ポスト福田争いの動きに見る、政治システムの崩壊

話題として完全に出遅れてるけど一言。
後継の最右翼は麻生太郎だとか。対立が小池百合子とも。

どうもただの人気取りの美人投票みたいになってしまってる気がするが、昔からそんなもんだったんだろうか。

派閥内とか派閥間とかのドロドロした権力闘争を経て密室で決まる、とかのほうがよっぽど健全な気がする。なぜなら権力闘争を勝ち上がった、ということで少なくともある程度の政治力が担保されるからだ。

これが単に美人投票になってしまうと、「漫画大好き」とか言ってメディアに露出が増えるだけで、なんとなくの人気がなんとなくあがってしまって、なんとなく総理になってしまうのではないか。実際、私くらいのアンテナの低さだと、麻生太郎がどういう人物かや、どういう考えかなどほとんど知らない。池田信夫Blogで地底人だか最低人だかを政策顧問にしているという話を目にしたが、その程度だ。私の知識水準と国民全体の水準が一致している保証はどこにもないが、自分の生活パターンがそんなに非人間的ではないことから、まあそんなに大きな乖離はないだろう。池田信夫blogを読んでるだけむしろマシかもしれない。そんな状況で美人投票で決めると言うのはどうなの。

どうせ国民目線に走るのであれば、国民投票に切り換えるというのが筋ではないか。さすがに国民投票の選挙期間中には「漫画好き」以上の政策的なパフォーマンスを披露することになるだろうから、なんとなくの人気よりは随分ましな能力を必要とされるだろう。

いずれにせよ、一国の総理を決めるわけだから、国民に対する演説なり、アメリカばりの資金集め合戦なり、派閥内権力闘争なり、なんなり、方法は何でもいいのだが何らかの能力を試すような仕組みが最低限必要だろうと思うのだが。

国会議員であれば誰でも総理に足る能力があるというものでもあるまい。


※追記
二度目「そんなん言うなら辞めます」 - Chikirinの日記
こちらに、福田さんが単に担がれて総理になったことを問題視する発言が。
でもそういう人を選んだこと自体にも意味があるんじゃないのかな?
人気取り美人投票のゆり戻しとしての美人投票、みたいな。そもそもの原因はやはり、「中途半端に国民の目を気にすること」なのではないかと。


小泉改革が“ぶっ壊した”強靭な首相:日経ビジネスオンライン

かつての「三角大福中」のように、自他ともに認める人がいて、派閥で切磋琢磨するという時代ではなくなった。派閥が崩壊した結果、ほんとに人がいなくなった。もちろん、派閥を復活しろ、と言うつもりなどはありません。
ただ、政治家を育成するシステムが完全に壊れたことは大きい。「人材の育成」と政治家はよく言いますが、育成が必要なのはむしろ政治家自身の話。今回の福田辞任に教訓があるとすれば、政治家育成システムをどう作るか、ということではないでしょうか。

そーそー!それが言いたかった!!

テレビをうまく使う小泉方式はうまくいけば、魔術のようにすさまじい効果が得られる。小泉さんの後に続く政治家はやはりテレビポリティクスを踏襲せざるを得ない。批判的だった福田さんだって、テレビとの関係が切れるか、と言ったらそれはできなかった。安倍さんも福田さんも、小泉純一郎という総理の呪縛に囚われていた。

まさに人気取りである。人気ですべて決まってしまうから美人投票にならざるを得ないのでは。

もう10年くらいは漂流していますからね。現時点では、その先が見えていません。やはり、愚直に政権交代していくしかない。民主党政権ができれば、自民党が割れるかもしれない。民主党も様々な主義主張を持つ人を抱えている。この状況で政界再編が起きるのは1つの道かなと思います。

仕組みが悪いのだから、政権交代では解決しない気も。人気取りの流れから派閥政治への回帰はもはや不可能なのでは。であれば、米国のような国民投票にしてしまうというのも安易ではあるがひとつの手では。