マイケル・ウッドフォード氏の戦いは、なぜあんなに負け戦感満載になってしまったのか

先週書いたゲームの話については、もう少し掘り下げてみたいとは思いつつ、少し弾薬の補充が必要な状況であるため、今週は箸休め的にオリンパス事件の中心人物となったウッドフォード元社長についての雑感を書きたいと思う。

ガバナンス界の黒船

さてオリンパス事件と言えば、バブル期に嵌った財テクによって巨額の損失を被るも、問題の表面化を恐れて適正な会計処理を避け続けること20余年、歴代経営陣のお歴々が代々ひた隠しにしてきたところ、何を思ったのか内輪の論理の通じづらい外国人を社長に大抜擢した途端にすべてを明るみに出さざるを得ない状況に追い込まれ、株価は暴落するわ経営陣は全員退陣に追い込まれるわで大騒ぎになった、あの事件である。

同事件は、二代目社長が会社のカネ、それも数百億円規模をあろうことかカジノでスッてしまうという浮世離れした放蕩息子ぶりをみせ付け世間を唖然とさせた大王製紙事件と並び、日本のエクセレントカンパニーにおけるコーポレートガバナンスの何たるかを世に知らしめた好事例であった。

そして、オリンパスの社長に大抜擢され事件を明るみに出すきっかけをつくった人物こそが、何を隠そうマイケル・ウッドフォード氏その人だった。イングランド出身の実業家、1960年生である。

ウッドフォード氏は当初、かなり颯爽と登場した。

それこそ、日本型ガバナンスに引導を渡す欧米からの使者のようなイメージだった。日本人は、意外とこの黒船的概念が好きなのだと思う。開国させられたい願望のようなものでもあるのではないか。なんとか業界の黒船というコピーは、かなり長きにわたってコピーライティング業界のリリーフ的存在だ。リア・ディゾンがグラビア界の黒船と呼ばれていたのはいい思い出である。

ウッドフォード氏は、同氏がオリンパスの社長を突如として降ろされ、しかしまだ同社の取締役として過去の決算内容に疑義ありとの主張を繰り広げはじめたその頃、 まさにガバナンス界の黒船として、世論をかなり味方につけていたと思う。

当時、カウンターサイドのオリンパス側から出るコメントといえば、「ウッドフォードは日本的経営を理解しない独断先行型」などなど、まるで自らを「日本型」の枠にはめ込むためのキャラ作りのような内容ばかりだった。なぜああもオリンパスが自ら進んでチョンマゲレッテルを貼られに行ったのかは未だによくわからない。というか、かなり遺伝子レベルのものを感じる。大体、菊川剛という名前自体、狙ってるとしか思えない。いかにも家着は和服、趣味は日本刀集め、特技は柔道、嫌いなものはガイジンという感じの名前ではないだろうか。

まあ理由はともかく、オリンパスには一瞬で日本的経営の権化のような印象が染み付き、そのことが”チョンマゲ頭の侍が黒船一隻で夜も眠れず”的なコントラストに一層拍車をかけていたことは間違いなかろう。

まさかの敗戦

かくして初戦を華々しい完封勝ちで飾ったウッドフォード氏であったが、あるときから微妙に変調をきたし始める。それがいつであったか、明確に指し示すことはできない。ただなんとなく、氏がオリンパスの経営に並々ならぬ意欲を見せはじめたときに、私としてはおやと思った記憶がある。当時の私によるツイートを引用しておこう。まあさすがに日経が正面切って批判をはじめることはなかったが。

そんなウッドフォード氏の一瞬の隙をついてか、はたまた単なる偶然か、会社側は同時期に第三者員会の調査結果を発表。暴力団絡みはない旨をコメントさせて疑惑のタネを早々に限定し、有価証券報告書の訂正など必要な事務を済ませると、訝しがる周囲をよそに東証からさっさと上場維持を取り付けるという、いわゆる直ちに健康被害はありませんからの勝手に冷温停止宣言コンボを叩き込み、一瞬で勝負を決めた。団結した日本人は、ときに欧米人が理解できないほどのパワーを発揮するのだ。実にリメンバー・パールハーバーである。

その後もウッドフォード氏は、自身のバックに連合艦隊の存在を匂わせながら、委任状争奪戦を経ての社長復帰を目指す意向を表明するなど、全力右ストレート連発の様相であったが、国内主要株主をはじめ、メインバンクにも相手にされなかったとのことで、弾切れからの撤退を余儀なくされた。

最後は妻の体調を気遣って矛を収めるという、これまたまさに典型的としか言いようのない、欧米型エクスキューズを添えての哀しい幕切れとなった。

敗因は何だったのか

思うにウッドフォード氏は、自分から再度の社長登板に名乗りを上げるような真似をせずに、初戦勝ちの余韻をもっとじっくり楽しむべきだったのではないか。代表権を剥奪され、社宅の鍵を没収されても、何事もなかったかのように悠々と振舞っているべきだった。それが正義というものだからだ。正義は孤独なのだ。アンパンマンがもし”僕の顔をお食べよ”の対価を後から請求していたらどう思うか。それは正義ではない。移動パン屋だ。

同じようにウッドフォード氏も、あれだけ社外から騒いでおいて、急にこの会社を建て直せるのは私しかいないとやっても、正直マッチポンプにしか見えないから、社員としてもついて行きづらくないか。これも日本的な考え方なのだろうか。

そもそも、ウッドフォード氏の求めていたものは正義だったのか。違うだろう。英国人実業家は、そんな有名無実なものを求めたりしない。普通、実業家が求めるのは、世界を変える仕事を実現させるに足る十分な職責とそれに見合った報酬だ。

もしそうであれば、ウッドフォード氏はもう少し話を内々ですすめる必要があった。

その後の一連のウッドフォード氏による対オリンパスのネガティブキャンペーンを見ても、冒頭放たれたあの「過去の決算内容に疑義あり」攻撃は、彼の切り札だったのだ。圧倒的だった初戦以降、次は何が出てくるのかと期待して観戦していたが、結局何も出てこなかった。一瞬海外メディアから、オリンパスの背後に暴力団の存在を匂わせる報道がなされたときはおおっと思ったが、単発のラッキーパンチだったようだ。

普通、唯一の切り札をいきなりマスコミにリークするだろうか。

切り札を最初に出せば、そりゃあ初戦は飾れるだろうが、以降の勝負が悲惨なことになるのは目に見えている。大貧民(大富豪?)で強いカードから順番に切って行ったらどうなるかという話である。そりゃ負けるよ。

あるべきは、マスコミへのリークをチラつかせながら監査法人などから情報を引き出すとともに、菊川氏らと水面下で交渉を行い、徐々に権力の移譲を完遂させるという方針だったのではないか。

これはどう考えても、日本的とかそういう問題ではない。洋の東西を問わず、切り札は最後までとっておかなくては意味がないと相場が決まっている。その点において、彼は単純に迂闊だったと私は思う。

切り札を、序盤で切りすぎたのだ、彼は。

そう。倒置法で言えば、である。

敗軍の将兵を語る

最後に、私の中でウッドフォード氏の印象を決定づけることとなったニュース記事を引用させていただこう。このあたりで私の中でウッドフォード氏は、オリンパスの他の経営陣と共に完全なネタキャラと化した。

同氏は現経営陣を一掃するため、自身を含め た役員候補をそろえ、株主の賛同を得ることを 目指していた。現経営陣との委任状争奪戦を視 野に入れていたが、国内の生命保険会社や銀行 などが賛成しなかったもよう。

「株式持ち合いの相手を決して批判しないと いうあしき慣行」と、日本の持ち合い制度が 「企業統治の骨抜き」になっていると批判し た。

具体的な方法は明らかにしていないが、「不正を糾弾する戦いはこれで終わりではない」と 言明。経営陣を追及する活動は続ける意向を示 した。同氏は同日午後3時より都内で会見を開く。

オリンパス元社長「妻に耐え難い苦痛」 復帰断念:日本経済新聞

「不正を糾弾する戦いはこれで終わりではない」らしい。まるで「おれたちの戦いはまだはじまったばかりだ!」という威勢のいいセリフだけを残して打ち切られる少年漫画のようではないか。

このようなベタなボケを繰り出されると、こちらとしても「マイケル・ウッドフォード先生の次回作にご期待下さい!」と叫ばずにはいられない。