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ユートピアが実現する日

社会

ところで、つい先日は「妄想と現実の区別がつかない人 - よそ行きの妄想」などという話を書いたけれど、そうは言っても我々が本当の意味で幸福を手に入れることができるのは妄想の中だけなのではないかと常々思う。

何かを欲すればきりがないし、得たら得たでそれを失うことに対する恐怖に怯えることになる。我々の生にゴールはなく、永遠が訪れることはない。そこに辿りつきさえすれば全てが解決するようなユートピアは、妄想の中でのお話しに過ぎない。

こうした事実は生に絶望するに足りるものだと思うが、ついにこのつらい現実がテクノロジーによって打破されるときが来るのかもしれない。


タイタニックの記録を塗り替えるほどの大ヒットを記録しているという映画「アバター」に関して、以下のような記事がある。

映画「アバター」を見た後に平凡な日常に戻って落ち込んでいる人々がいる、との報道やインターネットへの投稿が米国で相次いでいる。「アバター観賞後うつ」とでも呼ぶべき症状で、ネットには「患者」からの声が多数書き込まれている。
この現象は、3D(3次元)で描かれた美しい神秘の惑星パンドラの風景や、自然と調和した住民の平和な生活に魅せられた人が、現実の生活との差に悩むことで起きているようだ。
ネット上にある映画のファンの英語のページに「パンドラの夢によるうつから脱する方法」というコーナーができ、人々の悩みが書き込まれている。
「映画から日常に戻り、本当に落ち込んだ。もう1回見て、絶望感から立ち直った」「映画を見てから、遊ぼうという気がなくなった」「パンドラのような所を探そうとしたが、見つからなかった」
米CNN電子版は「この映画は、仮想的な世界を作る技術としては最高。逆に、映画に出てくるユートピアと全く違う現実が一層不完全に見えてしまう」という精神医学の専門家の分析を紹介している。
この現象は日本でも話題になっており、ネットには「日本はアニメ・ゲーム文化が根付いていて、そこまでの人はいないのでは」といった見方がある。一方で「映画の宣伝ではないか」という意見もでている。

http://www.asahi.com/national/update/0126/TKY201001260294.html

ここに書かれていることはつまり、現実と見紛うほどの仮想現実を技術的に作り上げることに成功したということであり、換言すると、現実から逃避するに際していまや想像力すら不要になったのだということだ。

想像力による現実逃避の欠点は、それが主体的な営みであるという構造上、ふとした気の緩みでうっかり我に帰ってしまうという恐ろしい事態が不可避的に起こることだ。現実から逃避しようにも、やすやすとは逃げきれない。

一方で、上述の技術的に作り上げられた仮想現実というものは、それを体感するものの意思とは無関係に作動を続ける。

こうした技術は、おそらく今後さらに発展し、最終的には我々にそれが仮想現実であることを気づかせないレベルにまで到達するだろう。

我々はついに、ユートピアに到達する。そこには(あなたが望まなければ)不安もないし、恐怖もない。他者との利害対立に頭を悩ませる必要も、疎外感を感じることもない。具体的かつ身体的な欠乏に対しては、点滴でも打っておけばいい。精神的な問題に比べれば、身体的な問題など瑣事である。


いま社会問題のように言われている「引きこもり」とは、ユートピアに到達するための準備段階に他ならない。

20世紀における「引きこもり」は自室という隔絶された空間と主体的な妄想能力、そして忍耐力をも兼ね備えた限られた人間のみが辿り着ける高みであったが、21世紀の「引きこもり」は、技術の進歩によって、より完全でより大衆的なユートピアになるだろう。

現実から逃げ切れるのであれば、逃げるが勝ちかなと思う。

はあ。