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うちのこどもと、「正論原理主義」

ヒト

村上春樹さんの「正論原理主義は怖い」という発言が話題だ*1

村上春樹さんといえば、先日のエルサレム賞受賞式での「壁と卵」というスピーチ、自分は小説家だから壁と卵があればたとえ卵が間違っていようとも卵の側に立つという遠まわしな戦争批判ともとれる内容が大変な話題を呼び、一躍ときの人となった。そして今回の発言も、このスピーチに絡んでのもののようだ。

この「壁と卵」というメタファーについて、以前に内田樹さんが次のように解説されていた。即ち、壁とは言葉のこと、卵とは言葉にならないもののことであり、小説を書くということは言葉にならないものにスポットライトを当てて、それを行間で表現するということだと。私としてはこの解説を読んで、言葉にならないものの大事さ・脆さに強く同意を覚えると同時に、それを表現することの大切さ・難しさ、そして小説家という仕事のすばらしさを感じ*2、いたく感銘をうけたのだった。


さて、今般話題になっている「正論原理主義」の危険性とは、推察するに、正しい言葉によって言葉にならないものが封殺されるという危険性のことだと理解した。正しい言葉だけが礼賛され、言葉にならない正しさが排除されるという状況に危惧を覚えるのは、「卵」の側に立つことを公言する村上春樹さんにとってみれば確かに極めて自然のことにも思える。

ただ、私が思うのは、人間が正しさを求めるその姿というのは、まさに人間の本質ではないかということだ。人間は弱い。我々は、生来的には直感的に正しさ感じることはできないのだと思う。これは、うちのこども(3歳)を見ていると強くそう思う。うちのこどもは保育園に通っているのだが、そこで言われたであろうルールを常に杓子定規に振りかざし、すぐに誰が悪いかの断罪をはじめる。おもちゃを買えとねだるから断れば、小さい子のお願いを聞いてあげないのは悪いことだ*3!と指をさして追求してくる。あのね、お願いにもいろいろあってねと説明するわけだが、私には彼が交渉を目論んで詭弁を弄しているようには思えない。純粋に正しさを求めているのだ。何かを欲しいとちゃんとクチに出して言うことは良いこと*4で、それを聞き入れないのは悪いこと*5なのである。何故正しさ求めるのかといえば、それは何が正しいかがわからず、不安だからだろう。だからこそ、まずは比較的容易に手に入れることのできる言語化された明確な基準のうちに正しさを見出そうとするのではないか。そしてその不安が完全に解消されない限りにおいて、つかの間の安堵を得る唯一の手段こそが、他人を断罪し、自らの相対的正しさを実感することなのだと思う。

これがおそらく、例えば経験を積むことによって、言語化され得ない概念としての正しさを自らの内面に構築することになる。倫理である。おそらく、これがおとなになるということの意味である。人間にとっての成熟とは、何らかの判断の基準を自分のなかに抱えるということなのではないか。それこそが、生来の不安を取り除き、人間が自立することを可能にする唯一の道だと思うが故である。つい先日、こどもに自信を与えるためにはとにかく褒めることだという内容の記事に、私は不同意である旨のコメント*6を書いた。その背景はまさにここに記している内容である。即ち、こどもが自分に自信を持つという現象は、すべてその人間の人間的な成熟のもとに成り立つのではないかということである。そして、そうであれば大事なことは褒めることではなく、見せることだろう。自分が何を褒めて何を褒めないか。何に正しさを感じているのか。単に褒めたところで、こどもは「褒める技術」を身につけるだけだろうと思う。


少し話がそれたが、今回の件で村上春樹さんが「正論原理主義」という言い方をしたことについて、私は少し迂闊だったのではないかと思う。上述のとおり、正論にすがるその様こそがまさに卵なのだと思うからだ。そして「正論原理主義」という言葉はまさに壁である。何かしらの方法で表現する必要があったのであれば、「幼さを感じる」程度の比較的当たり障りのないものを選ぶべきだったのではないだろうか。

正論原理主義」などという安易なレッテル貼りではなくて、しっかりとその正論にすがる卵にスポットライトをあて、その弱さや儚さをうまく表現して欲しいと思う。少なくとも私は、自分のこどもに「正論原理主義」というレッテルを貼って、話を終わらせるようなつもりは毛頭ない。

*1:[http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20090311:title]、[http://d.hatena.ne.jp/negative_dialektik/20090309/1236605184:title]

*2:私は基本、小説を読まない。

*3:おそらく保育園では、リソースの配分に際して小さいこどもが優先されると言う原則があるのだろう。

*4:黙って取り上げることとの対比。だろうたぶん。

*5:誰かにお願いされたら、無視したりしないでちゃんとお話しようねということ。ではないか。

*6:コメント全文:[http://b.hatena.ne.jp/chnpk/20090313#bookmark-12484455:title=『違うな。こどもは犬ではない。自信とは「正しさ」の内面化。大事なのは褒めること(言語化・因果関係)より、正しさを見せること(非言語・経験)。 2009/03/13』]