2011年度総選挙振り返り(AKB)

今年もはやいもので総選挙の季節がやって来て、気づけば終わっていた。AKB48については「AKBバブルの終焉 - よそ行きの妄想」に「AKB48に学ぶ証券化の基礎技術とCDO48 - よそ行きの妄想」と、2度にわたって駄文を連ねており、あろうことかそれなりにご好評をいただいた感もあるので、調子に乗って先日の総選挙なるイベントについて感じたことを書いておくこととしたい。毎度のことながら、ファンでも何でもない人間が外部から難癖をつけるというのがそもそもエントリーの趣旨なので、ファンの方は気分を損なう可能性があるため、最初に謝っておきます。スイマセン。

柏木3位

さて、AKB48の総選挙と言えば毎度目を見張るのがトランチングの効能である。AKB48のメンバーが総選挙で高順位につけると途端にかわいくみえてしまう現象を、本質的に似たようなリスクであってもシニアと聞くとエクイティよりリスクが低い気になってしまうというファイナンスのマジックに準えて、私はトランチングと呼んでいる。

このたび、柏木由紀なる娘が前回8位から急伸、前田、大島の二大巨頭に次ぐ3位につけたという。これをもってこの微妙なルックスの少女が晴れてトップアイドルの仲間入りを果たすこととなるわけであるが、AKBで3位というカタガキがなければ、一体だれがこの娘がトップアイドルの器であると見抜くことが出来るのだろうか。

ファンがその器を見抜いたからこその3位なのだという反論があろうが、そもそもファンがファンたりえたのも、AKBとしての露出があってこそなのである。知らないが、この人の人気は、単に見た目だけによるところではないのだろう。いや、見た目だけでは説明つかな過ぎる。失礼だが。何かしら、見た目ではないキャラの要素によってここまで上り詰めてきたと考えることが妥当だろう。いや、失礼だが。

元来、アイドルの成否と言うのはルックス軸に対して効率的であったはずだ。どんなにキャラが立っていようが、ルックスでまず足きりがあって、そこを通過しなければキャラを活かすこともできなかったはずなのだ。AKB48というシステムは、この不文律を見事に打破したと言える。

普通に考えて、一部の熱狂的なマニアに担がれることと世間に認知されることの間には越え難い隔たりがある。AKB48のシニア・トランシェたちがその隔たりをやすやすと超えて行くのは、偏に総選挙と言うこの拝金主義的な仕組みがあるからに他ならない。世間は、選挙と銘打っておきながら実は票がカネで買えるという民主主義の原則をまったく無視したこの邪悪な集金システムに嫌悪感を抱きつつも、多くの貢物をかき集めたトップランカーたちを認めざるを得ない。これはつまり、キモヲタとパンピーが金銭を媒介にして価値を伝達し合うことに成功したのだと言い換えることもできよう。

かくして、ヲタによるヲタのためのイベントでしかないはずであった総選挙は金銭のチカラによって世間の注目を集めることとなり、トランチングの効能は計り知れないものとなる。AKB48のシニアトランシェであると告げれば、何も知らないパンピーが勝手に大騒ぎをして大量消費するわけで、もはや素体となるアイドルなど誰でもいいわけだ。AKBの箱の中に適当に何人かアイドルの卵を詰めておけばキャラは適当に割り振られ、選挙をすれば誰かが必ず1位になる。それで十分なのだ。

前田1位

今回トップの前田敦子は、昨年こそ大島優子に次ぐ2位の座に甘んじたものの、一昨年もやはり1位であるから、今回は王座を奪還したかたちである。ただ、私は前田と大島の争いにどういったコンテクストがあるのか、一切知らないければ興味もない。私が認識するのは、前田敦子が14万もの票を集め、1位の座を戴冠したという事実のみである。

14万票。1票1,600円らしいから、実に2億2千万円である。1か月足らずで2億を超える貢物を集める能力を有した人間は、世界広しと言えどそういまい。銀座のホステスなどにおけるマンション買って貰っちゃった的な事案を遥かに凌ぐ規模感である。今回2位の大島は「票数はみなさんの愛」と表現したが、まさにその通りだ。ホストが誕生日にシャンパンの塔を築くのとまったく同じなのであって、要するに愛は金銭によって形式化されることによって交換可能となるのである。

惜しむらくは、ヲタの愛を媒介した大量の音楽CDが、何の用途もなく部屋の押し入れに眠ってしまっていることだろう。楽曲の複製が書き込まれたメディアを個人が複数所有することに何の意味もなく、それはまるで金銭によって形式化された愛の抜け殻とでも言うべき存在である。これ、どうせだったらもうちょっと意味のあるものを使えばいいのに(外部経済的なのに)と思うのは私だけではあるまい。いっそのこと、マンション買ったら10万票!とかしたらどうだろうか。住めるし。

板野8位

最後に板野友美にも触れなければなるまい。他メンバーに先駆けて華々しくソロデビューをかざり、CMなどでも大活躍の板野は、パンピー向けの
露出が段違いに高く、私の周囲のニワカも押しなべて板野推しである。興味深いのはその度合いがオヤジになるほど高いことだが、これは、あの判で押したようにいつも同じな何かに挑むような感じの表情と、オヤジのスケベ心のプロトコルが偶然一致したということなのではないかと思っている。

ともかく、ファン層を大きく広げた板野は総選挙でも順位を伸ばすのだろうというのが常識的な下馬評であったが、ふたを開けてみれば前回4位からのまさかの4ランクダウン、第8位であったわけだ。実に興味深い結果ではないだろうか。

結局、選挙の仕組みを考えれば明らかな通り、板野についた客のカネ払いが悪かったということなのだろう。スケベオヤジは一見カネ払いが良さそうだが、キャバ嬢という貢ぎ先をすでに持っているから、板野までカネがまわらなかったのではあるまいか。そもそも推しメンのランクを押し上げるというストーリーが実利主義的なオヤジにはあまり魅力的ではなかった可能性もある。

いずれにせよ板野としては、選挙などでない方がよほどチヤホヤされるだろうから、もうAKBは辞めるしかないだろう。辞めないにしろ徐々にフェードアウトしていくのではないか。以前、当ブログに「板野友美のソロデビューは、AKBという企業体におけるレガシーコストをカットするための布石だ」というコメントが寄せられた時は、あまりのエクストリームさに度肝を抜かれたものだが、現実はまさにそのようになっている。

そしてこれは、捉え方によっては、キモヲタが世間やオヤジに迎合した板野を許さなかったというふうにも見ることも出来る。他のメンバーに対して積極的に投票すれば板野の順位を相対的に下げることができることは明らかで、パンピー及びオヤジ不在の総選挙でキモヲタが連帯すればそのくらいのことができそうな予感はする。何たる負のパワーか。

結果として板野がソロでやっていけるかどうかはわからない。高須クリニック的なクラスターではひとつの成功モデルとして捉えられている節もあるようなので、そういうキャラを濃くしていけばイス取りゲームの芸能界でも固有のポジションを確保していけるのかもしれない。ただ、再三申し上げている通り、個々ではイマイチなものを集団にすることで抽象化して(誤魔化して)売り出すというのがAKB商法の根幹にある限り、卒業は死を意味する確率の方が高いだろう。

大枚をはたいてヲタが手にしたものは、AKB48というエコシステムにおける正義だ。ヲタに迎合しないものはヲタによって葬られるのである。