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妄想と現実の区別がつかない人

ヒト

我々にはおそらく、いくつかの事実関係が与えられるとそれらの間の相関性や因果関係、背後にある事情などの言わば"物語"を勝手に思い描く習性がある。

物語に固執し過ぎると、物語にとって都合の良くない事実を無視したり歪曲して理解したりしてしまい、事実関係を見誤ってしまう。往々にして物語が明快にして刺激的であるのに対して、現実は晦渋であり退屈であるけれど、現実を現実として受け止めない限り現実的な対処は望まれず、夢や希望のようなものを実現させることはできない。


例えば、村上ファンドの村上さんがインサイダーで逮捕された事件は記憶に新しいが、あの事件は日本社会においては突出した成功者は疎まれるという文脈で語られることが非常に多い。

しかし冷静に考えた場合、あの事件は単なるインサイダーなのであって、余計な物語や陰謀が挟まれる余地はさほど大きくない。

あの事件に物語を見出す人は、たいてい次のように言う。機関決定すらなされていない不確実な情報だけでインサイダー扱いされては、世の中の機関投資家はみんなインサイダーに該当すると。

ところが、機関決定の前であっても事実上の意思決定がなされてさえいればインサイダーに該当するという判例はとっくの昔に存在しており、これは疑いようのない事実なのだ。

具体的には日本織物加工事件と呼ばれる事件に関し、15年も昔に最高裁の判決が出ている。その事件は、日本織物加工の監査役である弁護士が、会社のM&Aに関する検討事実を知りながらにして市場で同社株式の買付を行ったというものである。被告人の主張は、確かに検討の事実は知っていたものの、機関決定を行う前の段階であり、いわゆる「重要事実」とまでは言えないのではないかというものであった一方で、最高裁の判決は「実質的に会社の意思決定と同視されるような意思決定を行うことのできる機関であれば足りる」とするものであった。以後、インサイダー事件には数多の事例があるが、基本的にはすべて実質的な意思決定時期が基準となっている。

考えてみれば当然で、インサイダー規制というのはつまりズルを禁止する趣旨で存在する規制だ。市場はフェアでなければならず、参加者間において情報の偏りがあってはならない。そうでない限り、市場は素人にとってはおっかなくて手が出ないものであり続け、参加者はいつまでたっても増えないということになる。そうした趣旨に鑑みれば、機関決定の前であればセーフなどという言い逃れが何の意味も為さないことくらいわかりそうなものである。

村上さんは、ライブドアに対しニッポン放送の買収を持ちかけ、前向きな返答があったことをもってニッポン放送株の買付けを行ったそうだ。これがインサイダーでなくていったい何だと言うのだろうか。確かに、前向きな返答があったとは言え、実際にライブドアが買付けを行う可能制は十分に高いものだったとは言えないかもしれない。具体的にどういう文脈でどういう返答があったのかは知らないから、その可能制の多寡を判断することは私には難しい。しかし明らかなことは、その情報を知って買付けを行った村上さんは、その他一般株主と比べて格段に有利だということだ。ライブドアニッポン放送株の買付けを公表すればニッポン放送株の値段が上昇する蓋然性が高い一方で、買付けがなされなかったとしても値段が下がるわけではないのだから明白に有利である。

物語に固執する人は、こうした事実を無視するか歪曲させて解釈している。


また、ライブドア事件も好例である。

ライブドア事件では、上記と同様に成功者の足を引っ張る日本社会という物語と共に、ライブドアの背後にある巨悪に関する物語が頻繁に語られた。ライブドアが活用した、ファンドを利用した株式交換スキームがマネーロンダリングの温床になっているとか、暴力団の資金源になっているとかいうあれである。多額の政治献金がどうのと言って、メールまで捏造した人もいた。

こうした物語が単なる妄想に過ぎず、まったく事実関係とは乖離したものであることは、その後の捜査や公判の中で概ね明らかになっている。

逆に、ライブドアがまったくの潔白であり、単に日本社会からの妬みで足を引っ張られただけという物語も現実とは程遠いものである。

偽計取引というあまり一般的ではない罪状に問われたことをもって、まるでそれが言いがかりの類いであるかのように語る向きが多いように思うが、キチンと罪刑法定主義に則り、予め制定されていた規制の違反を取り締まっただけにかかわらず言いがかり呼ばわりされては、流石の東京地検も気の毒というものである。

偽計取引も、その趣旨は要するにインサイダーと同じで、ズルは禁止ということだ。自社株の売却益を収益に計上するスキームを設けつつ、やれ株式100分割だM&Aだと投資家を煽り、さらには買収した会社の内容や自社の財務諸表も誤魔化して投資家の過大評価を狙っていたというのだから、どう考えてもフェアではなかろう。確かにそれによって株価が騰がったのであれば損をした投資家はいないかもしれないが、こうしたズルを放置することが長期的な株式市場の発展に繋がらないことは明らかである。スピード違反と一緒である。


物語を売り物にする人たちもいる。

最近では、民主党小沢幹事長に対する捜査の件に因んで、検察の横暴や暴走といった物語が大人気の様相だ。

以下の記事が、検察から演出が過剰であるとの抗議が来たとかで話題になっている。
完全引用記事:週刊朝日2月12日号 検察暴走! 子ども”人質“に女性秘書「恫喝」10時間: 本のセンセのブログ

読んでいただければわかるが、物語色を出すことに拘りすぎて、事実がどうのと言うより文章自体の論理すらおかしくなっている。検察が捜査の難航から上杉隆とか言うフリーのジャーナリストに八つ当たりし、しかもその八つ当たりが全然関係ない女性秘書に転嫁されるという以下のくだりは呆れを通り越して圧倒されるものがある。

週刊朝日の記事に対しては本気で怒っています。懇談なんかでも「上杉のヤロウ、調子の乗りやがって、目にもの見せてやる」と半ば公然と話しているくらいですから。
その報復が女性秘書に向かったんですよ」

http://honnosense.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-7dd4.html

アルファブロガーのchikirinさんは、時事問題をはてなに屯してるくらいの知能レベルの人にもわかりやすいように物語に仕立てて提供することで莫大なアクセスを稼いでいる。

先日は朝青龍引退の話を枕にして、”リヴァイアサンに立ち向かう強烈な個性”のような物語を演出していた。

ただ普通に考えれば、横綱が一般人に暴行を加えて軽度とは言えない怪我を負わせたら深刻な問題になるに決まっている。相撲が国技でとかそういう問題の以前に、単なる刑事罰*1である。刑事事件を起こした力士が責任をとって引退することに、そんなにあれやこれやと物語をデコレートする必要があるのだろうか。


気の毒なのは、こうした物語を消費して愉悦を覚えながらも自分ではそのことに気が付いていないような人たちで、妄想のなかで何かを為し遂げてしまう人たちである。

生涯を甘美な妄想のなかで過ごせればそれに越したことはなかろうが、現状、社会がそこまで寛容でないこともまた事実である。

*1:被害届が出されなかったということのようではあるが。