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成長の物語という社会資本

 ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない

「俺の邪悪なメモ」跡地」という記事が話題だ。『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』という明らかにつまらなさそうな映画に関連して、「ブラック企業」という社会問題が提起されている。

ブラック企業」というのは何かというと、同じ記事から引用すると「「達成感」や「仲間感」でストレスに蓋をして、あり得ない労働環境を肯定させる」企業ということのようだ。うまい表現だと思う。

その「ブラック企業」について以下のように語られている。

個人的には根底に流れる「理不尽な環境に耐えることが成長を促す」みたいな価値観の部分はやはり共感しづらい。戸塚ヨットスクールの「いじめは進歩のきっかけ」を思い出した。(実際にスレ主を成長させるために、わざと社内でのいじめを放置したみたいな話も出てくるのだ)

逆境が人を成長させることはあるだろうけど、それは理不尽な環境を肯定するものじゃない。

ぼくは、仕事を無理に内面化するくらいなら、「仕事なんてクソだろ」と言い切る方が共感できる。

「俺の邪悪なメモ」跡地


確かに、企業が労働者の足もとを見て、理不尽な環境を強制することは問題だと思う。インターネットでもそういう見方が大勢のようだ。

でもそんな問題はむかーーーーーしからある問題なわけで、古くは貴族と奴隷の問題だったものが、近代になって資本家と労働者という問題に変わっただけだ。

それがなんでいまさになって急に「ブラック企業」などという新しい名前が付いて社会問題のようにして取り上げられ、注目を集めるのか、興味がある。

さらに、単純に労働環境だけ見れば、改善の一途をたどっているはずだ。いくらSEの仕事がキツいとは言え、石炭堀りよりは幾分マシといのは誰でも納得するところだろう。証券会社だって、以前は本当に社内を灰皿が飛び交っていたそうだが、最近はそういったことは滅多になくなった。

労働環境は改善しているのに何故不満は大きくなるのか、という疑問はある。


この話、きっと問題は労働環境にあるのではなくて、労働者の内面にある。

そもそも労働者というのは支配される身分なのであって、支配者層からあてがわれる仕事や環境がそんなにスバラシイものである道理がない。だから、労働者が労働環境に不満を持つというのはアタリマエというか、ほとんど労働者の定義と言って差し支えないレベルだと思う。

そういった環境に、労働者が我慢できたり我慢できなかったりする理由は、きっと”希望の有無”だろう。即ち、現状の悲惨な環境にあと数年耐え忍び、自らの能力を蓄えれば、今度は自らが労働階級を支配する立場に就く事ができる。そういう希望である。

以前の日本では、そういう希望が、制度として、社会的な慣習として提供されいた。「年功序列」である。大きなミスさえしなければ、雇用は事実上保証され、年を取っていくだけで役職が与えられた。

今や長期化する不況によって日本企業は体力を失い、「年功序列」制度は音を立てて崩壊している。会社から希望を与えられることがなくなった労働者は、自らが自らの力で自らのために希望を見出す必要性に駆られている。

冒頭で紹介した記事で紹介されているつまらなそうな映画の主人公は、「ブラック企業」でやっていくことを決めたのであれば、きっとそこに何らかの希望を見出したに違いない。

現代における新しい希望は、いまのところキャリアアップやスキルアップというストーリーで語られることが多いように思う。そんな月並みなものでも描ければ、多少はマシな映画になったのではないかなと私は思う。若しくは、「「仕事なんてクソだろ」と言い切」ってしまい、労働者としての自分はすっかり切り離し、別の人格・コミュニティにおいて自己実現を図るという方針で描ければ、なかなか前衛的な映画になったのだろう。


ところでこの問題、映画としてはそんな感じで撮っておけば別にいいと思うのだが、社会問題として考えると結構厄介だと思う。

労働者の側が、希望とは与えられるものではなく自分で見出すものなのだと気づき、各自が自立して生きていければそれでいいのだろうが、「ブラック企業」という八つ当たりが流行したり、「仕事なんてクソだろ」というニヒリズムがそれなりに市民権を得ているようでは、あまり期待できないと思ったほうがよさそうだ。

社会全体で見た場合に、労働者が希望を失い、労働者の権利に対する意識が高まると、労働組合の交渉力が強まり、賃金は下方に硬直化する。そうすると当然、企業の体力はさらに失われ、企業が労働者に提供できる希望は、むしろどんどん小さなものになっていかざるを得ない。

これはつまり、社会から成長の物語という社会資本が消え、希望が失われたことによる負担のしわ寄せが企業に来ているということだ。この負担は上述したような流れでスパイラル的に増加していき、最後は組織を崩壊させる。アメリカのGMや日本のJALがいい例である。いまや日本は、社会全体としてGMやJALのような苦境に立たされているといえる。

一般的に、そうした苦境から立ち直るには、とにかく不採算部門のリストラクチャリングを行い、組織のダウンサイジングを進め、膿を出し切る他ない。