サンディ・ワイル回顧録

サンディ・ワイル回顧録〈上〉―世界最大の金融帝国を築いた男

サンディ・ワイル回顧録〈上〉―世界最大の金融帝国を築いた男

上巻読了。なんだか身につまされるような内容も多く、妙にじっくり読んでしまった。下巻も買おうかなと思ってamazonを覗いたところ、意外と否定的な感想が目にとまってびっくりした。つまらないという内容の批判はなかったが、要は欲の塊のようなウォール街の内情にほとほと嫌気がさしたということだった。


確かに、サンディ・ワイルの買収戦略は、故livedoorの金満時価総額経営に似ている部分も多く、当時日夜テレビをにぎわしていた某ホリエモンの姿を連想させる気もしなくはない。時価総額経営に代表される、いわゆる「虚業」が日本社会に心底馴染まないのは、上の会社の顛末からも明らかである。


しかしながら、私が思うに、無から産まれる価値などない。そもそもサンディ・ワイルのように、あれだけの数のM&Aを経験しながら、その多くを成功に導くというノウハウ、スキルはまさに他に例を見ない価値であるといえる。また、人間の価値はさまざまあるが、およそ金銭的に定量化できる指標は、他人が嫌がることから生じるのだとも本書を読んで気がついた。人間関係の、特に金銭面の問題によるほつれ、思いつく限りでこんなに面倒なものは存在しない。これに取り組み、解決へ導くこと自体が、CEOとしての偉大なる価値なのだろうと悟った。


そしてもう一点、儲かったお金を寄付するというキリスト教的な行為は、金儲けと道徳心のバランスを保つという資本主義社会における命題を解決することに大きな役割を担っており、キリスト教社会の資本主義的な発展は偶然ではない、と確認した。即ち、ヴェーバーの指摘のとおり、彼ら(キリスト教的な道徳観が存在する社会の人)は、仕事をすること、金儲けすること、それ自体に道徳的な価値を見出している。彼らにとっては、金儲けをするということは、きっと教会で祈りをささげるということと同程度に、それ自体が意味を持った、禁欲的な活動なのだと思う。日本人が金儲けと道徳的な価値基準との折り合いについて必死で考えている間にも、彼らは何も考えずさっさと金儲けに邁進するわけだから、やはりその差は歴然なのだろう、と思った。


と、ここまで書いて、やっぱり下巻は買わなくていい気がしてきたのでやめた。2,100円もするし。読み出すとまた時間かかるし。