PEファンドに関する誤解

昨日今日と日経にMBOファンド関連の特集記事が載っているわけである。

上場企業が投資ファンドなどの出資を受け、株式を非公開化する「MBO」で、期待通りの効果が出せない企業が相次いでいる。多様な株主の目を気にせずに思い切った改革ができるとのふれこみだったが、すかいらーくでは創業社長とファンドなど大株主とで意見が対立した。MBO企業のその後を探りながら、同制度の課題や株式上場の意義を検証する。

この記事を書いた人は、PEファンドの本質を誤って理解していると思う。

ファンドに満期がある以上、「思い切った改革(笑)」に際して制約になることは構造上明らかである。
さらに、ファンドのビジネスモデルというは、投資先の企業を成長させてEXITするということももちろんなくはないが、何よりもかによりも、投資家から投資資金を集めて管理報酬を得ることである。その意味で投資ファンドと投資先の利害というのは完全には決して一致しない。


つまり、ファンドにとっての最大の関心事というのは常に資金集めであって、その意味では投資を実行できているようなファンドは、資金が集まっているわけだから、その時点で既に成功している。投資先が潰れようがなにしようが、ファンドの中の人が身銭を切っているわけではまったくないし、既に徴収した管理報酬を返金するわけでもないので、一旦集まってしまえば失敗はありえない。

強いて言えば、投資先が失敗すると次のファンド資金の集まりが悪くなると言うデメリットがあるが、これはトータルのリターンで考えなければならない。10件の投資先のうち9件が例え失敗しても一番大きい1件が成功していれば、トータルのリターンはプラスになる場合もある。

であれば、失敗しそうな投資先を深追いする動機はファンド側から見てかなり乏しい。

さらに、万が一トータルで見ても損失を出してしまった場合でも、物事は常に相対評価である。そもそものインデックスが悪い場合や、他のファンドもパフォーマンスが悪い場合などは、「仕方がない」という言い訳は容易である。加えて、比較対象を少し工夫すれば、「自ファンドのパフォーマンスが大して悪くない」という取り繕いは比較的容易だ。

また、投資家というのは、基本的には投資を業としている人たちであって、彼らもまた投資をしなくては生きてはいけない。複数あるファンドの中から、どれかを選ばざるを得ないのだ。選ぶ際にはパフォーマンスは確かに重要な要素だろうが、あまり小さいファンドのパフォーマンスというのは、偶然性に依拠するところも大きく、再現性が怪しい。大きくなればなるほどインデックスに収斂するというジレンマもある。

となると、やはり規模や投資件数で選ばれることになるのだろう。

かくしてファンドは(失敗しても最低限言い訳が効くような)投資件数をただ増やすことが目的化する。冒頭の「思い切った改革(笑)」はそのための営業トークに過ぎないと言う図式が透けて見えてくるわけである。


ところで、ファンドという機能が社会的に意味を持つとすると、究極的には取引所同様に単に投資家と企業の媒介を勤めるということだろう。取引所は株主の経営権を代理したりはしないが、それをするのがファンドという違いに落ち着くのではないだろうか。

とすると、ファンドに満期があるのはおかしいし、満期を失くしたらファンドの持分には流動性を持たせなければならない。そのためにはある程度のキャッシュフローがファンドに必要で、必然的にある程度大規模なファンドのみが残る。

また、個人の株式投資への意向が強まる一方で、大方の個人投資家において経営に対する知識などが著しく欠落している現状を見るに、ファンドがその代理行使を行うと言う仕組みであれば、非常に有意義なものに思え、逆にいえば現状はそういった理想型に移行する過渡期と言えるのかもしれない。

そういった状況が実現し、ファンドが完全に社会に受け入れられる存在になれば、詐欺的な営業トークで経営難に苦しむ企業をだまくらかして結局みんな不幸にする、という状況は自然に解消される。