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場末のダイエット論 精神編

生活

ずいぶん久しぶりの更新になってしまった。夏になると更新が途絶えるのはいつものことだが、今年は途絶える時期がいつもより少しはやめだったように思う。いつもよりはやめに途絶えました、というのもいいんだか悪いんだかよくわからないが。

更新が途絶えたのはおそらくサッカーを観る時間を増やしたせいだが、その話はまた今度にして、今日はダイエットの話を書きたいと思っている。

理由は、正直に言おう。痩せてきたからだ。私が。

ダイエットの甲斐あって少し痩せてきたものだから、ウンチクニュアンス込みの経験談を、場末のダイエット論を、誰彼かまわずに語って回りたいというわけだ。実際、最近の私は完全に「痩せたね」待ちである。もう、待ちガイル状態。ひとたび「痩せたね」が来たら間髪いれずにサマーソルトキック。これ。空中ガードは、なしの方向で。

ダイエットをいかに持続するか

で、ダイエットだが。

まあ、語りたい気持ちは確かに先行しているのだけど、一方の実際問題としては、残念ながら大して面白い話にはならないような気もしている。

確かに、体重で言えば10kg以上減った。腹回りも5-6cm細くなり、体脂肪率も10%近く落ちたたはずだ。これだけ減れば、見た目はほぼ別人である。スーツは全部着れなくなった。ここまではいい。スーツ以外は。

ただ、この間実に2年なので。2年かかっているので。

2年でマイナス10kgということは即ち、ペースとしては5kg/年なわけであって、417g/月である。まあそのくらい痩せるでしょ感は否めない。たった1か月で5kg、6kgみたいな刺激的な成功談が巷に溢れるなかにあって、要するに、インパクトがないと思うだ。私の話には。

短期間でこんなに痩せましたというドラスティックな実績を持たない私が、効果的なダイエットの手法について語りますというのは筋道としておかしいから、私の話は、必然的にダイエットで重要なのは持続可能性だという方に傾くことになる。つまり、ダイエットをいかにして持続するか。

その通り。精神論である。どうだ。つまらなそうだろう。

ぜい肉とはなにか

さて、ダイエットはなぜ長期化するのかと言えば、それは大変だからだと思う。一言でいえば。

確かに、ダイエットの基本的な骨組み自体は実に単純であって、何となく誰でもすぐに出来そうな感じはある。要するに、摂取カロリーを消費カロリーよりも少なくすれば、人は痩せていくのだ。

太ったまま餓死する人がいないことからも明らかなように、生命維持その他の諸活動にとって必要かつ十分なエネルギーを摂取しなければ、人は餓死に向かって次第に痩せていく。もう少し具体的にいえば、人間、普通に生活しているだけで、一日あたり大体2,000kcal程度のエネルギーを消費する一方で、体内の脂肪を1kg燃やすと7,000kcal程度の熱量を発揮できるらしいから、単純に計算すれば3日ちょっと絶食すれば1kg痩せることになる。絶食は厳しいけれど、1,500kcalくらいの食事におさえれば14日で1kg程度減る計算にはなる。

それで、これのなにが大変かという話。

実際は痩せるとだんだん燃費がよくなって消費カロリーも減っていく云々という話はとりあえず置いておくとして、これは要するに毎日500kcalくらいに相当する食事を我慢するひもじさなのである。

500kcalといえば量にしてご飯2杯分くらいだが、これ、単に腹が減るとか、そんな単純な問題ではない。青少年風にいうと、心にポッカリ穴が空いた感じというのだろうか。サラリーマン風の、ストレスで胃に穴が空いた感じではない。菊地桃子と武田鉄矢が出てたパンツの穴でもない。心に穴。ポッカリ。今まで食事を楽しんでいた時間、それによって癒されていた部分、対人関係の潤滑油、そういった諸々が生活からすっぽり抜け落ちるということだ。

「別れてはじめてわかる、あの人の存在が自分の中でいかに大きくなっていたか」

「自分でも気づかないうちに私、いろんなところで彼に頼ってた」

「私、やっぱり頼れる人がいないとダメなの」

要するにそういうことである。

一度よく見てみなさい。貴方のそのたるみきった腹を。それは一体何なのか。

なんだと思いますか?

そう。それはね、貴方の人生そのものなんですよ。だいぶ盛り上がってきたが。

美味しい食事。快適な暮らし。平和な日常。牙を抜かれた狼。手負いの虎。豚に真珠。飼い慣らされた家畜の安寧である。怒れ。怒るんだ悟飯

ダイエットと食事と運動

とにかく。これまで日々積み重ねてきた人生こそが腹回りの脂肪をかたちづくっているのであって、それをなにか、摂取カロリーと消費カロリーの引き算みたいな科学的な机上の空論じみたモノで何とかしようというのは、些かムシがよすぎるのである。

タバコでもそうだが、「我慢」をするというのは、時期を区切れば出来ないことではないものの、一生続けるというのは至難の技だ。些細なきっかけから一度でも我慢の限界が来れば、はいそこで禁煙終了。ダイエット終了。儚い。あまりにも儚い。

ではどうすればよいか。

諦めるのである。汝、諦めたまへ。なにを。これまで歩んできた道のりを、だ。

一度諦めてだいぶ手前の分岐まで戻って、そうして違う道を歩くべきなのである。来た道を戻ると、すれ違う人に後ろ指をさされるようなこともあるかもしれない。しかし、勇気をもって撤退するのだ。後ろ指をさしたやつらの不幸を祈り、それを明日の活力へと変えるのである。

ダイエットの事情通は、次のように言う。

ダイエットの基本は食事制限だと。運動して消費するカロリーなど、所詮たかが知れていると。

実際、その通りである。5km。デブが汗だくになり、足をひきずりながら走っておおよそ40分。とんでもない苦行だが、カロリーの消費量は精々400kcal。だったらポテチとコーラやめれというのは、確かに一見して利にかなっている。

しかし、だ。デブは食うのが好きだからデブなんである。デブは、食事に依存している。そのデブから突然食うことを取り上げるというのは、これは殺生な話である。やはり取り上げるのなら、なにか代わりのものを渡してあげないとならない。そう思うわけだ。

ここに、運動の第一の役割がある。カロリーを消費することなど二の次だ。

まずは、デブの生活に運動を取り入れさせ、運動すると気持ちがいいということを理解させる必要がある。そして、運動したから腹が減って、腹が減るから飯を食うのだという基本原理に到達せしめ、意味もなく腹の中にカロリーを詰め込むことの恐怖を感じさせなければならない。これだけの食事量でこれだけ動けるなら、これまで食べていた量は一体何だったのだと。そうして、暴飲暴食に頼らずとも人生のバランスを保てるように徐々に訓練していかなくてはならない。

運動は、食事の代わりになり得るという話をしている。しかし、そのためには訓練が必要なのだ。

そう。減量するためにも事前に相応の訓練が必要なのであって、デブが、はいじゃあ明日から減量はじめますということはできない。これは原理的に無理だと思う。残念な話だが。一時的に食べることを我慢することは出来ようが、その期間が過ぎたらまた太るだけである。

無論、デブのナイーブなセンチメンタルを支える松葉杖は、運動でなくても構わない。ただ、暴食と両立しちゃっても仕方ないので。そこは気を付けなければならない。暴食と対立する概念で、かつ生きるためのストレス軽減になるようなものをと思うと、選択肢は決して多くないだろう。まずは、それを確保する必要がある。

生涯ダイエット

気恥ずかしさを紛らわすため、わざわざ港北ららぽーとまで遠出し、衝動買いを装ってランニングシューズを購入してから2年と3カ月。

1kmも満足に走れないただのデブだった私も、走れば20kmを完走し、泳げば4kmを泳ぎ切るようになった。ジムにも通い、平日は週に二日程度、会社帰りに立ち寄っては1.5kmほど泳ぎ、週末は軽い筋トレに加えて有酸素運動を1時間から2時間行っている。

以前は、少なくとも週に二度はワイン1本以上を空ける飲酒日(ビール1缶からカウントすると毎日)があり、酒と共に大量のから揚げとラーメンを摂取していたが、それも月に一回程度まで減っている。自分で料理をつくることも増えた。ついでに言えば、ジムは月に1万以上かかるが、その分外食費が減ったので財布には余裕が生じている。

驚くべき変容であって、そりゃ痩せるわと自分でも思う。インパクトはない。

しかしあくまでポイントは、個別の運動や食事制限ではないのだ。ポイントは、私がいま、上記のような生活を何ら苦にしていないということの方だ。我慢をしていないので。別に。この先、一生こういう生活でも、まったく問題ない。それをダイエットと呼ぶのかというと、よくわからないけど。

ここまで約2年かけてデブから普通の人になった。今は、もう1年も経てばまたずいぶん体が変わるんじゃないかと楽しみにしている自分がいるのである。

ということでみなさん、お分かりいただけただろうか。

まとめると、とりあえずアフィで靴買えという話ではあるのだが。

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