恋愛はユートピアではない

その夜、彼女は静かに幕を下ろした - Attribute=51」を読んで。

結婚も一緒だけど、恋愛にゴールはない。なにか「恋愛」という恒常的かつ永続的な状態を目指しても、どこにも辿り着かない。

恋愛は、2人の人間の関係性を指すが、人間とは例外なく変容を続けるものだと思う。変容を続ける2つの個体間の関係性もまた、同一ではあり得ない。

だれか他人のことを真に理解し、また理解されるというのは、実に魅力的な甘言であるが、それは単に心地良いだけの幻想である。

「世は無常であり、生まれて死なない者はいない。いたずらに悲しむことをやめて、この無常の道理に気がつき、人の世の真実のすがたに目を覚まさなければならない。変わるものを変わらせまいとするのは無理な願いである。」


だから、「うまくいかない」状態は、きっと恋愛のいちプロセスに過ぎない。というか、そもそも「うまくい」くはずがない。相手の考えてることはわからないし、完璧に信頼することも容易でない。そうした苦悶を前提として、それを共に乗り越えることにコミットするという約束を交わした関係が恋愛関係と呼ばれてしかるべきものではないか。

恋愛とは、関係性の維持に対する腐心という常に能動的な働きかけなのであって、リゾートクラブの会員のように参加さえすれば向こうから働きかけてくれる類いのものではない。要するに、頭の上に卵を乗っけて落とさないようにする修行のようなものである。コツは、その卵を本当に大事に思うことだろうか。

恋愛になにかを求める限りにおいて、それははてしがない。「それはちょうど塩水を飲むものが、いっこうに渇きがとまらないのに似ている。彼はいつまでたっても満足することがなく、渇きはますます強くなるばかりである。人はその欲を満足させようとするけれども、不満がつのっていらだつだけである。」


きっと、我々にできることは、自身の欲と恋愛の関係をなるべく正確に把握することだ。恋愛は欲を満たしてくれるものではなくて、欲を抑えるから恋愛が成立するのだと思う。恋愛の原動力は欲を満たすことではなくて、欲を知ることだろう。目の前にいる異性を尊重することを知るということなんではないだろうか。

刻々と変化する状況というか関係性に対応するためには、そういった心持ちが必要なのではないのと思ったりする。