「しつけ」について

先日の記事の補足として。

愛があればラブイズオッケーか

まず最初に言っておきたいのは、赤ん坊や子供がグズったときのあの不快感について。

子供は昼夜を問わずあるとき突然グズり出す。原因はなにかあるのだろう。眠いときが多いような気がするが、腹が減ったとき、のどが渇いたときなどいろいろあるのだろう。「だろう」と言うのは、赤ん坊の場合、当然すべての不快感を泣き声としてアウトプットするから、聞いてるこちらとしては、その泣き声がどの不快感に紐づいているのかは皆目わからないからだ。さらに言えば、おそらくグズっている当人自身も、なにが不快感の源泉なのかを把握してはいないだろう。泣き叫ぶ子供のオムツを替えてやり、ミルクを与え、抱きかかえ、あやし、思いつく限りのあらゆる対処を施しても一向に泣き止まないことはざらにある。子供は、私の献身的な態度に何かを感じることもなく、ただひたすらに泣き、喚き、ときに罵ってくる*1のだ。まあそれが彼らのたった一つのコミュニケーションの手段であり、目的は注意をひくことなのだから、当然といえば当然だ。しかし、「子供 泣き止まない」の検索結果は270,000件だ。

そんなときに湧き上がる感情はただひとつ。あれは不快感としか言いようがない。何度殴りつけてやろうと思ったことか。子供が泣き止まなかったので”しつけ”のつもりで殴ったという類の児童虐待のニュースをたまに見るが、はっきり言ってまったく他人事ではない。紙一重だ。怒らなかったら怒らなかったで、逆に自分が参ってしまうケースも多い。以下のような話は実によくある話。ほんとになにをしても泣き止まないんだから。

産後1ヶ月になる新米ママです。
最近、子供が寝なく、ほとんど泣きっぱなしです。ほとんど悲鳴のような・・・。
子供の1日の睡眠は、約4時間位。抱っこをしても、ミルクをあげても泣き止まず、もうノイローゼ状態です。
ミルクをあげると寝そうになる時もあるのですが、布団に置いたとたんに叫び声。ほとんどは、ミルクをあげ終わったと同時に叫び声です。
アパートのため、かなり近所迷惑だし胃をおかしくしてしまいました。
なにかよい方法があったら教えてください。本当によろしくお願いします。

泣き止まない (1/2) - 妊娠 - 教えて!goo

大体子育てをしたことがない人に限って、子供をかわいがるのは本能だとか、泣いても子供はかわいいのだとか、子供のことを本当に思いやれば子供にもそれが伝わって自然と泣き止むのだとか、どこで覚えたのか知らないがそれこそトンデモ育児観を持っていて、しかも悪いことにどれも妙に聞こえのいいものばかりだから、ときにそうしたトンデモ理論を振りかざして、我々リアル親に異議を申し立ててくる。こちらに余裕があるときであれば、笑いながらそうは言ってもなかなか大変なんだよ的エピソードを紹介して差し上げるが、泣き止まない子供と対峙して気が立っているまさにそのときにこうしたトンデモを言われたら、即、手が出ると思う。

うちも長男が1歳くらいのときは、結構大変だった。それこそ上記のように、寝てるときとなにか食べてるとき以外はずっと泣いていたというか叫んでいた。抱っこすれば暴れて降りようとするし、降ろすと抱っこしろと言わんばかりに寄ってくる。泣き声もやたら大きくて、子育て経験者ばかり10人に聞いても10人が「凄い声だね」と漏らすくらいの立派な声量だった。さすがに手をあげたことはないが、「うるさい」とか「いい加減にしろ」とか声を荒げたことは正直ある。そんなことをしても何も解決しないどころか、事態がさらに悪化するであろうことくらいはわかるが、当時は感情的になってしまっていたとしか言いようがない。

事態を好転させ解決を図るために重要なのは、感情に身を任せることではなく、理性を保つことだ。そのためには、しっかりした理屈を自分のなかに持っておくことが大事なのだと私は思う。あの泣き叫ぶ子供と対峙したときの不快感を知っているからこそ、感情に身を任せることの恐ろしさも痛感しているというお話。

感情と「しつけ」

以上は特に手のかかる時期である1歳前後を例にして書いたが、子供たちは何歳になっても、そうやすやすと親の言うことを聞き入れたりはしない。良かれと思って何かしらの指南をしても、拒絶し、駄々をこねてくる。そんなときに、感情に流され、手っ取り早く言うことを聞かせようとする親は、”しつけ”と称して、”子供のため”と謳いながら、しばしば以下のような行動に出る*2

・体罰

はっきり言って、とにかく言うことを聞かせたいと思ったときに一番効果的なのはやはり体罰だろう。子供だって痛いのは嫌だし、争ったところで親子の体格差のもとでは絶対に敵わないのだから、子供が自分の行為と与えられる体罰の因果関係を理解して以降、体罰は親の主張を通すためのもっとも効果的な手法だ。しかし、万が一体罰を持ってして通したい親の主張が完全に正しかったとしても、親には罰を与える権利などあるのだろうか。体罰の恐怖に必要以上に萎縮することで、その後の人生に影響を及ぼすことなどはないのだろうか。

・脅迫

「さすがに体罰は」という人が、しばしば子供を相手にして行うのが脅迫である。いい子にしてないとビデオ見せてあげないよとか、おもちゃ捨てちゃうよとか、子供の利益を一方的に損ねることを告知し、怯えさせ、言うことを聞かせようというあれだ。体罰ほど目だった被害がないからか結構頻繁に利用されているが、普通に犯罪行為ではないのか。親は子供を”しつけ”る義務があるから、多少のことは許されるのだろうか。脅迫を受けながら育った子供は、他人を脅迫する人間になりはしないか。

・侮辱

「自分の言うことを聞かないお前はほんとにダメなやつだ」とやる。子供の自信を喪失させ、信用回復のためにはおれの言うことを聞けということを暗黙のうちに示すわけだ。しかし、長い目で見たときに、自信を失った子供は不幸になるだろう。抽象的な事実を示すことによって軽蔑する行為は、侮辱である。

・不平等な取引

自分の主張を聞き入れさせるために、子供の主張を極小化し、不平等な取引を持ちかける例も枚挙に暇がない。例えば、どこかに出かける前にアンパンのビデオが見たいのだとグズる子供に対して、「じゃあ5分だけ見ていい。但し5分だけ見たらあとは自分の言うことを聞け」と持ちかける。時間の感覚に劣る子供は、自分の主張が聞き入れられたと思いうっかり約束してしまうが、たった5分間ではビデオを観るという行為の価値をまったく享受できない。当該親は、知識面での優位性を悪用しているとは言えないか。

・押し付け

「こうあるべきだ」という理想象を繰り返し語ることにより、「そうならなかったら自分の子供とは認めない」かのような脅迫を暗示することができる。子供は頑張って何とか当該親の理想に近づこうと努力するかもしれないが、その極めて狭い目標から挫折したときにはすべての努力をやめてしまうのではないだろうか。


上記行為はいずれも、親が感情に流された結果であり、親の優越的立場を濫用するに至ったものだと私は考える。そして、そもそも”しつけ”とは、しつける側の優越的立場に基づいてのみ成立するコミュニケーションなのであるから、上記のような行為こそが代表的な”しつけ”だという認識のもとで、私は先日の記事を書いている。つまり、上述した普通であれば犯罪的でさえある「しつけ」を行う特権が親にあるのか、という疑問を呈したつもりだ。*3

理性と対話

私は、そうした「しつけ」は、子供のためにもやめるべきだと思う。優越的な立場からではなく、対等な人間として、いくらでも何かを伝えることはできると思う。社会の厳しさについてでも、一般的な常識や倫理でも、理性を保った普通の対話として伝えればそれでいいと思う。別に変に下手に出ろと言ってるわけではない。普通に、家庭の外で他人と話すときのように、相手を尊重することを忘れずに、対話を持ちかければよいと思っている。当該対話の形式は”おねがい”のときもあるだろうし、”交渉”のときもあるだろう。口で言ってもわかるはずがないから「しつけ」が必要なんだというのは、嘘だと思う。そして、万が一どうしても伝わらなかったとしても、そのときに子供を裁き、断罪するのは、親ではなく社会なのだろうと思う。

*1:言葉を覚えるとすぐに、知る限りの相手を傷つける言葉を投げかけてくる

*2:著者調べ。自分を含める。

*3:後で気がついたが、私が用いた”しつけ”という言葉は、確かに世間一般で言われる”しつけ”とは、若干定義が異なるというか、若しくは狭義の”しつけ”であったかもしれず、特段の断りなくそういう言葉の使い方をし、それによって誤解を招いたということがあれば、そこは反省したい。