては、2つの論点が有効なように思う。
    • まず、まさに日本の建築業界の現状が示すように、国家が安定的な投資を実行することで、産業が非効率化する可能性だ。『フジサンケイ ビジネス・アイ』によれば、『鹿島、大成建設など日本の大手5社でみても、売上高に占める海外売上高の比率は、欧米大手5社の平均が54.8%であるのに対し、わずか14%にとどまっている』*2のだそうだ。そして、『08年度の国内の建設投資の見通しは約49.4兆円で、ピークの1992年度(約84兆円)に比べ、約6割の水準にまで減少するなど市場は大きく縮小している』*3ために、この問題を受けてなんと『国土交通省は12月にも有識者からなる検討委員会を立ち上げる方針』*4なのだそうだ。長年の養殖培養ですっかり競争意欲をなくした建築業界は、内需の減退による海外進出を余儀なくされるにあたっても、政府の支援や後押しに頼らざるを得ないという惨状に堕している。競争力を持たない産業に持続可能性がないことは明白であり、今年倒産した上場企業は30社超と何かの記録を更新したらしいが、そのほとんどは建築業界である。現状の不景気の原因の一端は建築業界の国際競争力のなさにあるといっても過言ではなかろう。上記した情報通信や、環境・エネルギー関連産業について、またこれと同じことを繰り返すのだろうか?
    • 次に、あなたが何らかのビジネスを興すことを考えてみて欲しい。まともな判断能力を持ち合わせていれば、どれだけ精緻な需要分析を行い、どれだけ綿密な投資計画を策定し、どれだけ豊富な資金に裏打ちされていようと、そのビジネスの成功の確率については、不確実であるとしか言えないことはわかるだろう。そのビジネスが前例のあるものでなければなおさらだ。よくいわれる喩えだと思うが、厚い霧に覆われたなかでの無視界の航行を、地図もなく、手元のレーダーだけでなんとか乗り切る感覚とまったく等しい。手元のレーダーは数km先の暗礁の位置を大まかに示すだろうが、舵をきったところで既に船体が完全に暗礁に取り囲まれていたら、手の施しようはないのだ。リアル・オプションなどの近年急速に発達したリスク管理手法は、ある程度精度の高いレーダーとして機能しようが、世の中にはいかにしても排除できない不確実性の方が断然多いことは、もはや自明である。だからこそフランク・ナイトは「完全競争の下では不確実性を排除することはできないと主張し、その不確実性に対処する経営者への報酬として、利潤を基礎付けた」*5のだ。さあ、あなたはわが国政府にそうした不確実性に対処する特別な能力があるとお思いだろうか?そしてわが国の財政状況を考えたときに、それが失敗したときの代償を払うことが可能だと言い切れるだろうか?もはや、借金は増えましたが一時的ではあるものの雇用も創出されてよかったでしょ、などと戯言を言っている余裕はない。
  • 新しい産業を構築せずとも、既存の産業に対する需要が金銭的な理由によって非充足である層に信用を付与しさえすれば(つまり貧乏人にカネを流せば)、需要が創造されることと同じである。手っ取り早く言えば、マイホームに対する憧れはあるが収入が低いためにローンが組めない層に対して信用を付与する方法論が発達すれば、住宅需要は増加するということだ。ところが既にご察しの通り、これは、一昨年までの数年間にわたって実に積極的に取り組まれ、昨年その構造的な脆弱性が発覚するや否や市場の大暴落を引き起こし、挙句世界経済における異例の信用収縮に発展した、例の証券化の仕組みのことなのである。であればこれについては以下の2つのことが言える。
    • 低所得者層に資金を融通するための方法論を考案する取り組み自体は、今後も継続して為されるべきであろうが、では今、そうした取り組みに積極的になる投資家や投資銀行はいるだろうか?
    • むしろ今回の騒動を受けて、世界的に金融期間に対する規制は強化される方向である。金融機関からしてみれば、自らが保有する資産についてのリスク管理規制が一層強まる中で、リスクの高い低所得者層のような先に対する債権を保有するインセンティブが少しでもあるだろうか?若しくは、社会は、政府が金融機関に公的資金を注入しながら金融機関に対する規制を緩和するべきなのだろうか?それが極度のモラルハザードを引き起こすとしても?そもそも、すべてが明るみに出たあとで、単純に来た道をただ引き返すということは容易ではない。
  • 残された道は、高所得者や一部の起業家、資本家などの余剰資金を多く抱えている層に対して、積極的な消費を呼びかけたり、若しくは無理やりに消費させることだろう。これについての論点は、まず何故金持ちが消費をしないのか、そしてそれを解決する現実的な手立ては存在し得るか、である。
    • 何故金持ちの欲望は消費に向かないのか。これには当然諸説あるだろうが、私としてはここでたったひとつの理由を提示したい。必要ないから、である。「必要ない」には2つの意味がある。ひとつは、生存のための欲求を満たすには既に事足りており、これ以上の消費は「必要ない」という意味。ふたつめは、貧乏人が金銭の欠如から感じる疎外感や欲望の非充足については、消費ではないほかのもので充たされているため「必要ない」という意味。前者については、特に必要性を感じないため、説明は省略する。後者はつまり、金持ちであればあるほどカネの機能を理解しており、それを消費することよりもなお、貯蓄することによって得られる効用が高いことを知っているのではないかという仮説である。本当は使いたいけど将来が不安だから貯めるのではなく、貯めたいから貯めるのだ、ということだ。資本主義社会においてカネとは、権力であり、自由である。資本として活用することで合法的な支配関係を実現するし、また、政府(中央銀行)の保証によって将来の不確実性を減免するための数少ない有効な手段としても機能するからだ。メルセデスやBMWロールスロイスマイバッハといった、他人よりいいクルマに乗るのは大層快感なのだろうが、権力や自由を求める人間の欲望と比べた場合、些か見劣りするのも確かだろう。たとえば自身の名声がマイバッハを所有することから生じる名声を上回った場合、つまり消費的な方法によらず名声を得ることに成功した暁には、消費活動の限界効用は貯蓄活動の限界効用を下回るのではないか。大衆は、貯金通帳の数字を眺めることが生き甲斐の貯蓄性向が高い人物について守銭奴的と揶揄し嘲笑するが、その守銭奴的な姿こそが人間の本来の姿のはずだ。有難そうに消費を賛美する人間の方こそが不自然なのであり、資本主義社会の家畜といえるだろう。
    • これを解決する現実的な手立てはあるのか。まず、無理やりに消費させるというのはナンセンスだ。国家単位でそれを行えば、金持ちはより効率的にカネを貯められる地域に移住するだろうし、もし世界的にそれを行えば、そもそも現状ほどに働く気を失くすだろう。であれば、残された手段は、権力や自由を求めるよりもさらに高いインセンティブを、消費することに対して付与することだ。可能性はある。例えば環境問題などの全世界的な課題に対する取り組みが、非常に高い名声をもたらすということになれば、その環境関連産業に対する消費は、高いインセンティブを持つことになる。おそらく、高額であれば高額であるほどいい。世界有数の金持ちが大挙して押し寄せてそれを買い求める可能性はある。しかしながら、この方法論の問題点は既に上述されている。即ち、その産業をデザインし、それを興すリスクを誰が取るのかという問題だ。まさかこんなにクリエイティブな課題について国家を全面的に信頼するわけにもいかないわけであって、自分がやりましょうという人以外は運を天に任せるしかない。

さて、以上長々と書いたが、ひとつの結論としては、人口が一定と仮定した場合、いまの経済情勢のもとにおいて政府が需要を創造するために出来ることは、実に限定的であるということだ。であればやはり、将来にわたっての人口構造のデザインこそが、政治がもっとも優先的に取り組むべき課題なのではないか。上述した通り、我が国は、少子高齢化問題に直面しており、人口は自然減の局面に入っている。だからこそこの問題には他国にも増して取り組まなければならない。ところが、この取り組みについても一筋縄ではいかないことは明らかで、例えば政府が晩婚化や少子化という昨今の傾向を変えるような手を打つことができるかと言えば、これはまず無理だろう。国民の意思に影響力を持つということことは、産業に対するそうするよりもより一層困難だろう。また、国籍法改正の話題が明らかにしたとおり、日本は移民受け入れに向けても高いハードルがあるようだ。国土も決して広くない。

帝国主義の矛盾

これらの課題を克服し、わが国の人口−需要問題を解決する糸口を模索するために、ここで帝国主義の歴史を振り返ってみたい。その動機についてはやはり諸説あるだろうが、経済的動機を第一にあげる声は大きく、『レーニンによれば、高度に資本主義が発展することで成立する独占資本が、市場の確保や余剰資本の投下先として新領土の確保を要求するようになり、国家が彼らの提言を受けて行動する』*6ことによるとされている。この動機は大まかに言って、まさに現代の問題に通じるものである。内的な需要の飽和を迎えた経済主体が、新たな需要を求めて自己を拡大化させる道を探るのは、至って自然なことと言えるだろう。この後、市場経済や自由貿易といった、かたちを変えた<帝国主義>が世界を席巻し、また金融技術の発展によって急速にマネーが拡大していったことで、この直接的な方向性はすっかり鳴りを潜めていたが、いま世界が直面している問題は世界的な需要の減退なのであり、いかにしてパイを奪い合うのかという点に帰結せざるを得ないだろう。

ところが、この帝国主義が矛盾するところもまた、歴史が証明している。即ち、植民地支配は、いかなる大義名分を掲げようとも、結局はやはり<支配>に過ぎないのであって、民族間の優越的意識という政治的な暴力を前提にしない限り、成立しないということである。<優れた民族>が<劣った民族>に対し<啓蒙>するという図式のもとにのみ、支配関係が成立するから、大儀に沿えば、劣った民族が既に啓蒙され、優れた民族と同等の認識を持った時点で支配関係は当然に解消されるべきものであるにもかかわらず、被支配国家が革命という政治的手段に些かもよらずに、独立や完全な同化を手にしたという例を見つけることはできない。<啓蒙>は支配のためのアドホックな正当化であり、決して果たされることのない目的だったのだ。『「進んだ」科学技術や学問を「遅れた」地域にもたらし「劣った」人びとを啓蒙』*7すべしという意味で「文明化」を標榜し、植民地を次々と獲得した共和制フランスは、結局『アフリカの人びとを「文明化された者」「文明人」とはついに呼ばなかった』*8のだ。考えてみれば当然のことで、経済的な利潤を得るためであれ、政治的な手段による優位性の獲得、つまり武力による支配権の獲得を選択した時点で、その解消は政治的以外にはあり得ない

<帝国主義>とM&A

さあ、ようやく本題にはいる。私は上で見てきた諸々の課題について、タイトルにあるとおり、M&Aという方法論を活用した解決の方向性を検討したい。それはつまり、<帝国主義>の政治的矛盾点を、経済的に解決する道筋である。

M&Aとはなにか。それは、ゴールドマン・サックス のM&Aアドバイザリー統括責任者を務めた服部暢達によれば『支配権の移動により、売手と買手双方の株主価値増大が見込まれる取引』*9である。ポイントは3つある。まずは、それが(企業の)支配権の移動を伴うものだということ。次に、それが株主価値増大という価値基準のもとで、双方にとってメリットがあるように行われるということ。そして、それが経済的な取引であるということ。この3つのポイントは後に行くほど重要な論点であると言える。

  • 最初のポイントは、M&Aの本質が「支配」にあることを的確に言い表す。M&Aの本質的な動機は帝国主義と相違がない。帝国主義が植民地を余剰な生産力のはけ口にするに対して、M&Aの買い手は、対象会社の顧客に対して自社製品をクロスセルする。帝国主義が植民地から安い労働力を確保する一方で、M&Aの買い手は対象会社の資産を効果的に活用するマネジメント手法を導入することで、生産性を高める。支配とは経営権を獲得することだ。経営とは企業の成果に対して責任を持ち、その成果から報奨を得ることにつながる。そして企業の目的とは『顧客を創造すること』*10に他ならない。
  • 2番目のポイントが示すことは、M&Aの取引に参加する経済主体は、それぞれ自社の株主価値を最大化するという価値基準を暗黙のうちに共有するということだ。取引の前提となるコンセンサスは、限定的だが、非常に意義深いものだ。それがあるからこそ、取引が成立するのだから。日本語と英語など、言語が異なれば会話の成立が困難であるように、取引は、何らかの価値基準についてのコンセンサスがない限り、成立しない。グローバルに活動する大企業と、老舗の和菓子メーカーの商談が困難なのは、共有できる最終的な合意点のイメージがないからである。
  • 3番目のポイントが重要なのは、支配権の移動が金銭的な対価によってなされるというまさにその点においてである。暴力による支配は、先に見たように、それを正当化するための大儀を必要とし、(アドホックな)目的と(実際の)手段の乖離は、「文明化」という<差別からの開放のための差別意識>というパラドクスを生み出した。支配の正当性を「文明」という不確実なものに求めた結果である。一方で金銭は、『予見できない未来の問題が解決可能であるという安心感を、現在すでに与えてくれる。それは確実性の等価物であり、そのおかげでわれわれは、情報や予測なしでやっていける。世界の確実性を保障するのは、もはや神ではなく、金銭なのだ。』*11

これらを総括して、何故M&Aという手法が帝国主義的な支配から生じる負担を解消し得るかという問いに答えるとすると、生産性の増強という経済的な動機と、金銭的な対価の支払という経済的な手段が適合するからだ。そして、自由主義、市場経済による啓蒙は、経済的な手段に対するコンセンサスをつくりあげたと言える。いまわれわれは、ついに質的にも量的にも存分な陣取り合戦を再開するための下地を得たということになる。

M&Aの実行可能性

M&Aが帝国主義の抱える矛盾を解決することができる可能性について、つまり何故それが実現し得るかについてはすでに検討した。では次に、それは如何にして為されるかを検討しよう。それは端的に言って、『未来に生ずる未知の危険を、金銭取引のリスクというモデルでとらえること*12によって為されるだろう。

M&Aにおけるリスク評価の「モデル」は、企業価値評価又はバリュエーションと呼ばれるものである。上に引いたM&Aの定義を思い起こせば、M&Aに際して支払われる金銭、即ち移動する支配権の対価について、次の2つの要素に分解することができる。ひとつはフェアバリュー、そしてコントロールプレミアムである。

  • フェアバリューとは、その名の通りその会社の適正な価値であり、理論的には、その会社が将来生み出すキャッシュの現在価値の総和である。これについて詳しい説明は面倒というかそれだけで数エントリー分に相当するので、気が向いたらまた来年にでも書くとして、ここではざっくりとWikipediaでも参照して済ませたい→DCF法 - Wikipedia。とはいえ、行きがかり上簡単に説明する。いま、100万円の資金があり、利子率が1.0%だとすると、百万円だった元手資金は、1年後には101万円になる。このことを言い換えると次のようになる。利子率が1%だとすると、1年後の101万円の割引現在価値は100万円であると。そしてこの利子率をより一般化した言い回しに直すと、「割引率」ということになる。銀行預金の現在価値を算出する際に適当な割引率は利子率だということだ。さて、企業が将来生み出すキャッシュの現在価値を算出するにあたっての割引率は、単純に利子というわけにはいかない。WACCという株主資本コストと負債資本コストを加重平均した値を使うことが一般的だ。そして、負債資本コストとは要するに調達利子率のことだが、株主資本コストはまたややこしい。この算出にはCAPMというモデルが用いられることになる。先端のバリュエーションではさらに、戦略の自由度に基づくオプション・バリューも加味される。このあたりの価格算定方法は、この記事内でもおそらくもっとも専門的で完全な理解は難しい部分ではあるが、はっきり言って一番どうでもいい部分でもある。ごちゃごちゃと細かい計算をするよりも、現場的にはむしろ、市場での取引価格の方がよほど説得力があるからだ。業界的には、市場での取引価格は、上で書いたような理論式にさらにさまざまなリスク要因を総合した結果である理論価格に長い目で見れば収斂するもの、と捉えられており、実務上はフェアバリューといえば、大概は取引価格の平均である。この割引現在価値による評価を「インカムアプローチ」、市場価格に基づく評価を「マーケットアプローチ」と言うが、もうひとつは「コストアプローチ」または「ネットアセットアプローチ」と呼ばれる手法である。これはつまり、企業の有する資産と負債の差額を持って、その企業の株式価値とする方法論である。ここで注意してもらいたいのは、企業の資産及び負債は単純に帳簿に載っているものだけではないということだ。企業には通常、無形の財産というものがある。ブランド価値はその最たる例だ。ナイキが保有する資産のうちでもっとも価値のあるものは、その商標であることについては論を待たないだろう。これらを総称したもの、つまり帳簿上の(時価)純資産とフェアバリューの差額は一般に「のれん代」といわれる。
  • 次にコントロールプレミアムとは、まさに支配権の移動そのものに対して支払われる対価である。これがなければ、フェアバリューが正確な値である限りにおいて、売り手も買い手も損も得もしないことになる。1,000円の価値があるものを1,000円で売買しても、何の経済効果もない。その1,000円に何らかの付加的な価値がアドオンされてこそ、経済的に意味のある取引となるわけだ。では、このコントロールプレミアムはどこからくるのか?これはまさに買い手が、売り手よりも、対象会社の資産を効率的に活用し、また買い手の事業と対象会社の事業との間における相乗効果が発揮されることを期待することによって発生する。

少し説明が冗長になったが、理解していただきたいことは、ひとつには、これらの専門的なバリュエーションに関する知識の目的はすべて、未来の不確実性を記述し、それを金銭的な経済モデルに落としこむことにあるということだ。こうしたリスク分析の手法は、神々への反逆として従来敬遠されてきた分野ではあるが、近年急速に発達してきている。これらを活用することのみが、M&Aを十分に合理的な取引たらしめ、純粋な暴力支配とは一線を画すことを叶える。

ふたつめは、M&Aを推進する場合のキーとなるドライバーは、コントロールプレミアムを支払うための源泉となる優位性の存在に他ならないということだ。日本企業を総体として考えた場合に、そのような優位性が果たしてあるだろうか?それがなければM&Aは成約し得ないというのは、既に述べたとおりである。この優位性として確実にいえることのひとつは、最近の円高傾向だろう。円が相対的に高い水準であれば、円建ての評価額ではフェアバリューと同程度かもしくはそれを下回るにもかかわらず、現地通貨建ての評価額ではフェアバリューを大きく上回るということすらあり得るからだ。日本円が相対的に高いということは、日本の通貨に対する信頼が相対的に厚いということだから、企業間の取引におけるコントロールプレミアムの支払が国家の信用によって補完されるということであり、これは間違いなくM&Aの推進力になるだろう。また、日本企業特有の官僚主義的な組織制度も、買収対象会社の価値を向上させるひとつの手段となるかもしれない。『日本の製造業の労働生産性はアメリカの1.5倍』*13だそうだから、この高い生産性の源泉たる組織制度を買収対象会社に適用すれば、大きな付加価値を創造できるかもしれない。これについては、以前に『日本のいいところ - よそ行きの妄想』という記事も書いているので、あわせてご高覧いただければ幸いである。

国民国家の終焉

最後の論点は、M&Aによってなにが実現されるのか、である。これは何度も述べている通り、基本的には、減退していく国内需要の補填である。先にもふれた共和制フランスの軍人であり、1931年の植民地博覧会では総責任者を務めたルイ=ユベール・リヨテが「フランスの将来は海外にある」と述べたように、日本の将来もまた海外にあるのだ。

これについて、つい先週の日経新聞一面にも載っていた、タイムリーな以下の話題を題材にしたい。

日清食品ホールディングス(2897.T: 株価, ニュース, レポート)がロシアで即席めん事業に参入する。同社は26日、ロシアの即席めんメーカー最大手、マルベンフード セントラルの持ち株会社アングルサイドと資本業務提携を行うと発表した。
ロシアの年間即席めん総需要は約20億食で世界有数だが、一人あたりでは年間約14食で、日清食品では拡大の余地があると期待している。
アングルサイドの製造・販売会社を含めたマーケットシェアは41%、2008年度グループ売上高は約310億円の見通しとなっている。日清食品はインスタントラーメンの製造に関する技術の指導などを行う。

日清食品HD<2897.T>がアングルサイドと資本提携、ロシアで即席めん事業に参入 | Reuters

日清食品が、自社の即席めんをロシアに輸出することと、ロシアの即席めんメーカー最大手を買収することには大きな隔たりがある。単純な輸出を考えた場合、既存のナショナル企業が提供する商品・サービスの隙間を縫って、新しい需要を創造していかなければならないのに対し、買収を考えた場合は、既存の需要を一気に獲得し、大きな足がかりを得ることが出来る。わざわざ新商品・サービスのイノベーションやマーケティング戦略に頭を悩まさなくていいという意味で、これは雲泥の差と言える。なんぼ日清の『具多』が美味かろうが、異国の地で、「具たくさんの即席めん」という潜在需要を開拓する不確実性は並大抵ではないはずだ。

海外市場への足がかりができれば、日本企業の生産量は増え、また海外市場が人口の増加を続ける限り、安定的な成長も見込まれる。安定的な成長の下地があれば、新しい商品やサービスなどに対する投資も活発化するし、なにより子会社の管理や子会社への殖民という重要な職務が国内に発生し、雇用の創出にも繋がるだろう。兎にも角にも需要が減退していく中ではなにをやってもうまくいかないという状況が一変するのは大きいはずだ。

こうして、日本企業による海外企業のM&Aが進むことにより実現されるのは、国民国家の枠を超越した広域経済圏に他ならない。これは、現在のわが国政府が企てる、大規模な財政出動と増税をセットにした経済対策(笑)の先にある「大きな政府」の方向性とはまったく逆で、「小さな政府」、そして「大きな経済圏」の方向性である。毎度好不況を繰り返すたびに、「小さな政府」「大きな政府」の二項対立の図式が顕在化するが、そろそろ国民国家という枠に対するこだわりを捨て、政治や経済ごとに、異なる枠組みでものを考えるときが来ている。政治は小さいほうがいいし、経済は大きいほうがいいのではないだろうか。

おわりに

こうした方向性に則れば、政府のとるべき方針はいくつか具体的に示すことはできる。

  • ひとつには円高を許容すること
  • そして小さな政府を目指すことである。

急場しのぎの金融緩和や財政出動、為替介入などで、競争力のない輸出企業や伝統産業を保護・救済し、何とかこの場を取り繕うことに腐心するのであれば、日本の将来はますます暗いものになるのではないだろうか


■追記(1/5)
明けましておめでとうございます。
長々と書いた割には反応が乏しいので、DMを送ることにしました。池田信夫blogにトラバ送ってもなんか拒否されるし。
ということで、上の記事の前編にあたる『日本の需要不足を解消し、経済を回復させる<帝国主義> - よそ行きの妄想』をブクマしてくれた方全員と、『よそ行きの妄想』をご覧になって期待を表明して下さった以下の方々に、IDコールを送らせていただきます!
当記事について、既に見たけど興味ないという方、申し訳ないけど無視してください。それでは、本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

id:R2M id:wiseler id:yantan id:T-norf id:munyuu id:TZK id:massunnk id:Thsc id:geul id:onigiri_srv id:freeid id:siromori id:zu2 id:Ubuntu id:arrack id:knnn4321r id:kitakyudai id:shiro_46 id:chnpk id:otimusha2005


■追記の追記
・・・。
あれ。
追記のIDコールってメールとかいかないのかなー。自分に来ないんだけど。

*1:『[http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/cb24179209f396961d2a076452d60baa:title]』より引用。

*2:『[http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/200811110014a.nwc:title]』より引用。

*3:同記事より引用。

*4:同記事より引用。

*5:『[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88:title]』より引用

*6:『[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E4%B8%BB%E7%BE%A9:title]』より引用。

*7:『[asin:4409510495:title]』より引用。

*8:同書より引用。「進化した者」とは呼んだようだ。

*9:『[asin:4492555021:title]』より引用。

*10:『[asin:4478410232:title]』より引用。

*11:『[asin:4130100904:title]』より引用。

*12:同書より引用。

*13:『[http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/40d724fe2a67d86c0c34b4bffeb44916:title]』より引用。