読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる


貧困の主観と客観

社会

たまたまだと思うが、貧困に関して書かれた記事をいくつか読んだ。

  1. 16分に1人が自殺、11年連続3万人超、自殺か餓死か路上死か最悪の三択せまる日本社会|すくらむ
  2. やっぱり貧乏人は合理的でないのかもしれないよ。
  3. 20代と30代の死因の1位は自殺 - 若者を自殺へと排除する現実と若者バッシング|すくらむ
  4. “あなたの知らない貧困” - Chikirinの日記

「貧困」は深刻化しているのか、それとも解決に向かっているのか

まず、上記1と2は、まったく逆のことを言っているように見える。1の記事は「2007年1年間の自殺3万3093人。1日当たり90人。16分に1人が自ら命を絶っている計算になる。」として、貧困致死の深刻な状況を述べる。他方2の記事は世銀のデータをもとに、「冒頭のグラフで貧困者の数も比率もぐんぐん減っていることは見逃さないでおいてください」と述べ、現在の政策のもとで、貧困が解決に向かっているという論調をとっている。

それぞれ客観的なデータに基づいているようにみえるのだが、この行き違いは何か

客観的な「貧困」と主観的な「貧困」

これについて思ったのは、「貧困」には客観的な基準と主観的な基準があり、前者の基準に基づく「貧困」が減る一方で、後者の基準に基づく「貧困」はむしろ増えているのではないかということである。客観的な「貧困」が減っているという見方は、上記2の記事で示されているデータを参照すれば十分だろうが、主観的な「貧困」の増加については、なにぶん主観につきデータ化できるような代物ではないので、なかなか難しい論点ではある。ただ確かなことがいえるとすれば、我々は今日、自らの「貧困」の度合いについて、過去におけるそれとは比較にならないほど広範かつ多様な対象との間で比較することが可能だということだろう。もっとも原始的な社会においては、自らの「貧困」の度合いを推し量るに際しては、おそらく過去の自分との比較がもっとも有効な手段であったはずだ。それがある程度の規模を持った共同体内での生活がはじまると、その共同体内での比較がはじまる。そしていまや、我々は高度に発達した情報通信技術により、世界中の他者の(リアルな)生活水準を知ることができる。比較の対象は通時的なものから、共時的なものに移行し、さらにその範囲は劇的に拡大している。日本にも世界にも富める人がたくさんいる。なぜ自分だけが貧しいのか。そう”感じる”ことはあまりにも容易だ。

そして、ひとを死に追いやるのは、むしろ主観的な「貧困」のほうなのではないだろうか。上記3によれば餓死よりも自殺のほうが断然多いのだから、あながち的外れとも思えない。人は飢えて死ぬわけではなくて、絶望して死ぬのだ。2の記事に記載がある貧乏人の不合理にみえる行動の所以は、自らを「貧困」であると認識していないこと、つまりは同記事中に述べられているとおり、より多くの富を必要としていないことにある可能性もある。客観的な基準に照らし合わせれば確かに「貧困」かもしれない。だが、自分は何とか生きるだけの食事は確保しているし、酒も飲めるし、タバコも吸える。遠い異国の誰かと比べたりさえしなければ、そこにある程度の満足感を”感じる”こともまた可能に思える。

「貧困」問題が見えづらいことの理由

上記4の記事は、「貧困」の問題が見えづらいという問題意識を提起するものだが、私の仮説のとおり問題の根本が主観的な「貧困」にあるとすると、それが見えづらいのは当然だ。主観的な「貧困」の意識は、「恥」の意識と密接にリンクするものだからだ。誰でも自らの「恥」をあけ広げて、公に晒したくはないと思うだろう。これを社会から強制された市民としての規範の内面化や、その結果としての自分自身からの排除として論じると些かややこしい問題のように聞こえるが、要すれば「貧困」を「恥」と思う意識があるということだろう。

加えて、他方である自らが「貧困」でないと感じている人々が一体何に立脚しているかと言えば、同じように相対的な優位であるはずだ。つまるところ「貧困」でないということはある種の勝利であり、「誉」なのだ。そうした人は当然、その「誉」の因果を自らの努力に帰結させ、いっそうの満足感を得ることを選択するだろう。この時点で、「貧困」問題は各人の努力の結果以外として語られることはなくなる。

かくして「貧困」問題は、もっとも身近にありながら、もっとも見えづらい問題になっているのではないだろうか。

「貧困」の解決可能性

ここまでの推論が正しければ、大事なのは所得の上昇よりも、「貧困」を感じづらくすること、あけっぴろげに言えば誤魔化すことである。貧乏人は、金持ちを見ることで自らを貧乏人として強く認識するのだから。

これについて、インターネット上のコミュニケーションはひとつの解決策を提示している。2ちゃんねるを見れば自称ニートがたむろして、傷をなめあっているわけだ。彼らはそういうコミュニティに属することによって、「貧困」に関する主観的な基準を引き下げることに成功しているように思う。彼らにとっては「それが普通」なのだ。

こうしたコミュニティをリアル社会に落とし込めば、それこそちきりん氏の提唱する格安経済圏のような考え方につながるのかもしれない。ただ個人的には、どちらかといえば、地理的な制約が撤廃された、オンラインのコミュニティのほうに淡い期待を寄せている。オンライン・コミュニティが人々の精神にどういった影響を及ぼすのか、結論を出すにはまだ早計な時期だろう。

広告を非表示にする