繰り返される失敗

つい最近見た「「こりゃクビかも…」と思った仕事上の失敗 働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww」というのに共感した。

例えばこんな失敗談が綴られている。

見積もりのメールを別の顧客に誤送信した。本来送るはずだった顧客に目いっぱい優遇した見積もりだったんで、 うち・本来の顧客・誤送信先顧客の3社間の問題に発展した。 辛うじて始末書と、「次のボーナスと昇給は期待するな」で 勘弁してもらった。これが金曜日。

で、ここからが本番。

金曜日の夕方もう1通メールを誤送信しちまったorz 単に商品情報のURLをメールで紹介しただけだから、それによる損害は あり得ないんだけど、タイミングがタイミングだけに…orz

「こりゃクビかも…」と思った仕事上の失敗 働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww

あるある。

こういう、叱られたときに限って同じ失敗を繰り返してしまうという経験を、私もした事があるし、他人がしているのをみることも少なくない。私は何度言われても、資料作成時の誤植癖がなおらなかったときがあったし、何度言われてもアポイントの時間を間違えるという人もいた。


上で紹介したような話を眺めながらそんなことを思い出していたところ、同じくつい最近見た以下のフレーズをふいに思い出した。

いっぽう、最高にまちがった怒り方は「どうして…なの!」。それは質問ではなく、「おまえは…なんだ!」と強烈なメッセージを送っている(決め付けている)。

新米パパのための3冊: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

これだ。最初にこれを見たときは、元記事が「新米パパ」に向けられたものであったこともあり、良くないとわかっていてもこういう叱り方をしてしまうときがあるよねといった、いわゆる親としての共感を覚えたのみで、あまりこうした叱り方の影響などというところまでは思いが至らなかったわけであるが、上で紹介したような事例を見ていて、ふと、別に親子関係にかかわらず、大人でも子供でも、こういう叱り方又は考え方こそが失敗を繰り返させるひとつの大きな要因になっているような気がしたのだ。

話は単純で、「どうして…なの!」という怒り方をされ、「おまえは...なんだ!」と強烈なメッセージを受け取った人は、自分自身をそういう人物だとすっかり思い込んでしまい、むしろそういう人物であるための行動を無意識的にとってしまうのではなかろうか、という。

そう言えば私も、当時の上司に「お前はなんで誤植をするのだ。どうしてもっと注意深くならないのだ。」と、再三責め立てられた記憶がある。こういう言われ方をして、私はすっかり自分のことを注意深くない人間だと思い込み、自分を責めていたような記憶がある。ただ、自分が注意深くない人間だと思っているうちはそうしたミスは減らず、逆に自分の仕事に自信を持つようにしてから、ミスは減った

きっと、例えば「どうして注意深くならないのだ」などと問われたところで、それに対する有効な回答は存在すらしないというところがポイントで、真面目に考えれば考えるほど、「それは自分が注意深くない人間だからだ」というトートロジーに陥り、いたずらに自分を責める結果につながる。そして最終的には、どうしようもない「自分は注意深くない人間だから」という認識が逃げ口上として機能してしまい、周囲に甘え、注意を怠り、同じ失敗を繰り返すに至ってしまう。「自分は注意深くない人間だから仕方がない」、「自分は注意深くない人間だから周囲が気をつけてくれるだろう」、「そもそも自分が注意深くない人間であるのは、自分のせいではない」、などなど。

であるからこれは決して叱り方の話だけにはとどまらない話で、自分についての考え方の話だ。「どうして…なの!」という怒り方をされ、「おまえは...なんだ!」というメッセージを受け取ることよりもなお、「どうして自分は…なのか」と自問し、「自分は...なんだ」と思い込んでしまうことの方が根は深い。


ということで、同じ失敗を繰り返さないために反省は必要だが、あるべき問いかけは「どうして××してしまうのか」ではなくて、「どうしたら◯◯できるのか」だろう。ネガティブなイメージを自身に括りつけるような真似はやめ、ポジティブなイメージのもとで仕事に取り組んだほうがうまく行くのではなかろうか。

追記

ちょっと似たような。
- エキサイトニュース
これもか。
誠 Biz.ID:一目置かせる「役割別ビジネス会話」:「なぜできない?」と怒る上司に「こ、こいつできるぞ!」と思わせる返答とは (1/2)

自分の発想の凡庸さというかありきたり具合にちょっと引いた。以後気をつけたい。