過度な全体最適化の思想は個人を不幸にする。

Automatons Hacking Guide
ノリノリである。実にノリノリすぎてみていて気持ちがいいから、最近粘着しすぎてて気持ち悪いとは思ったんだけど、なんでもいいからとにかく反論したくなった。

ところで反論の前に。この人がやってるのは要はSMプレイだと思う。「オートマトン」を「ハック」するにはSMが最適な手法ということなんだろう。口汚くののしって、相手が興奮すると時折優しい言葉を投げかける。はてなーの反応を見ていると、これに心酔しているような人はまだいないようだが、私に確認できるのはコメントなりはてブなりで明示的に反応している人だけだから、他の人がどうかなど実際のところは実にあやしいと思う。

私のブログでも、同氏の前のエントリを褒めたりしたもんだから、下のようなコメントが寄せられている。

類は友を呼ぶって本当だったのですね。あなたのお褒めになっている3種類のクズがホームレスになりやすい。 - Automatons Hacking Guideを書いている人は多くのトラックバックは完全無視のスルーのくせに 女ルンペン売春婦のエントリにだけやたら好意的なレスをしている、実に生理的に気色の悪いおっさんです。最悪の趣味ですね。
例のホームレスのエントリのコメ欄があまりに長くなったし、回答しきれないので別エントリにしてみた。(追記あり - よそ行きの妄想

もはや正気の沙汰ではない。好意的なレスというのがどれをさすのかわからないが、明らかに「好意的なレスの対象」にも憎悪が向いている。これは嫉妬の一種ではないのだろうか?そもそも私のブログにコメントしているのに、私のブログについての言及が一切ない。好きな人の悪口をつい言いふらしてしまう人に似ている。
カスとかクズとか口汚く罵られたことで、気分が高揚してしまったのではないか。こういう方がこういう状態のときにふいに優しい言葉をかけられると、きっと顔が真っ赤になって、すっかり癖になってしまうだろう。



さて、ということで件のエントリだが、最初のほうは個人的に大変共感してしまう。

発展途上国がどうとか、地球温暖化がどうとか、そんな規模の大きな問題を君が考える必要は無い。
かつて先祖がした過ちの十字架を君たちが背負い込む必要も無い。
自分の所属する国以外まで幸せにする方法を君が考える必要は無い。
六本木ヒルズに住む必要も無いし大金を稼ぐ必要も無い。
君は周りの人(=君の所属する社会)の為に趣味の一貫で何か出来ればよい。
全員が共同体のために趣味の一貫で何か還元出来るようになれば、一人が困った時に100人が駆け寄れる社会になる。

うんうん。(涙目)

社会が無ければ人は無く、人が無ければ社会も無い。

まさにそうだと思う。

しかし、

毟ることしか考えていないゲスな連中を見てみろ。
君たちを苦しめているのはそう言う連中だ。
だから殺せと僕は思う。
水は低きに流れる。
ゲスな精神に染まった連中はおいそれと改めることは無い。
そして社会も君たちも、もうそんな余裕が無いところまで来てしまった。

またきたか。前回私が褒めたエントリにも同じことが書いてあったわけだが、あのときは明らかにそういう極論エントリだったからただの演出かと思ってニヤニヤしながらスルーできたが、今回はなんか落ち着いた雰囲気のなかで急に過激なのでさすがに見逃せない。本気でこんなことを主張されてはさすがに困る。


どう考えても人を殺していいはずがない。殺された人は全然幸せじゃない。
社会の犠牲になって幸せだろうというのはまったく説得力がない。社会は人を幸せにするからこそ人によって成り立っているのであって、人を殺しては本末転倒にもほどがある。

この種のいわゆる「暴力」は、国家に独占させておいてそれを監視することが、もっとも望ましい形態だと思う。むしろ暴力を独占することこそが国家の必要性だ。ちょっと盛り上がったホームレス論争を無理やり絡めると、国家にホームレスを差別するでもなく差別させて(または国家が差別しているような物語を社会が創造して)、それを批判するというのがもっとも安定した図式なのだ。
「暴力」を国家から取り戻すという動きは、「暴力」を点在させる。「暴力」が点在してしまっては、社会はまったく安心できない。北斗の拳の世界観だ。北斗神拳を身につけず、あんな世の中を生き抜くことは不可能だ。
中国共産党が「暴力」の限りを尽くしても人民が立ち上がらないのは、当然「暴力」による報復を恐れてのこともあろうが、文化大革命のようなまさに「暴力」が点在する状況よりはマシだと考えているからだろうと思う。


この人はファシストを自称するわけだが、こういう過激な主張をバカに植えつけると、本当にそういう空気ができてしまうから、少し自重して欲しい。
社会に暴力が点在し、荒廃しても誰も得をしないからだ。


ちなみに、同氏の言う、社会に貢献しないホモサピエンスは単にホモサピエンスであって、人ではないという理屈が成立する可能性は一応否定はしないが、だからといって、暴力が点在してしまうのはまったくもって受け入れられない。なぜなら自分が社会に貢献してないと難癖をつけられて変なおっさんに突然殴られるのが嫌だからだ。


そんなことより、もうでっかい社会のことは忘れよう、小さい社会と生きていこうと呼びかけてみてはどうか。社会の細分化はおそらく無限ではなく均衡を見出せると思っている。日本国家と日本社会はかならずしも同一でなくても構わない。