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使えるやつっていうのは耐えられるやつのことだろうな

“使えない奴”を足切りする為の面接テクニックについて - シロクマの屑籠』を読んで、そもそもじゃあ”使えるやつ”ってなんじゃらほいとか思ったんだけど。

他人に使われる限り、その他人のパフォーマンスを超えることはないわけで、とすると与えられた仕事を如何にそつなくこなすかというあたりがポイントかと思った。

また、論理的思考がどうとか、コミュニケーション能力がどうとかって言うけど、そもそも面接官だって要は使われる側の人間なのだから、そんな潜在能力の類を発揮しているはずもなく。

だから結局なにを見ているかといえば、自分の質問の意図なりを、自分の意図したとおりに読み取ってくれる人を探しているにすぎない。そのための題材はなんでもかまわないということだろう。もう少し挑発的な言い方をすれば、ブコメしたとおり*1ゴマすって擦り寄ってくれる人を採りたいと言うだけのことではないのか。

会社とは組織であるから、何らかのコンセンサスのもとに動いているはずだ。会社のミッションや理念だったりビジョンだったり、業績目標だったり、企業倫理だったり、就業規則だったり、行動指針であったりである。そこに自分を合わせることに耐えられる人。これこそが面接評価の最重要ポイントではないだろうか。

耐えられない人というのは、私の知る限りでも結構いっぱいいて、そもそも我慢しないことを美化している人とか、自分の潜在能力を過剰に評価しいてる人とか、わかっていてもつい顔に出ちゃって既定のコンセンサスに悪影響を及ぼしてしまうような人とかだ。

例えば新卒時の就職活動において体育会系はある程度好まれるが、これは、与えられた目標に盲目的に、自己を律することについての成功体験が買われているのだろう(『少年野球に見る信仰と戒律 - よそ行きの妄想』もあわせて是非。)。


ただ、そういうフォーディズム的な工場労働者みたいな仕事が今後もあるかっていうと、かなり微妙だとは思う。

ではどうなるのかという問いは私には少し難しいが、基本的には労働者はより不定化し、そのために労働環境はより固定化するのではないだろうか。

つまり限られた専門分野の中で、変化に対して柔軟に対応する姿勢である。マネジメントに求められる姿勢としてドラッカーなどが説いている姿勢がより一般化するというか裾野が広がるのではないだろうか。

追記

nekora ”そういうフォーディズム的な工場労働者みたいな仕事が今後もあるかっていうと”  リーダーの指示の下、チームワークで進める仕事は人類の歴史が続く限りあるだろう

というブコメがあったので補足すると。
フォーディズム的な工場労働」という言い方で指しているのは、チームワークの有無とかそういうことではなくて、労働者のどういった能力に着目するか、である。
工場労働における身体能力、それこそ「使える」=「耐えられる」=「健常な」人間であればだれでもできるような仕事ではなくて、今後はより潜在的な能力に着目するようになるのではないかな、ということ。
つまり、工場労働のような仕事は人間の顕在能力に着目するということ。
参照↓

ポストフォーディズムの資本主義―社会科学と「ヒューマン・ネイチャー」

ポストフォーディズムの資本主義―社会科学と「ヒューマン・ネイチャー」

*1:『[http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20090111/p1:title]』を参照。