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「少子化対策」

社会

少子化対策という言葉に対する違和感について。

少子化対策と高齢化対策とはほとんど同じ意味と考えて間違いないと思うが、高齢化対策という言われ方はあまりしない。

なんとなく、高齢化対策という問い立てをしてしまうと、老人を殺せばいいのだというような極論めいた最適解が想起され、それが非人道的だからそういう言い方が自粛されているのかなと思う。

ただ、そうであれば少子化対策という問い立ても負けず劣らずで、あたかもとにかく女性に産ませればいいのだというような極論をいたずらに喚起するような効果があるのではないか。


以下はつい先日私がはてなブックマークで書いたコメント。

「社会全体の構造をただし少子化対策を推進することと個人の「産まないという選択」を擁護することの間にはなんら矛盾は存在しない」←たしかに。むしろ「産む機械に戻れ」の先に「少子化対策」はないわな。 2009/09/1

はてなブックマーク - chnpkのはてなブックマーク。 - 2009年9月16日

女性に対してとにかく産め、産む機械に戻れと言うことには何の妥当性も感じない。そんなことは誰も求めていないと思う。世の女性は、社会的な抑圧から解放され自由を得ることをこそ求めているのであって、誰も家庭に押し込められて自由を奪われるような人生がすべての女性に暴力的に押し付けられるべきなどと考えていない。社会全体から見ても、女性の社会進出は国民所得を大きく押し上げる歓迎すべき事態のはずだ。世論とまったくかみ合わない対策には何の意味もないだろう。

にもかかわらず、「少子化対策」と「とにかく産め」の間に、なんとなく連続性を感じてしまうのは、「少子化対策」というテーマ設定から、問題は「少子」であると思いがちで、そうであればとにかく産めば(産ませれば)解決するじゃないかという単純な思考によるものだろう。


「少子」自体に何か問題があるのだろうか。人口が右肩上がりだと思われていた時代に設計された制度が破綻することはあるかもしれないが、それは要するに社会保障制度の問題なのであって、制度の設計を見直すべき話だ。「少子」の原因にも問題があるかもしれない。最近よく取り上げられる「格差」の問題。低所得者層が増え、または養育費が高騰したために産みたくても産めない人が増えているという問題。これもあり得るだろうが、これは所得配分の問題である。

「少子」自体には特に問題はないと私は思う。むしろどこまでもこども→人口が増え続けることのほうが不自然なのであって、どこかで減り始めるというのは当たり前のことだ。問題となるべきは、少子の結果として生じる社会制度の歪や、過度な少子の一因となっているような社会の機能低下ではないか。


少子化対策」という名づけ方は、おそらく間違ってると思う。個別の問題にしっかりとスポットが当たるように、おかしな総論で括らないで各論として名付け、問題の設定をすべきだと思う。

まあ、どうでもいいくらい当たり前のことだけど。

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