単なる詰まったトイレの修理で30万円近くを支払わされそうになった件について

秒速で1億円稼ぐ条件いや最近、ネットで与沢翼という名前をよく見る気がして、おや誰かな、non-noの専属モデルかなと、なんとなく気になっていたところ、この間暇な時間にそれを思い出したので、ちょっとググって見てしまったわけである。

すると、これがどうやら「秒速で1億円稼ぐ」という大した俗物だったわけだ。
「秒速で1億円」である。

正直、意味はよくわからない。

「分速で」とか「時速で」とかは言わないと思うが、「秒速で」とは言うだろうか。秒速何kmなのか。数cmか。いやだから1億円だよということか。そうすると間に「で」はいらなくないか。時速603,600億円だから秒速で(言えば)1億円なんですよということか。

よくわからないが、まああまり細かいことを言っても仕方がない。比較的素早く、それなりに大きな額を稼ぐというようなニュアンスだけを素直に受け取っておこうではないか。本題はその稼ぎ方の方にあるからである。

稼ぎ方。それはずばり情報商材だそうだ。

インターネットショッピングの黎明期、「○○するための方法」みたいな、要するに情報系の商品が、しばしば楽天市場やらyahoo!オークションやらで出品された。

「パチンコで負けないためのたったひとつの方法、5万円」。
気になって購入すると、
「パチンコをやらないこと。」
という簡潔な真実がお届けされる。トンチか。みたいな。

ネットショッピングのインフラ自体は誰にでも容易に手が届くようになったものの、資本を持たない個人は積極的に在庫リスクを取ることはできない。じゃあ何を売れば良いのか。情報しかないでしょ。的な。


与沢某は、そうした情報商材でたんまり儲けたので、情報商材でたんまり儲けるコツを教えます、という情報商材を売っているようだった。

オレが棺桶を開けていたはずなのに、中に入っていたのはオレだった。

階段を登ったら、実は降りていた。

何を言ってるかわからねーと思うが、オレもわからねーのである。

いやそのエコシステムだと稼げるのお前だけだろと、それこそ秒速で気づくべきではないのか。

もともと、原価がかからないということが情報商材の大きな特長なのであるからして、言うなれば情報商材ビジネスで儲けるコツは、情報商材で儲けるコツ(情報)を高値で掴まされないことでしかない。であれば、翼某は、成功する方法と称して失敗を売っていることになる。

よく知らないが、100万円くらいするらしいのである。セミナー。

よく払うなしかし。コツはコツでもポンコツか。


と、そんなことを思っていた矢先のことである。

ある日詰まったトイレの修理で業者を呼んだ私は、なんと、気がつくと30万円近くを毟り取られそうになっていた。

いや、実際、30万円までは払ってない。踏みとどまった。しかし6万円である。詰まったトイレの修理に6万円。おかしい。どう考えても高すぎる。

そう。私こそがポンコツだったという話だ。

見紛うことなき大ポンコツ。

ポンコツな私を見て。


ということで、少し経緯を話そう。

トイレは、金曜日の夜、私が帰宅するとすでに詰まっていた。便器には汚物がたまり、明らかに水位が高い。どこかが詰まっていなければあり得ない。

ただまあ、放っておけばそのうち治るだろう。それが私の最初の判断だった。

もしトイレットペーパーが詰まっているのであれば、そのうち溶けて流れるだろうと踏んだのだ。幸い、我が家にはトイレが2つある。私は詰まった方のトイレにそっと鍵をかけ、家族にも使用禁止令を出し、持久戦の準備をした。

ところが土曜日の夜、案の定自然に水位が下がったであろうトイレの状況を確認するため、1日ぶりにその封印を解いた私を待ち受けていたのは、驚くべき光景であった。

水は、引くどころかむしろ少し溢れ始めていた。

そんなはずがない。確かにドアは固く閉ざされていた。水を流したものはいないのだから、水が増えるはずがない。きっと何かの間違いだ。そうだ、もともと少し湿っていたのかもしれない(何故)。そういうことにして、私は寝た。

一夜開けて日曜の朝、水は更に溢れていた。

もうダメだ。水は汚物を含んでいる。汚い。それに床は木だ。放置したら腐る。もはや持久戦では勝ち目がない。短期決戦だ。一気に決めるしかない。業者だ。そうだ業者を呼ぼう。そう決心した私は、ゆっくりとスマートフォンに手を伸ばす。

2013年初頭、筆者32歳の冬。奇しくも家族は実家に帰省中。それは、一人きりでの留守番中に行われた一大決心であった。


その日我が家を訪れた業者は、一通りの確認を済ませると、こなれた手つきで便器の断面図を書きながら、簡潔に状況を説明してみせた。

「便器内部で何かが詰まっているだけであれば、便器を取り外しさえすれば取り除くことはできるんですが、下水管が詰まってしまうとそうはいかなくて、かなり大掛かりな工事になってしまうんですけども、いまは便器内部の詰まりだとしても、詰まっているものによっては、それを押し流すことで下水管を詰まらせてしまうこともありまして」

なるほどそういうものか。確かに下水管自体が詰まったら大変だろう。トイレ、全部詰まるということだろうし。行き場をなくした汚物がキッチンから吹き出しても困る。

業者は、流暢な説明に続けてさらりと見積りを披露する。

「専用のポンプで詰まりを押し流すだけなら1万7千円ですが、トイレを一旦取り外して詰まりを完全に取り除く場合は5万円ということになりますね。」

正直、高くても2万円くらいだろうと勝手に高を括っていた私は、完全に虚をつかれた。

「はあっ?5万?」

大袈裟に驚くことで業者を牽制しつつ思索を巡らせる。

どうする。1万円の方にするか。いやしかしそれで下水を詰まらせてしまったら目も当てられないのではないか。そもそも何を詰まらせたんだ。子供がおもちゃを落とした可能性もあるのか。電話して子供に聞くか。いや5歳児の証言などどのみち頼りになるまい。ダメだ。わからない。そもそもこの業者が高すぎるだけではないのか。一旦お引き取りいただいて他社の見積りを取るべきか。いやしかし電話して見積りまで何だかんだ3時間くらいかかっている。これから他社を呼んだのでは今日中に修理が終わらないかもしれない。その間汚水がドンドン溢れてきたらオレの休日はどうなるのだ。しかも明日は平日だ。会社もある。家の中が汚水浸しになりかねないぞ。やはり今日何とかしなくては。どうする。とりあえず1万円の方で急場を凌ぐか。以下堂々巡り。

「何が詰まっているのかお分かりにならないようであれば、トイレを外してしまったほうが安全かと。」

必死の牽制による効果も虚しく、あっさり放たれたフィニッシュブロー。

「じゃあ、5万円の方でお願いします…」

私、あえなく陥落。ゲームセットかに思えた。

しかし、試合は終わってなどいなかったのである。

そう。私が諦めても、業者は違った。完全に試合を投げた私に対して、業者はさらに畳み掛けてくる。やつは、便器を取り外す作業をしながら、さも深刻そうな面持ちでおもむろにこう言ったのだ。

「あっ…ここ…ヒビ入っちゃってますね…。」

なんということだろうか。

この男は、このうえ便器まで売りつけようと言うのだ。私はそう直感したが、もはや抵抗する力もなく、はあそうですかと応えるのが精一杯である。

「1台だけ緊急用に替えの便器を車に積んでいまして、最新の型ではないんですが、便器が5万円、タンクが5万円、ウォシュレットを付けるのであれば9万3千円ですね。」

緊急用に便器って。

情け容赦のない男である。旧式の売れ残りを、こともあろうか20万円で売りつけようとしている。恐ろしい話だ。しかし、そこには一片の合理性があるのも悔しいけれど事実。老朽化した便器はいつか交換しなければならないし、いま付いている便器については、つい今しがたそれを一旦取り外す決断を下したばかりなのだ。いませっかく便器を取り外すのに、古くなった便器を再び取り付けて、便器を新しいものに替えるときは、また外すのか。非効率じゃないか。じゃあいつ替えるのか。今でしょ!

型が違うので、リモコンで水を流すことはできなくなるということだったが、まあ別にそのくらいいいかなとか思ってしまうから恐ろしい。冷静に考えると、何故私が妥協しなければならないのか、意味が全然わからない。


結論から言えば、確かに便器の購入だけはなんとか踏みとどまることはできた。

しかしそれも業者のフィニッシュブロー、「便器が割れると足を怪我する場合もありますからね…」がたまたま空振りだったから。決して私の功績ではない。相手のエラーだ。

割れるったって別に爆発するわけじゃないんだから、大した怪我はしまい。

例えばフィニッシュが、「こっからも漏れてきちゃうかもしれませんね…」であれば、おそらくKOされていたことだろう。それほど危機一髪だったのである。

で、お会計。便器の取り外し5万円に、作業量と出張費、よくわからない部品の交換代を加え、しめて6万2,475円なり。週末におろした半月分の生活費を全て召し上げられる。試合終了。完全に判定負け。3-0である。


うむ。我ながら長い話だった。ほとんどの人が途中で読むのを止めたことだろう。

しかし、結論は言わせてもらいたい。

上記を振り返って思うこと。それは、結局、考えたら負けということだ。

我々は、考えれば考えるほど、答えが欲しくなる。答えがないとわかったとき、どんなかたちでもいいから考えた成果が欲しいと思う。

よく考えた。そう誰かに認めて欲しいと思う気持ちは、自ら考えた故だろう。

要するに褒められたいのであるな。我々は。


難敵を前に果敢に勝負を挑む。相手を打ち負かしてやろうと拳を振り上げる。

ところが、いつの間にか相手に褒められたい気持ちが勝り、殴ってるふりをしながら相手の意向ばかり伺ってしまう。実は相手も似たような感じで、いつの間にか仲良くなる。夕日の中で熱く語り合う。

「おまえなかなかやるな」
「へっ…おまえこそ…」
「今度隣町の中学の奴らとでっかい喧嘩があるんだけどお前もこいよ」
「おもしろい…やってやるか…」


私は結局、業者が褒めてくれる決断を下すに足りるだけの理由を探してしまっていた。

業者に褒めてもらおうと思ったら、そんなものなるべく多くの金を払うしかないに決まっている。決まっているのだから、せっかく考えた甲斐もない。そう思うかもしれない。しかし、他に答えがないのだから、そこに辿り着くしかないのだ。考えるというのは、そういう危険性を孕むものだと思う。

相手を前にしてあれこれ考えて答えを探し始めた時点で、それはもう負けなのだ。


騙される人には驕りがあるのである。少なからず自分の能力に対する自負がある。そこが隙になるのだ。そして、その小さな自尊心を満たすためだったら、結構なんでもやるのだよ、我々は。

従って、騙されないための方法というのは、自分でちゃんと考えないということでしかない。

基本的な方向性は2つ。

即ち、完全な無知ゆえの臆病さを常に身に纏うババア的姿勢か、もしくは印象論で早々に結論を下し一切の異論は受け付けないジジイ的姿勢。

実際、何も考えなくとも、パッと見で何となく怪しいものは怪しい。

随分長々と語ったが、要するに怪しいやつは見りゃわかるという話である。