居酒屋の店長にサービス精神は必須なのか

まあ毎度のことだが、

居酒屋に酒を持ち込んで飲んでたら説教されたんだが、お前らサービス業なんだから融通きかせろやと逆切れした話でなんかみんな盛り上がってる。

前も書いたけど、たいしたカネも払わずに他人にサービス精神を押し付けるのはあまりに愚かだ。

居酒屋の価値は「居」だって?それはお前単なる地代家賃のことであって、サービスを含めた居心地を求めるならもっと高いカネ払わなきゃだめだよ。席ついただけで1人5000円とかかかる店で頭ごなしに店員から説教されたらカネ返せという話になるけど、飲み食い含めて5000円やそこらという店でサービス精神なんて期待するなボケ。

ばななだかきゅうりだかが勘違いしているのは、すべての店長は高級店並のサービスの提供を目指していて、店の売上拡大に使命感を持って取り組んでいると勝手に思い込んでるところだ。ただ生活のために保守的に働いたっていいんだよ別に。仕事に夢や希望や野心を持つことだけが「よいこと」ではないわけ。

こういう他人の目的意識に勝手に介入してくるやり方というか、一方的な価値観だけで他人を評価するやり方は典型的な「老害」のものである。

要するに場違いだという話だ。居酒屋の店長くらいであれば、マニュアルどおりにしっかり業務を行えばクビになることはないというリスクの範囲内で仕事をしてるわけだ。そんなところにわざわざ尋ねて行って、バブル期みたいな上昇志向の価値観を押し付けるという振る舞いは、いくら常連になる可能性があろうが何だろうが単に迷惑なだけだ。理由は、店長の仕事はマニュアルどおりに店舗を運営することなんであって、余計なリスクを背負うことではないからだ。上客を受け入れるには相応のキャパシティーが必要なのだ。どれほど上客だろうがキャパシティーを超える客は迷惑なのだ。


また、元の文章から店長のバカがつくほど真面目な人柄が読めないやつはただのバカだ。若しくは言いたいことを言いたいだけだからそもそも読んでない。真面目な顔で「キリがないんです」だぞ?普通じゃねえよ。なんでもルールを与えられれば、その背後にある事情を勝手に慮ってまでそのルールを絶対化して内面化してしまうような真面目な人なんだろ普通に読めば。そんな人が客前で説教に踏み切ったということは、客前で説教するなというルールがないということだろうが。つまりそういう店の方針か、もしくはマニュアル作ったやつが抜けてるんだよ。

店の方針とかランクが合わないというだけの話で、店長がバカとかそんなくだらない蔑みを挟む余地なんかねえよ。


だいたい、こういう下らない文句をいうやつに限って、高い店ではこういうことをしないものだ。そもそも持ち込みを試みないか、持ち込むんであっても事前に伺ったり、もっと丁寧に事情を説明してみたり。

結局のところ、居酒屋を見下してるわけである。いちいち個別にサービスしていては割りが合わないよう店にわざわざ行って、サービスが悪いとぼやき、自らの商売上手をアピールして悦にいってるだけの話だ。なんとも愚劣なやつらである。

追記

id:buyobuyoのブコメについて。

組織論からいってもあの対応はまったく不正解だ。結局は部下の不始末なんだから店長は詫びるのが筋だ。

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組織論でも経営論でも何でもいいのだけど、件の店長の対応が正解か不正解かといえば、不正解であるとする基準が多いことは当然に理解する。「部下の不始末を詫びるべき」、ご指摘はもっともだ。

私が言いたいのは別にそういうことではなくて、そもそも別に店長にその「正解」とやらを目指して努力する義務などないということ。すべての店長が経営論だか組織論にそって、売り上げを極大化することに使命感を持たねばならないわけではないだろうということ。

店長にしても店員にしても、たいしたリターンも見込めないのに、余計なリスクを背負い込む必要はない。雇われ店長としてのんびりやって行こうという考えであれば、別に経営側が決めたマニュアルなりなんなりに従順に業務をこなせばよろしい。それでうまくいかなければそれは店長の使い方を誤った経営側の責任に他ならない。

逆に上を目指す人は目指せばよろしい。チェーンの居酒屋であれば、他の店舗を上回る売り上げを上げて見せ、本部にアピールし、上客には取り入って、ひたすら合理性を追求すればよろしい。

で、当たり前だが後者の人のほうが人材としての市場価値は高い。意欲が高く仕事のクオリティも高いためだ。ただ、そんな人が普通居酒屋程度の店長として就任するか?せめてもっと単価の高い、サービスレベルの高い店にいるんじゃないか?だからちゃんとしたクオリティのサービスが受けたいのなら、ちゃんとした店にいかなきゃ無理なんだよ。

バブル期なんていうのは、世の中全体がアゲアゲムードだったから、居酒屋の店長とかでも変な上昇志向を持っていたかもしれないが、そんな時代はもう終わったのだ。


話は若干変わるが、「居酒屋」というシステムの中心にあるは運営のルールやマニュアル、業務のフローなのであって、もはや人間が中心ではない。人間はいわばシステムを作動させるコマに過ぎないわけだ。これはもちろん「居酒屋」というシステムの中での話であって、我々人間はコマではない。血の通った生命である。しかし「居酒屋」というシステムの作動の中にあって我々はコマに過ぎないのだ。

「店長」が「居酒屋」にとっての正解・合理性をひたすらに求めるとどうなるか。それが「疎外」である。件の店長は、まだ自らのリスク判断に基づいてマニュアルを遵守しているレベルに見えるが、これがマニュアルを超えて店の合理性に縛られるようになると、なんというかいよいよだと思う。

哲学、経済学用語としての[1]疎外(そがい、独 Entfremdung、英 alienation)とは、人間が作ったもの(商品・貨幣・制度など)が人間自身から離れ、逆に人間を支配するような疎遠な力として現れること。またそれによって、人間があるべき自己の本質を失う状態をいう。