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勝間和代は人をバカにしすぎである

新年早々、2010年の「お前が言うな」大賞とでも言うべき記事を見つけてしまった。


以下引用。

三浦 本にすがる読者もレトルトパック的な情報しか求めなくなっている。素材から吟味して、これとこれを使ったら、こういう現象が説明できると解き明かす本ではなく、温めるだけで手軽に食べられる加工食品のような本というか。料理でいえば、スパイスから自分でカレーを作る「上流」か、普通にルーを買ってタマネギやニンジンを入れて作る「中流」か、レトルトカレーを温めるだけの「下流」かという違い。最近はレトルトカレーを温めないでかける人もいるらしいです(笑)。

勝間 私たちもどうしても求められるままに、そういう加工食品の本を紹介するけれど、本当に読んでほしいのは加工食品の本ではなくて、もっと原材料ものなんです。マスメディアがなぜそれをやらないかというと、売れないからなんですね。原材料を理解してくれる知識層が少ないので、だったらもう少し食べやすいかたちに調理しないと――となる。

(中略)

三浦 勉強法の本は買ってるけど、勉強はしてないということですね。

勝間 その通りです。時間管理の本は買うけれど、自分で時間管理はしてないんです。

三浦 彼氏の見つけ方の本は買ってるけど、恋愛はしてないとか(笑)、婚活はしてるけど結婚はしてないとかね。なんでこう、「○○法」好きなのかね。

勝間 勉強するより、楽だからですよ。

三浦 勉強法を読んでたら、親も文句言わないもんなあ。

勝間 だから、なんとか勉強法、かんとか勉強法という本がやたら続くわけですよ。

さて、なにかマスメディア批判のような切り口で語られているが、あれだけ「○○法」を謳ったハウツー本の類を量産しておきながら、よく言えたものだと思う。参考までに勝間氏が過去に上梓したハウツー本らしきもの*1を列挙しておこう。

なんとか勉強法」に留まることなく、時間投資やら知的生産やら果ては人生に至るまで、惜しげもなく「○○法」や「○○術」が公開されており、これぞまさに勝間氏による勝間氏のための「儲ける技術」なのではないかと勘ぐりたくもなる。

安易な「○○法」に流れる読者を憂えてる暇があるなら、「求められるままに」駄本を量産していないで、出版社から持ちかけられた下らない企画に対し「断る力」のひとつでも発揮して見せて欲しいものだ。

そもそも、ご自身こそが最も上記引用部分で言われているところの「加工食品のような本」で儲けているわけなのであって、「原材料を理解」するような人が増えたりしたら、それこそおまんまの食い上げに成りかねないのであるから、安易な「○○法」に流れる傾向に感謝こそすれど、まさか批判しようなどというのはおこがましいにも程があり、まさに「お前が言うな」の究極到達点と言える。


また、もし自身の著作のタイトルのように、「起きていることはすべて正しい」と考えるのであれば、「原材料を理解してくれる知識層が少ない」現状に対峙して、それをただ嘆くのではなく、理由のひとつでも考えたらどうか。

何故一般的な読者が「レトルトパック的な情報しか求めなくなっている」かと言えば、それ以外必要ないからだろう。例えば勝間氏は、自分が使っている携帯電話がどういった構造で作動しているのか正確に理解しているのだろうか。大好きなグーグルの検索エンジンがどういった仕組みで動いているのか正確に説明できるのだろうか。

自らの専門分野は別として、現代社会においては高度に複雑化したさまざま構造のすべてを正確に理解することは不可能であり、それぞれの機能のみを単純に把握する他ない。ややこしいメカニズムを理解せずとも簡単に利用できるユーザーインターフェースをデザインすることにこそ価値が見出される。

原材料を理解」しようとする人が少なく思えることの理由は、別に知識層の絶対数が少なくなったわけではなくて、単に専門の分野が細分化し、ある人にとって専門外の分野が増えたというだけではあるまいか−−とか。


起きていることはすべて正しい」と言う割には「原材料を理解」しようとする人が少ない現状に対してはまったく正しさを見出そうとしないのは、この人が「正しい」と思っているのは本質的に自分でしかなく、その主張は単なる自己肯定だということだろう。

周囲の状況から何かを学び取るような真似はせず、ただひたすらに「どのように行動すれば、いま一瞬のこの時間を最大に活用できるか」を考えて、下らないハウツー本を量産することで、自分の儲けを「最大化」するわけである。

*1:一冊も読んだことはないので、タイトルのみで判断。