モラトリアムの学生に伝えたいなるべく大きい会社に入ったほうがいい理由3つ

暇だから、モラトリアムの京大生のひとりごとに返事してみる - よそ行きの妄想のつづき。

  1. 大企業のほうがノウハウ・スキルがたまるよ
  2. 大企業のほうがリスクが少なくてリターンはそんな変わらないよ
  3. 大企業の方が実は得られる自由が多いよ

こんな順番でいきたい。当たり前のことばっかりなんですが、お役に立てれば幸い。
てゆうか昨日から書いてたのに、長くなり過ぎたのと、ホームレスの話が予想外に盛り上がってしまったのでクソ乗り遅れた。流れ読まずにとにかく投下だ!

  • はじめに

まず最初に断わっておくけれども、私はいわゆる大企業に勤めたことはない。例の京大生のid:elegantlycruelさんのように大企業を選択しなかったわけでもない。私だってそこそこの大学を出てるのだから、人並みにそこそこの会社に行きたかった。しかしここの3つめで書いたとおり、入れなかったのだ。そして否応なしに変なIT系(当時は間違いなくインターネットの略だと思ってた)みたいなベンチャーを選択し、営業職についた。
しかし人間万事塞翁が馬とはよく言ったもので、現在に限って言えば、半分フリーみたいな働き方で、そこそこの収入(同年代であればまあまず劣ることはなかろうというくらい)を得るに至っている。
そんな私でも、人様や自分の息子なんかに勧めるのであれば、やはりまず間違いなく大企業の道を勧めたい。自分の願望とコンプレックスを押し付けてるだけじゃないの、という噂は内緒だ。以降順番に。

  • 大企業のほうがノウハウ・スキルがたまるよ

というわけで私はクソベンチャーに入社したわけだが、その教育制度の実情はOJTとかいう免罪符でいきなり仕事をとってこさせられるというだけのものだった。まだ入社して1年なのに1億稼げとか無理だろ常考。別に過剰に一般化する気もないがベンチャーの体力を考えると、2年も3年も「稼がない人」を養い続ける体力はないのだろう。大企業の教育制度とは、はっきり言って比較にならない。なぜならそもそも存在しないのだから。しかもたまたま都合よく仕事があればまだOJTできるが、最も悪いのは仕事がない場合である。この場合はもはや何も身につかない。

ところが最近の若者は、リアルで触れていても思うのだが、ベンチャーなりで現場感を養ったほうが、「ほんとうに役に立つスキル」が身に付くと考えている節があるような気がする。まあ確かにベンチャーで私の身に付いたもので、これは大企業では無理だろというものはある。「曖昧さに対する耐性」である。

ベンチャーは会社全体の知を結集させたとしてもなおわからないことだらけだし、そもそもまったく結集できてない。そんな中でまっさきに身に付いたもの、というか身に着けざるを得なかったものが「曖昧さに対する耐性」なのである。それはつまり、大事なことだけを抽出するための嗅覚と、大事なこと以外は適当にはったりをかます詐術のことだ。客前に出たときに、わからないことをいちいち解決していこうとすると全然話が進まないのだ。
これについては、早々に身につけてしまったが故に、再現可能性などはよくわからないが、こんなものが「ほんとうに役に立つスキル」かというのは結構疑わしいような気はする。

また、必要に迫られて得た知識は身につくという論点もあるかもしれない。ベンチャーなどのほうが「必要に迫られるケース」が多く、大企業で学ばされる知識は机上の空論だという対比。でもそれは、ちゃんとケーススタディとかやってお勉強してるなら、少なくとも客前で知ったかぶる程度の範囲においてはたいした差ではないという実感がある。同世代の大企業の人と接することも多いが、彼らに知識面での見劣りを感じたためしはほぼない。ちゃんとそういう印象を回避できるようになってから、人前に出てくるのだろう。業種にもよるのかもしれないが。
むしろ自分としては、私の知識の守備範囲の狭さ、即ちやったことないんでわかりません、のほうが目に付いてしまう。広範な教育を受けていないが故、だ。

ちなみに、そんななかで唯一誇れるのが上述した「曖昧さに対する耐性」だったりするのだ。「まあなんとかなりますよ」と言うだけで妙に感心されたりはする。

ということで、比較的大企業に行ったほうが、比較的ちゃんとしたものが身につくんだろうという話。

  • 大企業のほうがリスクが少なくてリターンはそんな変わらないよ

私はたまたま、行った先が儲かり始めて、そのときにちょうど一応ポジションがあったので、新卒のときから我ながらたくさん給料を頂戴していた。初年度800万くらいあったんじゃないか?しかしこれは、単に鉛筆なめなめ予想して買った馬券が大当たりでしかも万馬券ということと同じくらい、どう考えてもただの運である。もういっかいやれと言われてできるものではない。
しかも、ポジション獲得への道も決して平坦ではない。大企業と比べてベンチャーは層が薄いから「偉くなるまでの道」は比較的楽かもしれない、ただ「死なないための道」は逆に険しい。勉強して、仕事して、無茶を言う上司をいなし、時には靴を磨きながらケツにキスをしなくては生きのこれない。
生きのこれない、というのは要は実質クビになるという話だが、これは実力主義とか格好のいいものではなくて、単に数字を出せない人を養うだけの余裕がないという切実な話だ。切実なだけにシビアでもある。似たようなパフォーマンスのアホが3人いたら、上司のケツにキスしたことがない方から順番に辞めていただくだけだ。辞めていただくというか、私の見た限りでは、みな、「お前全然ダメじゃん」的な空気にいたたまれなくなって勝手に辞めていく。私は死なないために、せっせと湯飲み茶碗も洗ったし、飲み会の幹事もほぼ100%勤めた。何の予備知識もないからせっせと本を読んだし、ランチにも同席させてもらってコツを聞いた。戦略的な愚痴をこぼすという政治活動も展開した。夜は一番最後までオフィスにいたから、晩飯が遅くなってぶくぶく太ったりもした。
どれも「大企業では入社時に当然に与えられるもの」を得るための努力ではないかと思う。ベンチャー社会では人権は所与ではなく、いちいち勝ち取らなくてはならないのだ。*1
なお、私はもともと、就活の面接はもとより、大学の入ゼミや、居酒屋のバイトの面接まで落ちるような、超がつく非コミュであって、上で書いたような諸活動が結構真面目におおごとであったことは言うまでもない。

思うに私は単に、就活として瞬発力勝負の「割のいい低リスクの仕事獲得競争」に参加するか、就職後の「慢性的な生存競争」に参加するかを選択しただけなんだと思う。しかしそう考えると、ベンチャーに行くことによるリターンを得るには、結局大企業に行くときと同じような競争(性質の差こそあれ)への参加が必要となるものの、リスク自体は会社の行く末に左右されるわけで、ベンチャーの方が圧倒的にリスクが高いのだから、できれば大企業に行った方が相対的にリスクとリターンが見合う気がするのである。てゆうか大企業はリターンの割りにリスクが小さすぎて卑怯だろ。

ましてや面接などの瞬間的な人当たりにある程度自信があるのであれば、絶対大企業を選択したほうが得だと思う。慢性的な生存競争に必要なのはただの根性だが、瞬間的に相手に好印象を植え付けるのはある程度生来のものだと思うからだ。折角そういう才能があるのであれば、活かした方が良い。と思うのである。

  • 大企業の方が実は得られる自由が多いよ

大企業の方がベンチャーよりも間違いなく大きいのは、資本と歴史(経験)だろう。それは要するに社会からの信頼である。信頼が大きい主体は小さい主体よりも、より大きな仕事を社会から任せられる。つまり大企業でなくては経験できない大きなプロジェクトというのが、世の中にはたくさんある。

確かに大企業は、ベンチャーと比べて社内の規則も厳しいだろうから、所属する個人の自由を束縛する感はあるだろう。しかしまさにそのことによって、ベンチャーでは到達できないところへ行くことが叶うのである。これはハンター×ハンターの、「誓約と制約」によって念能力が高まるという図式と一緒。

これは転職するに際しても同じことがいえる。即ち、ある程度の大企業からでないと転職できない企業というのが世の中にはたくさんあるのだ。


例えばうちの父親は年齢55くらいで自営業をやっているのだが、最近すっかり飽きてしまったらしい。しかし彼は自営業だから、おいそれと今の仕事を変えることはできない。思い入れもあるだろうし、数少ないが従業員にも申し訳が立たない。自営業あがりのおじさんを雇う会社というのも今更ない。だから、仕方なく無理やり奮起しているようだ。その様を私は美しいと思うが自由だとは思わない。これがもし大企業にいれば、早期退職で退職金ゲットの道もあったかもしれないし、子会社のベンチャーに取締役として天下りして退屈な日常におさらば、ということもできたかもしれない。そもそも55にもなれば、出社しても新聞読んでればいいだけなのかもしれない。
もちろん飽きなければ問題ない。しかし将来にわたって飽きないとは言い切れないこともまた事実だろう。


また、私だけかもしれないが、ベンチャーなどで小さい仕事にばかり取り組んでいると、段々自分の仕事の社会から必要とされなさ具合に嫌気が差してくる。大企業において、個人がやってること自体はたいしたことなくても、でっかいプロジェクトの一員だと思えるということがどれだけ心の支えになるか、私には想像もできない。たまに出会う博報堂の社員などが、「先週は海外に出張でなんか現地ではすごい有名な人とアポ入っちゃってもう大変だったよー」(メタファーです)、とか語るときのあの目の輝きに嘘はないと思っている。
ベンチャーで、ひとりで1億の仕事を担当するのは最初は確かに楽しいが、100億の仕事を100人でやったほうが(収入を除いた)満足感は大きいような気がする。というか、うらやましい。実際私は、いまですでに5億以下の仕事に何の面白みも感じない。生きるために仕方なくこなす感覚。この感覚があと40年も続くことが人生だと言うなら、死にたい。生きるために興味ない仕事をやらなきゃいけないというのは、これもまったく自由じゃない。
ベンチャーの会社計画は往々にして夢見がちだが、あれは夢くらいみてないとやってられんということだと思う。にもかかわらず、たび重なる規制強化で株式公開はますます実現不可能な夢物語化しているという現実。酒持って来い!

それでしかも、家族を設けないというような話になると、「承認されたい欲」*2をまったく満たさずに生きていくことになる。仙人にでもなりたいのなら一向にかまわないが、実に険しい道である。

  • 最後に

さんざん大企業というものをざっくりした概念で褒めちぎったが、デメリットがないものはない。最後に大企業のデメリットを。
それは組織の硬直性である。老害がはびこって人の流動性がなくなった組織は、腐る。水と一緒。大企業はまさに教育に力を入れることの裏返しとして雇用年数が長いから、組織はどんどん高齢化していく。出世させるためだけに新しいポストができるようになったらもうだめだ。見限った方がいい。このことに対処していない大企業は、ちょっと事業面のリスクがベンチャー並みに高いような気がする。要はいつ潰れてもおかしくない。手前味噌⇒今日、(旧来的な)日本社会が滅んでいくんだなあということを実感した。 - よそ行きの妄想

ただ最近は、うちのような弱小会社でも老害のすくつになっているように、どうも社会全体の病理のようであるから、あながち大企業批判に結びつけるわけにもいかないのだろうけれども。


いやあ。「酔ってもないのに自分語り」が楽しくてつい長くなった。すまんね。

*1:その過程で「気合」と「根性」は身につくかもしれない。

*2:人間誰しも持ってる欲だと思ってる。