好ましくない言動をする他者に対処するときのポイント4つ

なんとなく思ったこと。

例えば、突如あなたの周囲でスキーが大流行したとしよう。みんな暇さえあればスキーである。しかも泊りがけで。そしてあなたはスキーが大の苦手だとする。これは実に好ましくない事態だろう。このままでは仲間はずれになってしまうかもしれないから、何かしらの対策を講じる必要があるとする。

その際、スキーはやめるべきという論旨で主張をしたところで、おそらく事態は好転しないのではないだろうか。やめるべきである理由こそいろいろと考えられるが、どれも単なる我侭か大きなお世話かただの詭弁である。こういうことを言われると、大抵人はむしろ頑固になると思う。「スキーは何の効果もないから、やるやつはアホだと思う」とか。「スキーはガキくさいからやめるべき」とか。「スキーが出来ない人への差別である」とか。スキーの効果など、やってる人が自由に感じればいいし、ガキくさいこととやめるべきであることは、まったく論理の飛躍である。そして大した根拠もなく差別という指摘をするのであれば、単なる中傷である。


とるべき対応としては、おそらく次のようなものに限られるのではないかと思う。(1)スキーが、例えば大規模な環境破壊に繋がることを客観的に立証する。(2)嫌々でもスキーを練習して上手くなり、スキーについて語る際の説得力を高める。(3)スキーのオルタナティブ、例えばスノボを啓蒙する。(4)「実はスキーが嫌い」という人を探し出し、スキー嫌いで結束するコミュニティをつくる。

(1)は、対象物が公的な秩序に反することを利用し、対象物の価値を減じる手法だ。公的な秩序は、コンセンサスが得られるなら道徳や倫理でもいいだろう。究極はその対象となる行為によってリアルに逮捕されるような状況なのであって、成功すると非常に高い効果があることは言うまでもない。ただ一方で、あまり教条的になると逆に主張の中立性が失われ、説得力に欠けることになるし、他人について公秩序に反しているということをあまり大きな声で言うと、逆に名誉毀損の罪に問われることもあるという諸刃の剣である。素人にはお勧めできない。

(2)も、対象物に対する他人の評価を減じる方法となり得る。ある価値評価機軸に肯定的な論者の価値評価にもっとも影響を及ぼすのは、同評価機軸において相対的優位を有する、いわゆるカリスマのような人物による指摘だろう。相対的な劣位から同種の指摘があったとしても、お前に言われる筋合いはないという話にしかならなくても、相手がカリスマであれば話は別である。ネットで有名な常套句、「ただしイケメンに限る」と一緒(か)。

(3)は、対象物に対する他人の価値評価に直接影響を与えることなく、代替品を持ち出すことによって、相対的に対象物の評価を下げる手法であるといえる。重要なのは、代替品として対象と機能的に等価なものを探すことだ。例えばその集団がスキーに対して感じる魅力の根本(ピン)がゲレンデでのナンパや山間の温泉宿なら、スキーでもスノボでも大した違いはなく、ふたつは機能的に等価であるといえる。一方、有名なスキープレイヤーに教わる機会があるなどの動機がある場合、スノボではなんの代わりも果たさない。

(4)はつまり、仲間はずれになり孤立するという最大のリスクに対処する、既存コミュニティの代替としての新規コミュニティの構築である。上記3が他者に対して代替品を提示するという話だとすると、これは自身に対する代替品の提示である。ただひたすら文句を言っていたらなんとなく状況が改善した気がするというケースは、たぶんこのパターンだろう。似たようなアンチが集ってもう寂しくなんかない、みたいな。冒頭にあげた例では仲間はずれになるリスクが対処すべき課題であることが前提なので新規コミュニティの構築が対処法となるが、現実には好ましくないと感じる原因はさまざまある。それ(ピン)を見極めることが重要になるだろう。


ちなみにこの記事は、好ましくない事態がおこったときにただ文句を言うという寂しい行為に対してのオルタナティブとして書いたつもりだが、考えてみればただの文句がただの文句とみせかけた(上記3に書いたような)なにか別の意図を持ったものだった場合は見事に空振りに終わる。

タイトルを修正しました。

修正前:他者の好ましくない言動に対処するときのポイント4つ
修正後:好ましくない言動をする他者に対処するときのポイント4つ
コメ欄でやり取りしていたら、どうもタイトルのつけ方が適切ではなく思えたため。
「そういう態度は改めろ」というのと、「その論はここがおかしい」を区別したうえで、この記事は前者に向けて書いたつもりだったが、元のタイトルはどう考えても後者に読めるだろ常識的に考えて。