「強み」ってなんだよ、「強み」って

採用面接などで、特に人事部系の下っ端あたりだと頻繁に投げかけてくる質問、それが「あなたの強みはなんですか」。

私は、実はこの質問を一体どう捉えればよいのかが皆目わからず、いちいち途方に暮れていたのだが、さっきついに解決の糸口をつかんだような気がした。


まず、私がわかりかねていたのは、そもそも自分に限らず「強み」などというものがどうして存在しえるのかという点にあった。誰しも多少は何らかの成功体験があろうが、それが何故成功したかは、はっきり言ってわかりようがない。成功の因果関係を解説する自己啓発本の類は世に氾濫しているが、氾濫していることこそが、正解がないことの証明である。

で、そのような正解も何にもない、実に闇雲に思える質問を私に投げかけて、一体何が知りたいのかさっぱりわからなかった。面接マニュアルの類は、「私は努力することなら誰にも負けません。大学のサークルでリーダーの重責を任された際も・・・」的なテンプレートを推奨するが、実に意味不明である。”世の中で一番努力する人”のようなものが決まるはずもない。主観的にしか評価しようがないからだ。しかも万が一「努力」なる「強み」が一定以上に備わっていたとして、それが何の役に立つかも証明しようがない。世の中は変化に富んでいる。直面するさまざまな課題について万能的に効力を発揮するような「強み」なるものが果たしてあるのか。

あるかどうかもわからなければ、あったとしても何の役に立つかもわからない「強み」なるものについて話をすることに何の意味があるのか。積年の謎だったわけである。


今般私がはたと閃いたことは、語るべき「強み」とは「仮説」のことではないのということである。

周囲に転がっている水入り皮袋どもと比較して、自分がより高いパフォーマンスを出すための差別化戦略に関する「仮説」だ。企業の戦略策定フェーズでの関心事のひとつは、競合他社と比した場合の競争優位性をいかにして確保するかという問いであるが、それと同じ要領だ。

当然、「仮説」は合っているかも知れないし、間違っているかもしれない。しかし「仮説」はそもそもあることが重要なのだ。

株式相場をイメージしてもらいたい。相場が乱高下する局面において、何の仮説もなしに相場を張ろうものなら、上がれば買い、下がれば売りたくなるのが人情というものだ。つまり、相場がどう動こうが、確実に負ける。いわゆる往復びんた状態は避けられない。勝てる確率は0%だ。

ところが、「仮説」さえあれば、その「仮説」どおりにポジションを取ることによって、相場が偶然予想通りの動きをした場合は勝てることになる。単純に相場は上がるか下がるかの50%-50%だとすると、この場合勝てる確率は一気に50%に跳ね上がる。

だから「仮説」があることは重要なのだ


であれば、注意すべきポイントとしては、極端に間違った「仮説」を披露しない*1ことと、相手のカルチャー的に好まれそうな「仮説」を想像することだろう。

ということで、「あなたの強みはなんですか」と問われた際には、「強みかどうかは知りませんが、平素仕事をする際に、隣のボンクラよりも高いパフォーマンスを出すために気をつけ(ようと思っ)ていることは・・・」という話をしようと思った。

まあ、「私の強みは・・・」と話し始めてもいいんだが、ちょっとなんかバカっぽいよね。

*1:上述したとおり、「仮説」はどんなものであってもないよりはマシだが、あまりおかしなことを言うと、さすがにバカだと思われる。