サッカーを観たいんだがニワカにとって安全な入口がどこにあるのかよくわからない
最近、なんかサッカー観たいなって、思うのである。
もともと、決して嫌いではない。
何を隠そう中学時代はサッカー部なのだ。
ただ、その当時サッカー部に出入りしていたコーチ、今思えば単なる近所の暇な大学生だと思うのだが、そいつに意味もなくさんざん走らされた挙句「遊びでやりたい奴はやめろ」などとわけのわからないことを言われた私は、自分とサッカーの関係性を完全に見失い、そそくさと部を退いた。それ以来、なるべくボールには触れないようにして生きてきたのである。
観戦する方についても、専らアジアカップの決勝とか、オリンピックの最終予選とか、要するにそういう本質的にサッカー関係なく盛り上がるイベントに末席で参加するくらい。まあだからつまり、「決して嫌いではない」というレベルだったのだ。
それが今になって一体どうしたのかと言う話だが、これがまた、日本の若い選手たちが頑張っているのが、純粋に嬉しいのである。
本田頑張れとか思っちゃう。
そこに、自分も頑張ろうとか、あんな風になりたいとか、そういう若々しい気持ちは一切ない。完全に自分とは切り離された、他人の物語。他人の物語として、本田▲の活躍を期待し、また、いつかはビッグクラブでという彼の希望の実現を願ってやまない。我ながら、ついにここまで来たかという老け込み具合。
本田だけではない。
インテルで不動のレギュラーとして活躍する長友の勇姿。
名門マンチェスターユナイテッドに移籍を果たした香川の奮闘。
強豪ひしめくプレミアリーグに移籍した吉田麻也の躍進。
清武。その他。
こんなもの、ほとんどキャプテン翼の世界なのであって、爺さんが感動するためのネタとしては十分過ぎる。浮いた話もない枯れた余生を彩ってなお、お釣りが来るという話であり、私の人生の夢とか希望のようなものの一切をもう彼らに託してしまいたいような、そんな気持ちにさえなる。託されても困るだろうが。
サッカーが観たいなら勝手に観ればいいじゃないかという声が聞こえる。
しかし、話はそう単純ではない。これは、新しく趣味をはじめるときの第一歩を如何にして踏み出すかという話である。
「ゴチャゴチャ考えないで、とにかくやってみればいい」
それは、若い人の話だ。30代も半ばになると一時が万事。出足の躓きで骨折しかねない。下手すると一歩踏み出したが最後、そのまま再起不能ということもあり得る。
中学時代、Jリーグ開幕に合わせて、半ば無理矢理サッカー観戦をはじめたころの話。
観戦するからには贔屓のチームのひとつもないと格好がつかないということで、適当に鹿島アントラーズを選んだ。鹿島。茨城県である。うむ。円も縁もない。というか、行ったことすらない。東京で生まれて東京で育つと、態々茨城に行く意味はない。なのになぜ茨城かという話である。意味不明。明らかに見切り発車の急発進であった。ローギアのままアクセル全開。
そして、調子に乗って周囲にアントラーズ好きを吹聴した結果として、誰かに貰ったアントラーズのレプリカユニフォーム。真っ赤なやつ。それをサッカー部に入部して初日の練習に着ていった時の、あの周囲の失笑だよ。私が言いたいのは。いや、爆笑だったかもしれない。次の日からアントラーズって呼ばれるだろ、そりゃ。
当時はまだ若かったので、傷がカサブタになるのも早かったが、いま同じような失態を犯せば、傷はおそらく化膿して、手足が腫れるなどした挙句、そのまま壊死しかねないわけである。
現時点における偽らざる本音を言わせてもらえば、それはもうすぐにでもスカパーなりの有料チャンネルを契約して、欧州リーグ戦など観戦のうえブログでレビュー、ちょっとここキャプチャでやりますねと、香川のプレーよかったねと、そんな風にやっていきたい。新しい趣味に向かって、駆け出したい。しかし、上記経験を踏まえれば、そんなに急に駆け出したりしたら捻挫では済まなかろうことは、火を見るよりも明らかなのだ。
そう。この歳で何かをはじめようと思ったら、超えるべき相応のハードルというものがある。それが高過ぎると転倒して死ぬし、低過ぎると勢いがつかない。
実は、いまジムに通っている。
ポケモンジムではない。コナミスポーツクラブである。目的は、美しい体型の獲得。体型というのは、ポケモンとは違い、ゲットしたら終わりというものでもない。継続的にトレーニングを施し、維持していかなければならない。従ってそれは、一種の趣味である。
私はこの趣味、つまりトレーニングであるが、これをはじめようと思ってからいまのジムに入会するまでに、実に1年半の歳月を費やした。
その間なにをしていたか。
その辺の道を走ったりしていた。
いきなりジムに入会してすぐに行かなくなったら恥ずかしいという一心で、道路をひた走った。
膝が痛くなったからやめた。
覚えている人がいるかどうかは知らないが、2011年の暮れ、私はここのブログでランニングの成果について公表している。また、その半年ほど前には、ランニング用に靴を購入したことを仄めかした。
つまり、ここが入り口だったのだ。
ランニング用の靴の購入。まあ5,000円くらいである。これは、最初のハードルとしては最適だったと思う。趣味に向かって一歩進んだ感じはしながら、ヘタレて三日坊主しても致命傷にはなり得ない。普段履けばいいし。
さらに、靴を買ったのは港北ららぽーとだ。我が家は渋谷なので、結構な遠出。たかが靴でなぜそんな遠くまで行ったかと言えば、大型ショッピングモールを伴う地方都市の視察を兼ねたからである。それはそれでブログのネタにすることで、靴を買うというイベント自体の意味合いを限界まで薄めるという狙いがあった。大した念の入れ用である。
話を戻そう。趣味としてのサッカー観戦をはじめたいとき、一体どこを入り口にすればいいのか。
当然、最初からいきなりスカパーではハードルが高いのである。
定額課金は純粋に家計にとっても負担だし、見なくなった後、毎月毎月請求書が届くたびつらい気持ちになる。間もなくして解約するときの敗北感も耐え難いものがあるだろう。
リスクヘッジとして、例えば「(サッカー見なくなっても)映画とか見れるし」などと自分や周囲に言い聞かせて契約してしまうことは可能だろうが、現実的には別に映画も見ないという問題がある。
要するに、映画鑑賞も所詮ひとつの趣味に他ならないのだから、サッカー観戦という趣味に対する興味関心の変動リスクを映画鑑賞という別の趣味で補おうというのは、グリー株に投資するリスクを、ディー・エヌ・エー株の保有によって相殺しようとするようものなのであって、そんなものヘッジでも何でもない。倍のリスクを取っているだけ。
また、そもそも観て何か分かるのかという問題もあろう。
点取ったの取られたの、勝ったの敗けたの、感動したの何のというレベルなら、ヤフーニュースでも見とけという話でしかない。映像である必要すらないのだ。実際問題、今まさにそのレベルの情報で軽く感動できているわけで。
サッカーの試合をわざわざ映像としてインプットして、一体私は何をアウトプットできるのか。今のシュートは惜しかった。程度なのである。実際。
プレスが機能するとかしないとか。裏を狙う動きがどうだとか。ビルドアップの起点がそこだとか。何を言ってるのかイマイチわからない。いや、言ってる意味はわかる。でも映像から得たどの情報からそのような結論が導けるのか、どうにも見当がつかない。4-2-3-1とか言われても、実際問題としてピッチの上のどこにどう4人いるのか。どうして3人じゃいけないのか。
要するに、私に映像はまだ重荷だということだ。
とすると次の可能性は雑誌だろうか。
雑誌!
サッカー雑誌なんか持っていたら、それこそ私サッカーが趣味なんですよと公言しているようなものではないか。テレビではわからないちょっと通な情報探しちゃってますとアピールしているようなものではないのか。
専門誌というのはこの辺が難しい。「映画とか見れるし」といった、その場しのぎの言い訳すら成立しない。なにせ専門の雑誌なのだから。他の用途などありようがない。内容も当然、玄人向きのマニアックなものになる。
サッカーダイジェストあたり小脇に抱えた姿を誰かに一度でも目撃されようものならば、エロ本買ってるところを見られるよりも鮮烈な印象を残すことは確実だろう。
「あれ、どうしたの、サッカー好きなんだっけ?」とか言って。
いや、ま、まあちょっと、暇だったから?とでも言えばいいのか。
照れる。明らかに照れる。
折衷案として(何の)、やべっちFCを毎週録画して観るというのも考えたが、これはさすがにハードルが低過ぎる。
やべっちFC、見始めました。
例えばこんな趣旨のことをブログなりツイッターなりで書いたとして、一体誰が多少なりとも興味を示すだろうか。
この、ブログなりで仮染にもネタとして成立するか否かというのは、ひとつの試金石だと思う。人に語れずして趣味とは言えまい。
果たして、最適なハードルは何なのか。
本当は見当がついている。
Jリーグを生で観に行けばいいのだろう?何となく、それが王道のような気はする。
子供の一人や二人連れて行けば周囲に怪しまれることはまずないし、細かな戦術面が分からなくてもスタジアムならではの雰囲気を楽しむことはできよう。
それに、スタジアムまで行ってしまえば、それこそ専門誌のような、普段はなかなか恥ずかしくて買えない専用グッズにも手が出せるというものだ。修学旅行で気分が高揚するとさらっと木刀とか買えちゃうのと一緒。そのものをどこで買ったかというのは、即ち購入の動機を示すのだ。同期の清廉さこそは、正義の基本。修学旅行先で買った。スタジアムで買った。それはつまり、祭りの雰囲気にのまれた一瞬の出来心。心身喪失。無罪放免は確実なのである。
だがしかし、である。しつこいが。
それでもやはり、一抹の不安はよぎる。
Jリーグを観に行くとして、ではいったいどこのチームの試合を観に行けばいいのか。せっかく観に行くんだから、多少は応援したい。であれば、応援に値するチームの試合を観たいと考えるのが人情というもの。そこに恣意性が介在する余地がある。
この点、中学時代からのよしみで、私はきっと無意識に鹿島アントラーズを選んでしまうのではないかと危惧している。
しかしなぜ茨城。やはり最後はそこなのである。