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茂木センセーはちょっと飛ばし過ぎじゃないのか

雑談

テレビでも引っ張りダコの偉い脳科学者であられる茂木健一郎センセーはtwitterでも大人気で、19万人を超えるフォロワーを擁する茂木センセーがひとこと呟けば、favstarは乱れ飛び、多段RTは大地の隅々まで響き渡る勢いである。

人気がおありなのは誠に結構なことであると思うが、どうにも口を挟みたくなるような多少過激な発言も散見される。しばしば小声で突っ込んでみたりもしてるのだが、今日はそれをまとめてみようと思う。

年齢制限は差別か

まずは企業の採用活動に対するこちらのtweetから。

学生は大学にとって顧客だが、企業にとっては使用人であるから、「同じこと」であるはずがない。大学と企業が、学生に対してそれぞれ異なるスタンスをとる最大の理由は、大学は学生から授業料をもらう立場であるのに対して、企業は学生を雇用し、賃金を払う立場にある点である。

これはおそらく、いわゆる年齢差別の話をしたいのだろうと思うが、この議論自体、「どうして気付かないのかねぇ」などと恰も当然のことであるかのように振る舞えるほどに強度のある議論ではない。なぜ企業が求める人材を年齢によって定義してはいけないのか、その答えは実に曖昧だ。

差別とは、「偏見や先入観をもとに、合理的な理由なく、他人に不利益を強要すること」を指すと言えるだろう。確かに、職に就けないと給与が貰えず生活が成り立たないから、就職を断られることはその人にとって不利益である。ただ、その際の企業側の決断が非合理かどうかと言う点には大いに議論の余地がある。企業が人の採用に際して考慮すべき合理性というのは、その人が、将来、使用人として、会社組織にどの程度貢献できるかに基づく。お互いに納得できる賃金を支払って、さらに大きな見返りがあるだろうと判断した時のみ、企業はその人を採用する。

お察しの通り、この判断は将来に関するものだから、本質的には占いと一緒である。統計的なデータなどからもっともらしい傾向を抽出して、それが普遍的な傾向なのだと思い込むことは出来るが、それが当たる保証はない。

年齢による採用判断が非合理だとして、では何が合理なのか。合理と非合理の線はどこで引くのか。これは解のある問題ではない。

年齢差別に関する議論は使用人にとっては心地が良いもので、庶民の耳目を集めるには都合がよかろうが、企業の判断を徒に縛ることが、本当に効率的で万人にとって良い結果を生むのかは、実に怪しいと私は思う。

一般的には、可能な限り規制を撤廃し市場を効率的であらしめることが、社会全体の厚生を最大化するための近道である。

連帯保証制度は純粋な悪か

センセーの義憤の矛先は連帯保証人制度にも向かう。

そもそも、民法から連帯保証に関連する条項を削除したところで、相対契約における連帯保証の定めを禁止することには一切つながらないから、微妙に何が言いたいのかよくわからないが、きっと連帯保証は悪習だという類の話だと想像する。

先般、貸金業法が改正され、借り入れだけでなく個人が保証できる金額も一定の額までに制限された。銀行による貸付は当該規制の対象ではないので、銀行から事業資金を借り入れている中小企業の経営者の多くは、引き続き多額の連帯保証債務を負わされてはいるが、方向性としてはこうした業界に対する規制は強化されていっている。

第十三条の二  貸金業者は、貸付けの契約*1を締結しようとする場合において、前条第一項の規定による調査により、当該貸付けの契約が個人過剰貸付契約*2その他顧客等の返済能力を超える貸付けの契約と認められるときは、当該貸付けの契約を締結してはならない。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S58/S58HO032.html

そういう意味で、茂木センセーのみならず連帯保証に批判的な意見というのは割と広範に見受けられるものなわけだが、こうした意見について私が常々思うのは、じゃあその分のリスクは誰が負担するのという話である。

なんとなく銀行が負えと主張する人が多そうだが、当然ながら銀行には自らが負うリスクを自らが判断する権利がある。もし本当に連帯保証が禁止されたら、銀行は提示する金利を高くするか、もしくはそもそも貸さないという判断をするだけである。

それにより、貧しい人が無理な借金を負わされることがなくなってメデタシメデタシとなればよいが、おそらくそうはならず、銀行は貧しい人たちにもっと金を貸すべきだという議論が起こる。絶対起こる。実際、アメリカにおけるサブプライム層への過剰貸付の問題はそうやって始まったのだ。

ビル・クリントン大統領によって住宅都市開発相の次官補に抜擢されたロバータ・アクテンバーグが、蓄えのない人々に銀行が融資をしない主な要因は人種差別だとトンデモな主張をし、サブプライム層に対しても無理矢理融資をさせたから、リスクを取りきれなくなった銀行が、証券化によってリスクをロンダリングし、世界中の投資家に売り抜けるという仕組みを開発したのだ。それが最終的にどういった結果につながったか、まだ記憶に新しいことと思う。

これはアメリカではこういうことがあったという話で、連帯保証人制度を禁止すると必ずこうなるという話ではないが、似たような事態に陥る可能性は決して無視できるものではない。こういった可能性を考えずに、ただ庶民の味方のふりをして連帯保証人制度廃止を唱えるのは、浅はかである。

茂木センセーは、こんなことも言っている。

連帯保証させられている企業経営者が真剣に肯くのは当然で、センセーは、自分に講演を依頼してくれた銀行の人たちが苦笑いしていたことの方をもっと真剣にとらえた方がいい。

マスコミに担がれながらその堕落を批判する

茂木センセーの怒りはとどまるところを知らず、ついには自らを持ち上げ、その権威の礎となったはずのテレビ局にも向かう。

その堕落したマスコミに担ぎ上げられているのが、他ならぬ茂木センセーご自身なのであって、マスコミを批判する茂木センセーはまるで自分の足を食うタコのようだ。その堕落したマスコミにもてはやされている自分とは一体何なのか、マスコミにどのような便益をもたらす存在なのか、一度立ち止まってゆっくりお考えになられてみてはどうなのだろうか。

上で例にあげたような、一面的な事実に基づいた浅はかで短絡的な主張を垂れ流して衆目を集め、迷える子羊たちを煽動する茂木センセーの姿は、ご自身が批判する堕落したマスコミの姿にそっくりだと私は思うが。

*1:「貸付けの契約」とは、貸付けに係る契約又は当該契約に係る保証契約をいう。

*2:「個人過剰貸付契約」とは、個人顧客を相手方とする貸付けに係る契約で、当該貸付けに係る契約を締結することにより、当該個人顧客に係る個人顧客合算額が当該個人顧客に係る基準額(その年間の給与及びこれに類する定期的な収入の金額として内閣府令で定めるものを合算した額に三分の一を乗じて得た額をいう。)を超えることとなるものをいう。