ニヒリズムの蔓延とマスの消失

目下自慰的に連載中の非モテシリーズはあれはあれで物語として是非完結させてみたいのですが、テーマをちょっと一回外だししておきたいと思いまして。

何が言いたいかって、要は現代社会の問題点というか特徴としての、ニヒリズムの蔓延とマスの消失なんです。これらは、互いが互いの原因でもあって結果でもあります。

まずニヒリズムの蔓延については、単にニーチェの受け売りなんですが、要はニーチェが「神は死んだ」って言ってから現在に至るまで、結局新しい神は生まれてないんです。

日本の若者は、仕事をしようにも団塊の世代がいつまでもだらだらと頑張っていて出番がないし、(過去20年、労働市場で起ったこと(まとめ) - Chikirinの日記)恋愛しようにも資本力が足りない(恋愛資本主義)、結婚して家庭をもつにも恋愛が必要だ、一方で旧来的な価値観である「和」の空気(「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3)))みたいな相対的な価値基準もグローバリゼーションの影響で消滅した(しそう?)、
ということで、自己を承認するための価値観が見出せないのでは。

結果、ニヒリズムが蔓延し、一部には暴徒と化す輩も出始めるわけです。生に対する絶望ですよ。


マスの消失ですが、よくマスメディアがなんだとかかんだとか私も言いますが、もうマスなんてないんですよ。それこそ世代によっても国家社会(≒マス)に対する距離感や考え方は全然違いますし、地域によっても全然違う。性別によっても違う。みんなで頑張って豊かさを実現しよーとか、恋愛って素敵でしょーとか言ってた時代は終わったんです。
言うなれば、マスメディアもまた、セイの法則思想としての近代経済学 (岩波新書))下のビジネスモデルなんですよ。現代のような市場が縮小していくような社会では、それこそ格差も発生しますし、実現すべき豊かさもないし、なんかつくろうにも需要がないし、ということで社会全体が価値観を共有するなんて土台無理な話です。


だからもう、マスメディアが共通項的な価値観や空気を演出して社会の一体感を醸成!とか無理なんです。そしてこれはニヒリズムを助長させるわけです。価値観なんて自分でつくりだせる人はいないんですよ。誰かに与えてもらわなきゃ自我が崩壊しちゃうんです。伝統的なキリスト教社会なんかでは、神が人間に価値観を与えていたわけで、上にも書いた「神が死んだ」っていうのはそれがなくなった、ってことです。IT屋のバカマッチョは、すぐ「けものみち」とか「自分を信じろ」とか言いますけど、社会からの承認も得られずに、そしてその目算もなく、自分を信じてけものみちに突っ込んだら死にます。気をつけてください。

ちょっと話がそれましたが、ニヒリズムの蔓延はさらに社会を分裂させます。ニヒリズムに陥った人は、体制に対して批判的になるからです。

まさに負のスパイラルですね。


そして、この流れを加速させてるのもインターネットだと思いますし、逆にニヒリズムに対する救いもインターネットだと思うんです。
インターネットの功績って、昨日見忘れちゃったテレビがYou Tubeにアップされててうれしいな、とか、有料コンテンツがnyで取り(盗り)放題、とかじゃなくて、コミュニケーションの手段が多様化したということだと思うんです。要は「たとえそれぞれが遠く離れていても、距離的な制約を無視して価値観を共有できる仕組み」になりえると思うんです。つまりこれは社会の細分化が進むということで、マスの消滅とまったく同義ですが、小さかろうが、リアルじゃなかろうが、2ちゃんだろうが、はてなだろうが、誰かと価値を共有できて、その価値が自己を承認してくれるものなんだったらニヒリズムへの対抗にはなるんじゃないでしょうか。力への意思とか実存の美学とかわけのわからないこと言ってないで、小さくてもなんでもいいから、社会をどんどんつくっていこうよ、と。

はてなで有名プログラマとか非モテとかがクネクネやってるのって、要はそういう社会のはしりなんじゃないの。村とか言われてるし。いいぞもっとやれ。

ってことなんです私が言いたいのは。


ちなみにここでいう社会っていうのは、現状においてはですけど、資本主義社会から承認されるってことが必要条件です。つまりある社会が認定する価値は、ある程度貨幣との代替性を持たなくてはいけないんです。だから例えば、単に「犬好き集まれー」とかじゃなくて、集まった犬好きは、犬に関する知識なりの価値で相対化されて、かつ「しつけ教室」なりなんなりその価値をお金に換えるような仕組みを設けないといけない。単に集まってしまっただけの犬好きはただのオフ会で、消費集団に過ぎないわけです。だからVIPとかもだめです。
資本主義が現代の最強権力だから、こればっかりはすぐには変えようがない。でもそんなの簡単ですよ。価値がちゃんとあって人がいれば。


でさ、もうそういうことなんだから、旧社会の安心コースである学歴主義とかもうやめちゃえよ。っていう。その先になんもないんだから(まだあるけどどんどんちっさくなってるんだから)。学校という制度は社会と結びついてるうちはまだその存在だけで意味があるけど、それがなくなって単なる制度になったらほんとに教育の質だけが頼りなわけで、いまの教育制度で質の向上とか無理でしょどう考えても。だって給料安いんだもん先生の。


それから親はもっと子供を大事にしろ。こんな世の中なんだから。親が子供を愛して、全力で承認してやらないでどうすんのよ。「何を考えてるかわからなくて怖い」とか言ってる場合じゃないよ。お前のほうがわかんねーよ。あんたらの時代とは違うんだから当然だよ。
それで、子供のいってることはちゃんと汲み取ってあげて、それで(家庭という社会から)もっと大きな社会に親が要請をだしていかないとだめですよ。それはやっぱり親の役目ですよ。モンペ化しろっていうわけでも、甘やかせっていうわけでもなくて、自立した子供を育てるためになにが価値なのか教えてあげて、子供が生きていく社会をつくることにもっと尽力しましょうよ(自戒)。


と、いうことでちょっと勝手に盛り上がってしまいましたが、みんな寂しいんだよっていうことでご勘弁を。


※追記

  1. なんだか懐かしくなって、私にニーチェを読ませるきっかけになった下のスレを覗きに行ったら、2番目のレスに上で書いたのと大体おんなじことが書いてあって死にたくなった。404 Error - FC2ブログ
  2. あと企業について書き忘れた。従来型の企業っていいうのは、資本主義社会において資本主義的な価値を創出するもの、だったと思います。ただこれからは変わらなくてはならない。顧客を社会化させるものでなければならない。価値の創出者から社会の構築者へ、です。価値ではなく価値観を顧客に提供して、顧客間のコミュニケーションを活発化させるプラットフォームを提供しなくてはならない。そして顧客をhappyにすることです。それが、より大きな社会に対して真に貢献することだと思いますし、もっとも価値のあることだと思っています。