絵を描けない人、文章を書けない人、なに言ってるかわからない人

 コミュニケーション力 (岩波新書)

何の脈絡もないが、ふと、絵を描けない人や、文章を書けない人、なに言ってるかわからない人には、共通点があるように思った。

それは端的に言えば、ものごとを正確に理解しようという意識が弱いということ。対象を正確に把握しないままに、それを絵に描いたり、文章にしたり、喋ったりするから、相手に上手に伝わらないのだ。

ある対象についてのことを伝えるには、まずはその対象を自らがきちんと理解する必要がある。脳内に描くイメージ以上に正確なものをアウトプットできるはずがないのだ。例えば、誰か他人の似顔絵を描くというのはなかなか難しい作業だが、その理由は要はその人の顔を覚えていないからだ。かわいいとかキレイとかそういう感想の類いでもなければ、その人と他の人とを区別するためのテクニカルなポイントでもなく、その人の正確な顔である。輪郭や髪型、肌の色つや、目や鼻の位置やそれぞれのつくりなど、つまりは普段我々が目で見ていると思っている情報である。普通、生活するうえではそんなものをいちいち覚える必要はないから、大抵の人は他人の顔など細かに覚えてないと思うし、それが当然だと思うが、だからこそ当然に人の顔を描けないわけである。

ただし、問題は記憶力だけではない。たとえ本人を目の前にしても、その人の正確な顔を描き写せる人は極わずかだ。目で見たものを脳に写像してそれをそのまま紙に描くと言うだけの単純な工程を通じて、まったく別物が出来上がってしまうというのは、つまり、よほど手先が不自由な人でなければ、目で見たものを脳に写像する段階で余計な情報が大幅にカットされ、適当なイメージだけがインプットされているということに他ならないのではないか。要するに、我々は目の前のものを見てるような気になっているだけで実は何も見ていないのだ。


で、こういった現象というのは、文章や発言についてであってもまったく同じだろうと思った。曖昧な理解に基づいて、書いたり喋ったりするからわけがわからなくなる。ただ人に聞いたとか、本で読んだとかいうだけのおぼろげな理解をベースにするから、本人以外には意味が不明なものが出来上がる。

聞いたとか読んだとかも、上述した「見てるような気になっているだけで実は何も見てない」状態と同じで、まったくの嘘っぱちだ。大半は、要は聞き流すとか斜め読みとかいった程度で、なんとなく聞こえの良いフレーズだけを適当に拾って、自分の経験なり思い込みと勝手に括り付けているだけに過ぎない。相手が本当は何を言わんとしていたかなどということは完全に興味の外だ。

ただこれもまあ、日常生活の範囲であればさほど困ることはないと思う。何を書いているかや、何を言っているのかを正確に理解しなくても、適当に返事だけしておけば、相手も相手で適当に都合の良いふうに解釈する。ただの雑談で、会話がしっかりかみ合うことの方が稀なのである。

困るのは仕事の局面と言うか、要するに誰かと分業するような局面だろうか。分業において正確な意思の伝達ができないのは非常に不便である。こうした伝達のコストを何とかかんとか引き下げるために、業界の専門用語があったり、マニュアルがあったり、パッケージ化された製品やサービスがあったりするのだと思うが、それでもなおカバーしきれないケースと言うのは多い。


ジョジョの奇妙な冒険」で、空条承太郎が「観察しろというのは、見るんじゃあなくて観ることだ。聞くんじゃあなく聴くことだ。」と言っていたが、まあそういうことなんだと思う。

 

ジョジョの奇妙な冒険 18~29巻(第4部)セット (集英社文庫―コミック版)

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