読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる


おもちゃのベルトを巻いたって強くなんかなれない

ヒト

なんとなく。

4歳になるうちの息子はスーパー戦隊シリーズ仮面ライダーシリーズが大好きだ。まあ、うちの息子に限らず、このくらいの年代の男の子は結構みんな好きなのだと思う。保育園のお友達もみんな観てるみたいだ。日曜の朝といえば、テレビ朝日なわけである。

先日、孫ができて完全にメロメロ状態になった私の父や母が、誕生日を迎えたわが息子のところに寄ってきて、さあプレゼントをねだれと、こう言う。息子はここぞとばかりに、いつもテレビで眺めており、憧れの対象であるあのヒーローたちのおもちゃをねだった。シンケンジャーのカタナとか、仮面ライダーのベルトとか。

これこれ。

仮面ライダーディケイド 変身ベルト DXディケイドライバー

仮面ライダーディケイド 変身ベルト DXディケイドライバー

このベルト、名前はディケイドライバーなどと立派だが、カードを入れると音が鳴って光る、ただそれだけの機能しかない。そんなの面白いのかと私は聞いたのだが、どうしてもそれが欲しいのだと言う。強情さが功を奏し、彼は誕生日に晴れてベルトを手にすることになるわけだが、そのときは大層喜んでいた。欲するものを手に入れた瞬間というのは誰でも嬉しいものだ。

ところが、案の定というべきか、そのベルトはその後すぐに飽きられることになる。当初1週間くらいは、頻繁にベルトを身につけ、「変身!」などと叫び、怪人に見立てた私を退治しては悦に入っていた。それが2週間もたてば、カードはグシャグシャニなった挙句に方々に散開し、ベルトは見向きもされなくなった。当初からすぐ飽きるのではないかと警告していた私としては、床に転がるディケイドライバーを見るにつけ、息子に対して嫌味のひとつでも言ってやりたくなるが、それも大人気ない気がするから、きちんと片付けたまえとうながす程度にとどめておこう。


うちの息子はきっと、そのベルトさえあれば仮面ライダーのように強くなれるような気がしていたのではないだろうか。確かに、そのベルトを巻いて「変身!」と叫べば、その瞬間は気分が高揚し、まるで本当に強くなったかのような感覚に浸ることはできよう。しかしその程度である。しばらくして自己を客観的に見つめれば、自分自身の力には実は何の変化もないことに気がつくことになる。そして落胆し、飽きてしまう。

我々「大人」からすれば至極当然のことだが、おもちゃのベルトを巻いただけで強くなるということはあり得ない。

なぜならそれは、他人が生み出した価値に単にParticipateするだけの行為だからだ。ローン・パーティシペーションという金融取引があるが、これはお手軽に実行できるだけで、真正譲渡にはならない。一見リスクが移転されたかのように見えるが、原則としてオフバランスは認められない。

他人の価値に単にparticipateするというのはつまり、他人の価値のフィールドに参加させてもらい、そのおこぼれにあずかるという行為だ。そうすることで、そのフィールドのうちにいる限りにおいては、まるで自らが価値を得たかのように錯覚することができる。ただ所詮おこぼれにあずかっているだけだから、そのフィールドから一歩出れば元通りのただの無価値な人間に逆戻りというわけだ。

そうではなくて、真に自らのうちに価値を得ようと思うのであれば、力を蓄え、もっと大きなフィールドに打って出て、勝負を挑み、そして勝たなくてはならないのだと思う。そうした自らのうちに得た価値を今度は他人に施すことで、その価値はより大きなものになっていく。ここが実に滑稽なところだが、Participantたちは他人の価値を消費して楽しんでいるつもりになっているが、実はむしろ搾取されているのだ。


先ほどは、「大人」であれば、おもちゃのベルトで得られる一時的な高揚感を自らの価値と混同するような愚は犯さないであろうと述べたが、「おもちゃのベルト」を「他人の価値」といったより抽象的な意味合いを持つメタファーとして捉えると、これらを混同している人は決して少なくはない。

われらが愛するはてなは、「これはひどい」のタグを片手にはてなの野を駆け回り他人を見下しては賢くなった気でいるバカや、科学なんか勉強したこともないくせに「ニセ科学批判」にだけは人一倍精が出るニセ科学者共、無駄にたくさんの本を読んでいるが斜め読みだけで自分の頭ではろくに考えてもいない勘違い賢者で溢れているし、別にインターネットに限らず街へ出ても、流行のファッションを追いかけて右往左往しあまつさえそれが自分のオリジナリティであるかのように振舞う量産型DQNや、自分で稼いだわけでもないのに高級ブランド品を消費してそれだけで立派な人間になったような気でいるボンクラばかりだ。ビジネスの世界でもまったく一緒で、自分は何もできない癖に会社の看板だけでえばり散らすダメ人間がやはり大挙しているわけだ。

別にご当人たちがそれでいいと言うのであればそれでいいのだろうが、というかそれが幸せなんだろうが、私はあまりそうなりたいとは思わなかったし、子供にそうなってほしいとも思わない。


まあ、だからあんまりおもちゃは買いたくないという話。

あ、いや、あんまり買いたくないというか、、(追記)

例えば、こういうのがよいと思う。
[rakuten:putima:1342782:detail]
こういうブロックで何かをつくれるというのは、それはつまり価値だと思うから。先日もシンケングリーンのウッドスピアが欲しいとねだる息子に、一緒にブロックでつくろうかと促したところ、じゃあそうするかとか言いながらえらく立派な「ウッドスピア」をこしらえていた。本人も満足そうだったし、こういうのはいいと思う。


これとか。


突然親ばかみたいであれだけれども、うちの息子は絵が上手だ。4歳になったばかりなのにアンパンマンとかちゃんと描ける。というか、まるがきれい。きれいというのはつまり真ん円に比較的近いということ。で、まるがきれいに描ける人というのは絵もうまい。と、昔誰かに聞いた。


こういうのも。


だって、こういう方が楽しいもの。上のベルトの面白みはよくわからないけども、カブトムシを育てて、卵を産ませて、幼虫が孵って、さなぎになって、とかはどう考えても面白いと思う。カブトムシ、捕まえてやりたかったのだけど近所には居そうもなく誕生日が迫っていたこともあってカブトムシ屋で購入してしまったのは内緒だ。でも捕まえるという経験は逃したけれど、飼育の楽しみは十分に味わえるはず。

で、なにが言いたかったかと言うと、

子供って、つい楽をして価値を得ようとしてしまうけれども、そうして得られるものなんて結局たいしたものではないと思うんだよねということで、まあ子供のうちはしょうがないのかなと思ったのだけど、よく考えたら大きいお友達でもそういう人は多いかもという話。きっと年齢の問題じゃないんだよね。