国家論

国家論―日本社会をどう強化するか (NHKブックス)

国家論―日本社会をどう強化するか (NHKブックス)


読後感があまりに微妙だったため、他人の書評をあさっているうちに、池田先生の(釣り?)ブログに行き着き、あまりにひどい言われようだったのでうっかりお茶を吹いた。amazonのレビューとのこの天と地ほどの乖離は一体。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/b0484c361bb6195f6feee22abfc3e064


池田先生に傾倒するわけではないが、多少批判的に評してみる。私のほうは当然、学歴がないとか、学問としては素人とか、馬鹿だとかなんだとか、そこまで言う気は毛頭ないが、この本はどうも結論ありきで半ば強引に書いた本に思える。


この本の結論はこうだ。即ち、国家とは暴力を独占する機関であり、必要悪である。国家の暴走をとめるためには社会を強化しなくてはならない。みんながんばろう。(ワイドショーに騙されるな!)
まず言いたいのは、上のような話って結構当たり前の話ではないの。今日び国家になんにしろ、権力一般について、それが善であるとか、あるべきだとか思っている人がこの世のどこかにはいるのだろうか。権力というものが、一般的にその存続を目的にしていることは明らかであるように思われる。政治家や国家官僚というのは我々と同じ人間であって、誰だって自分の職を奪われて快く思うはずがない。一方で、国家(権力)の維持には社会からの支持が必要なのであって、選挙には勝たなければいけないわけだし、暴動がおきて革命が起こらないようにしなくてはならない。よって、国家をある意味で監視するのは、また社会である。これもむしろ自明といってもいいのではないの。


次に残念なのは、どうも上の仮説が、著者自身に振りかかった不幸に根ざしたものであるような気がする一方で、著内ではあまりそれらの因果関係に触れられず、かつその場合は他の方法で上の仮説を立証する必要があるがどうにもそれが不十分に思えることだ。
著者自身に振りかかった不幸というのは言わずと知れた、(まさにデビューのきっかけでもある)件の500日を超える投獄生活を指すが、そこにどうも著者の国家の暴力性に対する原体験がありそうな気がする。そして割と脈絡なく小泉政権に対する批判が展開されることが、その感覚を見事に助長させるわけである。それは政権批判であって国家論ではないだろ、的な。

また、本著の結論たる冒頭の仮説を立証するにあたっては、私はむしろ、私が上のパラグラフで示したロジックにいくばくかの肉付けをすれば事足りるようにさえ思う。つまり、国家というものを規定するにあたっては、その機能と、それを構成する要素を考えれば足りるのではないか、ということである。何故ならばそれはまさに存在しているものだから。ところが、著者は、何故か、と言っては失礼かもしれないが、マルクスや神学を持ち出し、しかも社会の一部として国家を論じ、社会を定義することでその定義から漏れた部分を国家として規定しようと試みる。まわりくどい。しかも私の理解が足りないだけかもしれないが、あまり成功しているようにも思えない。フーコーの権力論に比べたら実に屁みたいなもんである。


なんか冗長になったので、適当にまとめるが、本著は、著者の原体験に基づく仮説を、著者の得意分野にいかに絡ませて立証するかというオナニー的なチャレンジをまとめたものである。と思う。


ただ、フォローするわけではないが、相変わらず著者の読ませる文章とでも言えばいいのか、そういうのは途方もなくうまいと思ったし、神学的な視座というのは、私には欠けているので、そのあたりはまた読み返すと思う。上は取り急ぎの書評だが、また日を改めて同著から学び取ったものを披露できる機会があるかもしれない。


ちなみに、なんだかんだ言って、私の佐藤優はもうこれで3冊目です。。
http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20070913/1189662305
http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20070906/1189078103