「会話の通じない人」は最強か

ついさきほどふと目にとまった『今も昔も会話の成立しない人最強』*1というブクマコメントについて。

私は金融業会で、M&Aなんかの仕事を中心に取り扱っている。弱小証券ではあるが。「会話が通じない人」に出会うケースは多い。

通常、M&Aを進めるにあたっては、経済合理性や法知識などに則ったコミュニケーションをこころがけるのだが、相手によっては政治的なコミュニケーションや道徳的なコミュニケーション以外はまったく理解しようとしない人がいる。

非常に単純かつわかりやすい例で言うと、「会社は誰のものか」。法的に考えれば会社の財産は最終的には株主に帰属するから、会社は株主のものだと言っていいのだろうが、世の中には会社は従業員のものだとか、お客様のためにあるのだ、と言ってはばからない人は後を絶たない。これは、コミュニケーションの基盤が異なるということだ。

M&Aの話ですよ、と前提をおけば、大概の人はいくら自分にとってなじみがあるのが道徳的コミュニケーションであっても、それは一旦忘れて、無理をしてでも経済合理性や法的なコミュニケーションにあわせてくるものだが、それをまったくしない人というのも結構いる。

あるときは、こちらがいくら、取締役会としても株主の手前極端に非合理的な意思決定はできないという説明をしても、信義を通せの一点張りで迫ってくる。またあるときは、こちらがどれだけ、定量的なリスクを説明しきっても、不安感情を優先する以外の判断基準をもてない。

これが、はてな村での議論(笑)であれば、お互いに「あいつは話の通じないバカだ」ということにして、あとは妖怪どっちもどっちの登場を待つだけということになるが、ビジネスではそうもいかない。話をどこかにまとめなくてはならないからだ。いくらかの妥協をしてもなお、まとまったほうがまとまらないよりも経済的なメリットが大きいからだ。


そういった局面において、上にあげたような「会話が通じない人」は果たして再強か。

確かに、会話が通じないだけあって、こちらの要望を通すのは確かに難しい。何を言っても同じ答えが返ってくるわけだ。さらに、そういう人に限って無駄に声が大きいので、段々精神的にへこたれてくるのも確かだ。どうでもいい問題であれば、じゃあそれでいいですよもう、と言ってしまいたくもなる。いわゆるゴネ得というやつだ。

ただ、何かしら落としどころを設けて、話をまとめなくてはならないような重要な話の場合、彼らが有利だったという記憶はまったくない。相手が「会話が通じない人」であれば、落としどころはどちらかといえばこちら側にくるのが、経験上通例だ。

仕掛けは単純で、相手はこちらの言っていることがわからないのに、こちらは相手の言っていることはわかるから、朝三暮四的に落としどころを適当に用意して、そこに引っ掛ければいいわけだ。

であるから私の認識では、コミュニケーションの基盤を多く持っている人こそ強い(落としどころを自分側に持ってこれる)ということになる。

「会話が通じない人」が最強なのは、それこそはてな村の議論(笑)のような、勝ち負けという二元論的などうでもいい枠の中だけだと思う。


交渉ごとについては、『子育てに見る交渉のかんどころ - よそ行きの妄想』も、
M&Aとかの話は、『日本の需要不足を解消し、経済を回復させる<帝国主義> - よそ行きの妄想』もよろしく。

*1:『[http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20081229/1230538627:title]』より。