インターネットはメディアか

動画共有サイトに代表される新たな流通と著作権」というJASRAC主催のシンポジウムがあったそう。

コンテンツホルダーの立場からは、ホリプロ代表取締役社長COOの堀義貴氏が発言し、そもそもコンテンツがネットに流通すればすべてうまくいくという議論自体がおかしいとした。

「過去、(BS放送やCS放送など)色々なコンテンツ流通プラットフォームが登場し、その度に『これでクリエイターは仕事がたくさん増えて引く手あまたになる』と言われたが、実際にそんなことは一回もなかった。むしろ設備投資が増えてコストがかさみ、コンテンツは横並びの似たものばかりになっている。広告主は数字を求めるので、難しいものがなくなる。完全なデフレスパイラルに陥り、制作してすぐ流すという中で制作会社は疲弊し、コンテンツを作る人間がどんどん減っている。こんな夢のない世界はない」(原氏)

ニコニコ動画の技術を開発、提供しているドワンゴの代表取締役社長、川上量生氏も同意見だ。「我々がテレビ番組をニコニコ動画に出してくれとテレビ局にお願いしても、自分が相手の立場だったら『出す理由がない』と思う。宣伝になるケースも限定的にはあるが、ビジネスとしてうまく成り立つ提案を現在のネット業界は出せていない。コンテンツを出してもらえるだけの理由を業界が出せていないのが一番の問題だ」として、テレビ局が番組をネット配信することには経済合理性がないとの考えを示す。

「コンテンツはフリーであるべき、という空気があり、それを理由にIT業界がコンテンツを無料で騙し取ろうとしている雰囲気がある」(川上氏)
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20370105,00.htm

などなど。
いずれも至極まっとうなことを言っているような気がするし、全面的に賛成できる。


そもそもネット上に既存のコンテンツを流通させる意味が正直わからない。視聴者として無料で視聴できて都合がいいから、というだけではどうしようもない。既存のコンテンツを流通させるだけなら既存のメディアでいいというのは至極まっとうな話であり、上でドワンゴの社長が述べている見解には激しく同意する。


インターネットの最も大きな特徴は、私は双方向性だと考えており、廉価性は一時的な現象に過ぎないと思う。インターネットインフラについては、価格上昇の余地が大いにあると感じるし、メディア⇒広告収入⇒コンテンツ利用料は無料という思考回路はインターネットという新しいメディアで成立するとは限らない。だから、双方向性を必要としない既存のコンテンツを、インターネットで流通させようとしても、インターネットの特徴がまったく活かされないわけで、意味がないのは当たり前である。


そもそもインターネットをメディアと呼ぶことにも、よくよく考えると違和感がある。
ちょっと一瞬話がずれるが、以前にキングコング西野氏が猛烈に2ちゃんねらーを批判していた折に、どこぞの個人ブログで見かけたのが、西野氏は2ちゃんねるをテレビなどのマスメディアと混同しているのではないか、という論である。即ち、2ちゃんねるの書き込みというのはお茶の間でのボヤキがちょっと声が大きくなった版であって、テレビの評論家とはまったく立ち位置も責任も異なるとするものである。西野氏は舞台で芸を披露しているときに、客席から批判の声が聞こえたら、「失礼だ。名を名乗れ。文句があるなら舞台に上がって来い。」と詰め寄るのだろうか。と書いてあった気がする。
どこで見たのかまったく思い出せないのが悔やまれるが、私はこの考え方に非常に合点がいった。インターネットの本質をかなり的確に表現していると思う。つまり、インターネットは広義の意味で確かにひとつのメディアといえるが、既存のマスメディアとはまったく性質を異にするものなのではないか。


このあたりの定義づけは本当に難しいし、センシティブな問題であるが、インターネットの双方向性、つまりこれまで情報の受け手であった人が情報を発信できる、という特徴が損なわれるようなことだけはあってはならないと思う。例えば、インターネットの利用者に対して、所謂マスメディアの公共性のようなものを押し付けるのは理不尽だ。ただ、逆に言えば、それ以外の点、ネット以外の世界でダメなものは同様にネットの世界でもダメ、ということで何も問題はないと思う。だから、必要なことは既存のルールの本質に則り、ネットにも対応できるように柔軟に言葉尻を調整することだけではなかろうか。

ネットは新しいメディアだから新しいルールがあって当たり前とかいって、ネットを擁護している人は死んでしまっても差し支えないと思う。