冷房が強すぎて寒いという人と暑いからもっと強くしろという人の対立はどのように解決すればいいの

どうでもいいことだけど、当然どちらの言い分もあるわけでね。

寒い人はまあ当然寒いわけだから、冷房の温度を上げて欲しい、若しくは冷房自体を切れと言う。寒いのは不快だから。暑い人も、暑いのは不快だから冷房はガンガンにしろと言う。暑い側も寒い側も、その不快さを我慢しなければならない道理など根本的には理解しないわけだ。

多少話しが進展したところで、じゃあ寒い人は一枚余計に着ましょうとか、暑い人は団扇で扇いでなんとかしましょうという話にしかならず、どちらに転んだとしても対策を強いられる側の人が”何故私がそのような不自由を強いられねばならないのか”という感想を抱くに至る。

多くの場合、まずはその場その場の多数派が多数決で押し切って、上述したような対策を少数派に強いる形で決着させようとするのだろうけれど、あまりそれでおさまる例を見たことがない。要するにそれは暴力なのであって、抑圧された人はまったく面白くない。対立はむしろ泥沼化する感すらある。

折衷案として、一部だけ風があたるように調整しようとか、時間で区切ってなんとかしようとかいう方向に進展するケースもあるかもだけど、あまりうまく行く気がしない。空気を切り分けることなどできないから。

一番いいのは多分、客観的な基準を援用することで、冷房の温度の基準値について合意するやり方だろうか。今であればクールビズという公的なキャンペーンもあり、空調の温度は27度だか28度だかが推奨されている。こうした公的な見解と言うのは客観性を補強するうえで便利で、その水準が客観的なものということになれば、暑かろうが寒かろうが多少は納得がいくものである。少なくとも暴力的に押し切られるという形よりは。ただ、その基準、ときに公権力自体が本当に客観的なものなのかという点においては、やはり議論が絶えることはなく、客観性の追及というスパイラルに嵌ると議論は無限に後退していくことになり、結局どこかの段階で振り出しに戻り、ことの解決は暴力に委ねられることになる。

レディーファーストのような道徳的慣習を持ち出して、(寒がりな)女性の基準に合わせるという方法もある。これも純粋な多数決的暴力よりかは幾分マシだろうが、そういった道徳的慣習を持ち合わせていない人にはまったく不条理な話にしかならない。

我慢させるほうが我慢するほうにカネを払うという方法も要は一緒で、我慢するほうの不快さを貨幣価値という客観的な基準で表現する際のその評価方法において、無限の議論がなされるであろうことは容易に想像できる。


ちなみにだが、これはたぶんさまざまな局面における利害対立について言える話なのであって、上記冷房の件におけるクールビズといったようなわりと一般化している客観的な水準がある話はまだマシであり、そうでない話は尚更大変なわけである。

先日まではてなを賑わしていた陵辱表現や児童ポルノ規制なんかも基本的には似たような話で、ゾーニングという役に立たない折衷案(これだけ情報通信技術が発達してゾーニングも糞もない)を囲んで、規制派と擁護派が暴力と抑圧の構図をむき出しにして終わりのない罵り合いをしていたし。


きっとこういう問題は、各個人が常識なり道徳なりの客観的な基準を共有できている限りにおいてはたいした問題にならないが、そういった基準が崩壊すると途端にどうしようもない問題として顕現するんだろうと思う。よく考えてみたら少数派というだけで我慢を強要されるのはおかしい的な。個性尊重みたいな。きっと近代以前であれば、そういう少数派の人というのは、社会に適合する能力が欠けていると見做され、バカ呼ばわりされたり病気扱いされて社会から排除されて終わりだったのだと思う。

最近思うのは、そういったある種客観的な基準を共有せず、主観をことさらにアピールする人が増えていているということ。ある程度多数の人が冷房が寒いと言ってるのに、でも私は暑いんですと平然と言い返す人が普通に存在し、割と許容されているという現実がある。飲み会でも飲みたければ最初からカシスオレンジだ。仕事の後輩で、一緒に外出した帰りに、私がトイレに行ってる間に先に帰ってしまった人もいた。いや、それ自体は本当にどうでもいいし、ある種の合理性を感じる部分もあるんだが、ちょっと前まではそういう人ってあまりいなかったと思うのは気のせいなのか。

現代とはそういう時代なのだと言えばそれまでだが、では上述した冷房の話のような些細だがいちいち面倒な議論というのはこれからどんどん増え続けるのだろうか。それとも一時的な流行り病のような現象なのか。で、とりあえず冷房の温度はどうすれば良いのか。

追記

id:chroQ 普通二項対立の議論では止揚することで問題を捉え直すと思いますね。

すいませんね、IDコールなんかして。
この場合止揚というのが具体的にどういうことを指すのかわかりません。
もうオフィスは完全個室にするか自宅勤務にしようとかそういうことでしょうか。