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正社員解雇問題とアイデンティティのコモディティ化

社会 ビジネス

世の中不況まっしぐらということで、正社員の既得権益批判や、雇用の流動化の必要性が日夜繰り返し議論されているようだが、それについてちょっと考えたことをメモ。

労働者が、企業における仕事に心血を注ぎ、ときに安月給で馬車馬のように働くのはなぜか。企業による支配や管理を受け入れるのはなぜだろうか。

それは、労働者にとって企業が安心・安全を与えてくれる存在だからだろう。

企業が労働者に与える安心や安全のかたちはさまざまで、その最たるものが当然サラリーということになろうが、将来にわたった雇用の保証というものが少なからずあることは間違いない。

特に日本型企業は、共同体的色合いが強い。労働者は「社員」としてコーポレートアイデンティティの下に集い、経済活動を超えて、政治的、文化的にもしばしば団結する。専門的な職能を求められるのではなく、ジョブローテーションという形態によって、総合的な経験と企業風土への同化を求められる。そうして、労働者は自らが勤める企業に対してのアイデンティティを構築することに至るが、それこそが、この不確定な時代にあって、労働者が企業に求めるものだろう。

つまり、その面において、日本における企業とは、地域コミュニティと呼ばれるような生活共同体の代償モデルである。そして、企業がそうした共同体的機能を果たすにあたっては、まさに雇用の保証こそが必要条件なのである。徒に構成員を排除する共同体が共同体としての体を為さないのは明らかだ。

日本人の民族的気質とでも言うべきものは、「和を以て尊しと為す」という言葉が示すように、共同体における”和”のような相対的な価値基準によって、自己を規程する傾向がある。

欧米において若干様相が異なるのは、彼らのアイデンティティの多くが宗教によって構成される傾向にあることだろう。良くも悪くも彼らの人生観というのは、神の前で絶対的に孤独な個人なのであって、集団のなかの相対性で自己を規程するという発想は弱いように思える。


別に日本と欧米でどちらが優れているかなどを問題にする気はない*1が、日本において雇用の流動化を考える場合、それは単なる解雇規制の緩和という次元の話ではあり得ず、共同体の崩壊とアイデンティティの喪失を考えなくてはならない。こうした問題に焦点を当てずにして、雇用の流動化をはかろうといくら呼びかけてみたところで、おそらく無駄である。

こうした流れを受けて注目されている新しい考え方が、キャリアアップである。特定の企業に固執せずに専門的な職能を身につけることを奨励し、共同体ではなく専門的な職能分野に対してアイデンティティを持つことを促す。だからこそ、二流の四大に進学し、すでに腐りかけた学歴社会システムの威光に期待するのではなく手に職を求めて専門学校に進んだり、そもそも高校への進学をせずにプログラミングの道を進んだりするわけだ。


では、そうした社会において、企業はどういった役割を担うのか。それはおそらくアイデンティティの商品化及び販売だろう。専門職を身に着けることに失敗した層に対し、お手軽な自己実現のモデルを販売するのだ。

グーグルやアップル、ディズニーやナイキなどの世界を代表する企業は、既に単純な「製品」や具体的な「機能」を売っていない。彼らの商品の価値の本質はそのブランドにあり、それを消費することによって得られる経験にある。グーグルストリートビュー問題が明らかにしたように、大衆は、グーグルによるイノベーションと既存の古臭い常識の崩壊を受け入れるというまさにその価値観に対してアイデンティティを持つのだ。

追記

オタクと話していてもつまらない。』という記事が少し話題になっているようだ。興味深いので少し引用する。

大学に入ってオタクサークルに出入りするようになった。
中学・高校とまともな仲間が見つけられなかったから東京の大学に行けばすごい奴がいるだろうと思っていた。
しかし、その目論見は甘かった。東京に来てやっとオタクという集団が見えてきたけど、実態は全然ぬるい連中だった。
まず、話してもつまらない。「ああ、逃避の場所としてオタクを選んだんだな」というのが丸わかりなほど、まともな返答ができない奴が多すぎる。会話の中で(こういう言葉は嫌いだが)ボケを言うにもアニメの台詞の引用だとか、マニアックな言葉(ただし、オタク内では全くマニアックではない)を言う程度のことが「面白い」とされている。それですら誰かが言っていて「ここでこれを引用すれば面白い」と学習した上でのコピーでしかないし、全く自分の発想や意見というものを持っていない。アンテナもすっかり折れちゃっているみたいで、話題作をネットのみんなが言っているような感想でしか斬れないし、注目されていないけどこれが面白い、ここをこういう視点で見ると面白い、というものが全くない。

オタクと話していてもつまらない。

こういう記述を見て、著者の上から目線を非難するのも結構なことだが、より重要なことは、オタク文化は既にコモディティ化されており、いまや単にそれを消費することで誰でも手軽にオタクアイデンティティを獲得することができるということだ。

オタクを自認する人間の大半は、実のところ単に商品化されたオタク文化を消費することで、オタクアイデンティティを獲得したつもりになっている大衆なのである。

以前に、『「ニセ科学」と「ニセ科学批判」と「ニセ科学批判批判」について - よそ行きの妄想』という記事内で、「ニセ科学批判者」と「ニセ科学批判のユーザー」の区別について論じたが、上で紹介した記事の著者がこうあって欲しいと望む対象としての「オタク」と「コモディティ化されたオタク文化を単に消費しているに過ぎない大衆」との区別もまったく同様である。

今後はよりさまざまな文化やイデオロギーについて商品化とコモディティ化が進み、そこに大きな需要が向けられることは間違いないのではないだろうか。

*1:実際欧米でも日本的な慎ましくも睦ましい企業経営が賞賛を浴びることも少なくないようだ。