ネットでの匿名性について
ネットって、リアルに対するバーチャルとかそういう関係じゃなくて、要は旧社会とは別の新しい社会なんだよね。としてみる。
だとすると、そこで匿名というか実名を晒さないことが主流である意味っていうのは、たぶん
- リアル(旧社会)との関係性を絶ちたい
- 旧社会が「やり直しのきかない社会」であることに対する反抗
だと思う。
上の特徴っていうのは、言わずもがな旧社会でのランクが低い人ほど顕著で、折角新しい社会に来たのに旧社会の失敗をひきずりたくないんだっていうこと。
すごく狭いたとえ話をすると、高校デビューとかと一緒。新しい社会に参加したことをきっかけに自分を一気に変えちゃう。だから中学の友達とかには恥ずかしくてあえない。ネットでは万が一中学の友達が検索したら、すぐに見つかってしまうから、ええいもう名前も変えてしまえ、と。
逆に旧社会でそこそこ以上のランクの人は、基本的にそのランクを引き継ごうとするけれども、実は彼らにも新しい社会で認められる価値観ていうのがなんなのかいまいちまだわかっていなくて、様子を見ている人もいる。
にばんめの特徴については、旧社会では一度犯罪を起こしてしまったりとか、無職歴ができてしまったりとかしただけで、世間様の目が途端に冷たくなって、結構二度と立ち直れないような痛手を被ったりするから、新しい社会ではそういうのやめようよ、ということかと。
この特徴は、おそらく旧社会における「やりなおしのきかなさ度合い」と反比例して、その社会から派生したネット社会に強く現れるのだと思う。
なぜなら、現状でネット社会に積極的に参加しているのは、フロンティア精神あふれる一部の人を除いては、基本的に旧社会での落伍者だから。旧社会ではたまたま上手く立ち回れてるけど、別に突出した能力があるわけでも、大きな野望があるわけでもない人が、わざわざリスクをとって、成功に必要な条件すらはっきりしない新しい社会に進出するメリットがなにかありますか?と考えれば結構すぐわかると思う。
そう考えると、日本のネット社会が匿名中心なのはすごくよくわかる。クリントン前大統領が不倫しようがなんだろうがちゃんと仕事をしていればそれなりの評価を得ることができていたのは象徴的で、アメリカ社会はおそらく、功績と罪を切り離して評価することができる国柄なんだろう。対して日本では、政治家が不倫なんかしたらそれこそ「糸冬 了 」であって、どんな功績があろうと、その人は「不倫した人」になってしまい、そのレッテルが解消するということはなかなか考えづらい。
ネット社会でもこれとおんなじことが起こってしまっては困るよというわけだと思う。