読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる


マスコミになにを求めるか

メディアの見識 中川さん問題に関して - Chikirinの日記』を読んでいて、別に反論というほどでもないが、なんとなく違和感がある記述があったので。

問題2 権力との馴合い
(略)
なんで書かないの?なんで「えっ、でも、会見直前までうちの紙の記者とレストランで飲んでましたよね?」って聞かないの?
聞きません。「だってそれはオフレコだから」 それはマスコミと政治家の間では「なかったこと」扱いなんですよ。だから聞けないんです。書けないんです。ばらしちゃいけないんです。

メディアの見識 中川さん問題に関して - Chikirinの日記

権力と馴れ合うなと。書き方が否定的なのでつい「そうだけしからん」と思ってしまいがちで、実際同記事のブクマなどではあいも変わらず「マスゴミ死ねよ」と言って憚らない頭の残念な人が溢れているようだが、「オフレコなんだから記事にしない」、これは当たり前である

私は過去にマスコミの取材を受けたことがある。正直に言うと、何を話しても私に何のメリットもなかったし、近しい人に万が一にも迷惑をかけるリスクがあると思うと、何一つ話などしたくなかった。謝礼の話もあったように思うが、知人を売るようで、信頼を失いかねないことを考えるとことさらメリットとは思えなかった。

ただ、私に取材を持ちかけてきた記者の方は以前から知らない人でもなかったし、熱心にお願いしていただいたので、結局は私の名前は出さないで欲しいと言い添えた上で、誰かの迷惑にならない範囲を一生懸命考えて、可能な限りお答えした。リスクが高いように思えたのであまり具体的な話は控えたのだが、記事にはしないというお約束をしていただいたので、それも可能な限り話した。

さて、実際のところは当然すべてそうした約束は守っていただけたのだが、これが実際の記事になった段階で私の実名と共に、オフレコでという約束もまったく守られずすべてばっちり記事になっていたとしたらどうだろうか。少なくとも私は非常に残念に思うし、その先二度と取材に応じることはないだろう。そして知りうる限りの人に対して、マスコミの取材は受けないほうがいいと伝えると思う。

もしマスコミがそんなことをしょっちゅうしていたら、そう遠くないうちに、彼らのことをまともに取り合う人はいなくなるだろう。そうなっては記事が書けないから、彼らは有事の際に少しでも多くの情報を聞けるように、普段から約束したことは守る。それに何か問題があるだろうか。


私は証券会社で主に法人相手の各種セールスを担当している。小さい会社はもとより、大きい会社であっても、証券会社が必要となるような資本取引というのはそうしょっちゅうあるわけではない。しかしその希少な資本取引を受注するために、我々は普段から御用聞きのようなことをして関係の構築を図らなければならない。そうしてはじめていよいよ資本取引の胎動が芽生え始めたという際に、他者に先駆けてその情報・ニーズを聴取することが出来、案件を受注することが出来るためだ。マスコミの方々も要はこれと同じではないのだろうか。長年の関係構築の甲斐あって、ついに酒を酌み交わせるほどの仲になった相手の信頼を裏切るような真似を、何故出来るだろうか。

マスコミと聞くと、やけに崇高な理念を勝手に押し付け、勝手に失望する人が多いように思うが、彼らの大半は我々と同じ単なるサラリーマンだ。【記事を書くには情報を仕入れなくてはならないし、情報を仕入れるには、より当事者に近い人から話を聞くというのが最良とまでは言わないが、かなり確度の高い方法論なのではないのだろうか。記者ならば情報は足でかせげのようなことを言う人もいるが、それはいわゆる社会面の記事の話だろう。政治や企業についての話題であれば比較的高い頻度で情報を持っている人物がいるのだから、その人物と良好な関係を構築することこそが、そこら中を歩き回ることよりもよほど肝要なのではないのだろうか。】*1であれば、いちサラリーマンの与えられた仕事を何とかうまくやり遂げようと言う姿勢をどうして責められようか。


また、同記事は、メディアが『単なる“放送電波割り当て獲得企業”であり、“広告ちらし配達媒体業”になりさがってる』と述べるが、私はむしろ、マスコミ各社が普通の私企業として、普通の経済合理性を考えて、普通に営業活動を行うことを好ましく思う

理由は単純だが、なにか「真実を報道する正義」のようなわけのわからない理念を振りかざされて、勝手にオフレコの話を公開されては困るからだ。であればむしろ、普通の経済合理性を考えれば約束を破ったら次から取材がしづらい、という普通の判断の下に行動していただいたほうが、よほどわかりやすい。

私は、経済合理性という共通言語から逸脱した行動にこそ恐怖や不安を覚えるし、ビジネスの局面における倫理観なるものの有用性を微塵も信用しない。マスコミ各社に不満があるとしたら、規制産業であることによって新規参入や過剰競争の脅威から遠ざけられていることから生じるあの理念的で高慢なさまである。もっと自由化すれば、甘っちょろいことを言ってる暇などなくなり、単に金を稼ぐことばかりが優先され、結果としてマスコミの理念は地に落ちることになるのかもしれないが、そうして同じ土俵に降りてきていただいたほうが、メディアとの付き合い方もいまよりもずっとわかりやすいものになるのではないか

追記

当記事のブックマークコメントなどを眺めていて思ったが、ジャーナリズムは公害よりも外部性が強く、また権力と対峙し監視する使命があるということであれば、いっそジャーナリストという職種を専門職化させるというのはどうなのだろうか。弁護士とか会計士とか代議士とかみたいに。試験でも選挙でもいいけど。

若しくは、上に書いたように完全に自由化してしまって、普通の企業の普通の経済合理性のなかに収まるか。現状は中途半端ではないだろうか。

とにかく、ただのサラリーマンに高潔な倫理観を強要してことの解決を図ろうというのだけは、ちょっと無謀だろう常識的に考えて。

*1:【】内追記。