ニーチェ入門

ニーチェ入門 (ちくま新書)

ニーチェ入門 (ちくま新書)


ニーチェです。名前だけは知ってましたが。したのスレに影響されて読んでみました。
http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-185.html


したら、キリスト教批判なんですね。ニーチェっていうのは。たまたまなのに、妙に先日からの連続性があってびっくりなのです。


1、キリスト教は、弱者の「ルサンチマン」に基づいた思想で、健全でなく、成功者の足を引っ張るような思想であり、人類の健全な発展をもたらさない。
2、本当は世の中に膳も悪もない。真理なんてゆうものもない。すべて「ルサンチマン」に起因する幻想であり、現実の世界にあるのは解釈だけだ。事実もくそもない。ついでに言えば生きる意味もないし、ほんとなんもない。
3、人類における、価値の本源は「隣人愛」ではなく、「力への意思」だ。「力への意思」は大きな権力を有する人においては、しばしば「隣人愛」として表面化することがある。


まあ、何言ってんだかわかんないと思いますけど、ざっくり言うとこんな感じ。


確かに、ニーチェの説くキリスト教のニヒリズム、即ち人類が生きるためには自己を完全に否定しなくてはならないというロジックは、説得力がありました。そして、生を肯定せずにどうして人類の発展が実現できようか、という心意気も伝わりました。


ただ、こないだのウェーバーにあったとおり、プロテスタンティズムにおける禁欲的な倫理観は、結果的には富の蓄積をなし、世界経済の発展に少なからず寄与したものであり、これ自体は否定されるべきものではないと考えます。


しかし、ニーチェのいうように、まさに神は死んだのです。神を失った大衆がニヒリズムに支配されます。このために、ニーチェはある種人間賛歌的なディオニソス的な価値観を肯定し、生を是認し、そして新しい価値の根源として「力への意思」という概念にたどり着いたのだと思います。


ところが、ニーチェ後、即ち近代ですが、ニーチェの思想はポスト・モダニズムという幾分陳腐な思想に姿を変えたことで、決して世論に対する上記のディオニソス的な価値観の浸透はなされておらず、それこそホリエモンとか村上ファンドが袋叩きにあっているような世の中ですので、大衆においてはまさに伝統的なルサンチマンが根強いようにみえますし、2ちゃんねるにはニヒリズムを感じます。


で、ここで思ったのが、キリスト教のあとを継ぐ思想というのは、きっと「資本主義」なんだろうなあということです。ほんとにふと思っただけなので、この考え方自体がありふれたものなのかどうかすら、全然わかっていないのですが、とりあえず書き散らかしておきます。
だれかが啓蒙活動しているわけでもないので、おぼろげですが、我々はどこかで「資本主義の神」(≒金ですが)を信仰しています。お金は裏切らない、とか、こういう人にお金はよってくるものだ、とか、明らかに宗教的です。

思想としての「資本主義」がより体系化され、個々人の倫理観を構成するまでになれば、きっとみんなが今よりハッピーになる予感です。で、きっとアメリカのほうが進んでますね。日本はまだ伝統的な宗教観が強いです。アメリカのあとを追えばいいというものでもありませんが、思想としての資本主義を取り入れる必要はあるかと考えます。



・・しかしこんな↑文章、書いた本人じゃなきゃ意味不明だろうな。。まあいいけど。